無料ブログはココログ

カテゴリー「映画・テレビ」の15件の記事

NHKテレビ放送を嫌う

今日、沖縄を訪問している首相や現地住民の言動をテレビで生放送していたのが(CMの無遠慮な挿入やコメンテーターの稚拙さが民放らしさを醸し出す)日本テレビだけだった、という現状は十分憂うべきでしょう。恐らくは沖縄県内では複数の放送局が完全実況していたのではないでしょうか?一方、公共放送を自負するHNKは、そんな事が世の中では無いかのようにプロ野球放送を続けていました。(BS加入料目当てで米国の野球の宣伝を「ニュース」としている日々の無残な行状よりは内需拡大になっていますが、、。)

そもそもテレビ放送自体が「完璧な洗脳装置」であり、視聴者の民度に合わせて初めてビジネスが成立する構造になっているのですから、何か高尚なものを期待をすること自体が間違っているのです。それでも「公共」放送ということで、私のように「受信料」をもう20年以上も意図的に払っていない市民を告訴できる立場でもあるなら、そこに一定の「常識」は期待したいところです。

新聞を読むのは(そのヒトにとっての)世の中の常識を知るため、という説には同感するところが多く、朝日を読むヒトと読売を読むヒトは「常識」が異なるということはあっていいと思います。これは、スポーツ新聞や聖教新聞などでも同様です。一方、テレビ放送を見るのは世の中の常識を知るためでしょうか?どうもこれは違いますね。番組表とHDDレコーダーを駆使して、自分が必要な「常識」だけを切り出して行く作業を怠ると、「公共放送」を見ていても、大リーグではいつも日本人が活躍していると思い込んだり、田舎ではいつも祭りをしていると思い込んだりしますね。

速報性なり、臨場感なりを売り物にしているはずのテレビ放送が冒頭のような事象に陥るのは、「公共放送」がその規準を示していないことに起因しているのではないかと思います。私がNHKを嫌う理由について、過去の記事でもいくつか触れてきましたが、このような「公共」という文言の恣意的で安直な独占とその悪影響に一番嫌悪感があります。

以下、どうでもいいことも含め、NHKを嫌う(最近)の理由を列挙しておきます

・天気予報の天気図で太平洋に無意味な縞模様を45度で入れるのは非常識だ。液晶TVのバックライトの光学フィルムがフレアを起こしているように見える。

・「入門ビジネス会話」など英語番組を使って、米国に都合のいい商習慣を一般化させるな。海外との英語でのビジネス=アメリカ流ビジネスの一般化に断固反対!(NHKはCIAの回し者か!)

・朝6時にアナウンサー5-7人が並んでニコニコするのは気持ち悪い。正社員では無い天気予報担当者のやや醒めた表情の一方で、バラエティ番組のノリで受けを狙って外した正社員が外されない様を毎日見るのは本当に気持ち悪い。

・ぴろきを重用するのは止めてくれ。ギタレレのピックアップが不適切かつ不用意に大音量で耳障りだ。何を喋っているかも聞き取れない。そして、たまに聞き取れてもほとんど面白くない。

追記:谷地健吾はすっかり陰を潜め(仙台へご栄転?)、小川もこもついに番組をクビになりましたね(後任局アナがリスナーからのタヨリをタヨリに事後説明していました)。アクセスログを見ると以前からNHKらしきアクセスもあり、少々「責任」を感じていています。(次は、庶民にヤラセを強いる、あの煩いオバサンアナウンサーかな。)

東京マラソンを嫌う

「24時間テレビを嫌う」という記事を書きましたので、既に「24時間テレビ」化したこの商業イベントを敢えて嫌うつもりはありませんでした。

しかしながら、海岸線から離れることを多くの国民が強要されているこの日に湾岸埋立地のあのような場所にゴールを構えて平然と開催する「非国民」的行状、(確信犯のテレビ東京を除けば)主要な民放すべてが通常放送を津波報道に切り替えているのに陳腐な「お涙」映像を流し続ける日本テレビの感受性の低さ、そして、小笠原ほか東京都の島々に津波警報が出ているのに会場から嬉しそうに「都民が一体となって・・」などという間抜けなコメントをしている石原都知事。これらを見ていると何故に「東京マラソン」なる紛い物が強く非難されないのか不思議です。少なくても社会正義の視座からの批判は今のところ無いようなので、この場で嫌うしかありません。

