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カテゴリー「芸能・アイドル」の3件の記事

堺正章を嫌う

Wikipediaからの引用。「あるある大事典IIでの納豆ダイエットに関する捏造報道(2007年)にMCとして参画(その後、番組は打ち切り)。堺自身がどこまで真相を知っていたかは不明。 」

きっとこの方は並みの二世コメディアン(お笑い芸人)なんでしょうね。TV出演を自粛しているかと思いきや、今日は「世界一受けたい授業」といった番組に先生役で出ていました。でも、もう意外性も何も無い、単に「目の死んだ」芸人に見えました。内輪受けはするのでしょうか、Wikipediaにあるように芸能人として年齢は食ってますし、その世界に留まるだけで「影響力」はあるのかもしれません。

ところで、玉置弘、土居まさる、みのもんた、関口弘、川端健二(?)の共通項は? 司会者が本業で(私と同じ)某大学卒業生!に加え目が死んでいるのです。自分の意志を押し殺して、これは人気取りや金儲けのためなんだ、と自分に言い聞かせているような目。この目、私は嫌いです。まだ谷地健吾のぎらついた目の方がましです。(谷地健吾をGoogleで引くとなんと私の過去の記事は未だに第三位!)・・・どうでもいい事ですが、私は6時40分ぐらいに渋谷のNHKセンター近くから天気概況を毎回セコイ工夫をしながら親身になって伝えるハシヅメさんのファンです。いつか「低気圧」と書いた棒を持ってみないな~。(失礼)

本題に戻ります。堺正章のあの何処を見ているのか判らない、小さい目には強い嫌悪感があります。この延長で言えば、まだ政治家諸士やテレビに出ている(暇な)経済人の方がましです。(でも御手洗某は大嫌いなので後日記事にします。)結局、その地位に相応しいだけの大した苦労や努力もしないで、たまたまそうだったという「過去」を笠に着ながら優位に立とうとしている人間を私は体感で嫌うのでしょうね。

亀田三兄弟人気を嫌う

TBSも随分と落ちたものです。今日の「世界タイトルマッチ」は試合が始まるまで約1.5h。気の利かないNHKだって、雨のウインブルドンを中継するときはもう少し視聴者のことを考えた編集をするものです。予め決まっていた1.5hなのですから、VTRと控え室だけで持たせるとは視聴者を軽く見たものです。(これは亀田三兄弟人気のなせる技なのか、、、。)

スポンサーがパチスロ屋だからこんな御座なりなことが許されるのでしょうか。そもそもタバコの広告を自粛させる風潮があるようにパチスロ系の広告も公共メディアでは自粛すべきではないでしょうかね(サイトを立ち上げるよりは実効性は高いはず)。今日だけで何人の依存症患者を生んだことか、、。そして、なぜその中にまみれてトヨタまでがCMを打ったのでしょうか。(これも亀田三兄弟人気のなせる技なのか、、、。)

国際試合で自国を過剰に応援する放送はGlobal Standardでは当たり前です。それ自体をなんとも思わないのですが、これがもしサッカーなら「大本営発表」とか「偏向だ」とか後々言われるのでしょうね。それが、一応は世界レベル=相手の土俵で対等に近いレベルまで実力を挙げたスポーツ(とそれを支えるファン)のプライドなのだと考えます。日本のボクシングのレベル??? 近年不振だったボクシングでそこその視聴率が取れるのですから、メディアとそのスポンサーはやはり「人気」を最大活用するのでしょうね。(やはり亀田三兄弟人気のなせる技なのか、、、。)

、、、とは言え、暇に任せて見てしまいました。ボクシングは相手に脳震盪を起させるまで殴り合うのですから、現存するスポーツの中で最も野蛮なものの一つでしょう。その野蛮さがなせる「技」でしょうか、困った結果(判定勝ち)になりました。実は私、その昔に格闘技をやっていましたので妙に分かるのですが、強がってツッパテいるやつほど実は弱い。闘争心だけでは勝てないのが格闘技です。ユトリのある方が試合では勝つものです。

それにしてもあの変な判定(少なくても亀田某は1Rに一度ダウンしているのに、、)に対して、敗者となった元世界チャンピオンやべネズエラ当局はスポーツ仲裁裁判所に訴えないのでしょうか。

今日はボクシングの不健全さを見ました。

「私の嫌いな10のジャズ・ミュージシャン」(その1.明るいジャズ・ミュージシャン)

またまた日経ネタですが、モダンジャズのミュージシャンとその演奏を紹介する記事が日経サイトに不定期に出ています。http://www.nikkeibp.co.jp/style/life/joy/jazzlp/060629_dizzy/

6/29Dizzy Gillespieということで思わずこのタイトルが浮かび、10回シリーズの構想も練ってしまいました。「明るい・・」に続いて、「女性の・・」「若い・・」「健康的な・・」「笑う・・」「金持ち臭のある・・」「練習していない・・」「副業の・・」「知性の無い・・」「品が無い・・」などを順不同不定期に予定しています。

まずは第1回として「明るいジャズ・ミュージシャン」について。

スイングジャーナルかジャズ批評でかなり以前、アメリカ合州国と日本で人気のギャップ(西高東低)が激しいミュージシャンとしてDizzy GillespieLionel Hamptonを挙げていました。ステージでの道化振りが日本のジャズ・ファンには不評との分析があったと記憶します。確かに、ジャズ・フェスティバルの録画などで観た、不用意な「明るさ」の押し売りは白ける。そして、外面を明るくして「熱い」のは、内面からのそれと違って、暑苦しく、迷惑に近い。「名盤」との振れ込みに騙され、LPレコードを買ってしまい、聴衆の盛り上がりとは裏腹に、プレイ自体が集中力を欠いた代物の連続で損をした記憶も蘇ります。Dizzy GillespieSalt Peanutsは貧相な曲想に加え、Salt Peanutsと連呼する意味が不明、Mantecaは演奏が不用意に長い。Lionel HamptonStar Dustでヨダレがかかりそうなアァ~アァ~という声もKeith Jarrettのような必然性を感じさせない。これらのレコードは聴くには耐えなかった。

そういえば、Lionel Hampton楽団に所属していて、Hamptonを尊敬していると発言していたMaltaというアルト奏者もいたが、あの妙な間を持った「明るさ」も嫌いだった。今どうしているのか?検索エンジンでもろくに出てこない。さいたまんぞうは出てくるのに。

何もジャズは暗くて陰気でなければダメかといえば、陽気というカテゴリーに入るCount BasieOscar Petersonなどは私も嫌いではない。この違いを考えてみると、Dizzy GillespieLionel Hamptonは「性格や表情に曇りがなく、晴れやか」に振舞っているようだが、どこか「心が晴れ晴れしいこと」を感じさず、その落差に陰険さを感じるのだと思います。ステージでは派手な身振りでファンへのサービスを過剰にしながらも、ステージが終わるとバンドのメンバーに暴言を吐くような。でも、Count BasieOscar Petersonはいつでもどこでもだれにでも紳士だろう(と思わせる人格がある)。

陰険と言えば、Miles Davisなどはステージであろうが路上であろうが私生活であろうが、一貫して陰険な感じを漂わせているのでそのジャズとの矛盾がない。しかし、Dizzy GillespieLionel Hamptonなどは喜怒哀楽をあからさまに出した演奏をしながら、表現としての重みが感じられず、その場だけの表面的な軽さを感じさせてしまう。ここに一種の欺瞞を感じるわけです。

「明るい」ということは、隠そうとするものがないか、表に出しても大丈夫な場合に限って有効な態度であって、取り繕った明るさは、液晶TVで白いレースのカーテンを見たときに実感するような(←やってみるとプラズマTVを買いたくなりますよ)、表現力の無さを露呈させるものです。

一方、このような「明るい」ジャズを、アメリカ合州国における大衆演芸だとする見方に接した事があります。あのように軽薄な振る舞いで、自分を客として楽しませようとする芸人を良しとする風土があるという主旨でした。金さえ払えば、客として扱い、こちらの機嫌を取ろうとする様を見ていて、自分が優位に立てるので気持ちがいいのでしょうね。これはいかにもあの国の大衆の感性に相応しい。

思うに、私がジャズを芸能ではなく芸術として鑑賞する対象だという前提で思考しているからこのようなギャップが出てくるのでしょう。

誤解なきように付け加えますと、私は「明るいジャズ・ミュージシャン」やその芸能を「悪い」といっているのではなく、「嫌い」なのです。このシリーズではこの「嫌い」を延々と追求します。