そもそも、東京マラソンをはじめとする、低俗な商業化したマラソン大会はもっと馬鹿にされていいはずです。あのスタート直後のカブリモノのバカモノ達へのマジメなランナーの迷惑そうな視線を見るだけでも十分に嫌悪感がそそられます。そしてだらだらした運営。「24時間テレビ」との相性はきっといいのでしょうね。

もちろん、マジメで地味な市民マラソン大会まで否定するものではありません。地元テレビ局ぐらいしか取材に来ないからでしょう、カブリモノのバカモノも浮いてしまう、あのストイックなフンイキは大切にしたいものです。

遅ればせながら、明日の新聞の同業者を揶揄する欄(何と呼ぶのでしょうかあのページは?)や、数日後に読者からの投稿を使ったセコイ手法なんかで「問題」にするんでしょうね。鳩山首相には「東京都知事はマラソン大会なんかやっている場合ではありません」と言って欲しかったな~(支持率も上がっただろうにね~)。

テレビ「番組」を嫌う

未だにブラビアを買えません。お金は車の買い替えに伴う補助金25万円を充てればいいし、それで46インチの旧モデルを買えば、また36000円の補助金、、。でも、買う気にならないのです。

ここ数年で急増した、テレビの「番組」というものがヘンです。チャンネルを「廻して」いると生活情報提供番組という枠らしいのですが、売れなくなった俳優なんかを使って(まともには)売れない、怪しい健康食品や化粧品なぞを売る「番組」の方がまともな番組よりも多く放送されている状況にあります。そんなものをリアルな画像で視野を覆って見たいとは誰も思いません。もちろん、カネを払えば、ウィンブルドンも大魔神もBlue Noteも見れるのでしょうが違和感がある。(一番よく見ているNHKだってもう20年以上払っていないので、、。)

これには32インチのトリニトロン管が15年を経ても一向にイロアセナイということもあります。「番組」が嫌いでほとんでテレビを見ない私にとってはそこには何も問題が無いのです。

そんな私をユーキ付けてくれる記事を発見しました。

テレビ1億2000万台のアナログ時代から、テレビ5300万台のデジタル時代に移行して、だれが得をするか?(中略)放送局は、激烈なテレビ離れによって、NHKは受信料収入が、民放は広告収入が大幅に落ち込む。このマイナスと、アナログ放送設備を更新せずに済むプラスをてんびんにかければ、損のほうがはるかに大きい。メーカーは、「簡易チューナー」なるまがい物の生産を押しつけられる分、テレビが売れず損。結局、2011年7月に地デジ完全移行を強行して得をするのは、メンツを保てる総務省と、電波の跡地利用で儲けたい携帯電話会社くらいだ。得する者より損する者のほうが圧倒的に多数。だから地デジ完全移行は延期されるというのが、筆者の判断である。慌てて新しいテレビに買い替える必要はない。(日刊ゲンダイ5月16日号)

実際、先行するアメリカも延長しています。(理由は明快ですが、これは日本でほとんど報道されませんね。)

アメリカの上院が地上デジタル放送への完全移行を4ヶ月延期することを承認したそうです。これを受けて2月17日に完全終了する予定だったアナログ放送は6月まで行われるようになるとのこと。これはオバマ政権が田舎に住む人々や貧しい人々、少数のコミュニティに属する人々に対して地上デジタル放送に完全移行するための準備が十分に行われていないとしたためだとしています。なお、アメリカは当初2006年末に地上デジタル放送への完全移行を予定していましたが、それから丸2年以上が経過した今でも移行がスムーズに進んでいないことを考えると、日本でも同様の事態に陥る可能性が無いとは言い切れないのかもしれません。(http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090127_digital_usa/

思うに、これは「北風と太陽」の通り、番組たる「太陽」がガキとババアばかり相手にしていて、ちっとも「購買決定権者」のモチベーションになっていないからではないでしょうか。しかも、ここ数年は「番組」による劣化が進んでいるのです。背水の陣になっているであろうFM各社の方がよっぽどカイゼンが進んでいると思いますね。(バラカンさん、小曽根さん、達郎さんにはいつも感謝しています。)

全巻を持っている、スターウォーズやインディージョーンズのDVDは見たいので、チューナー無しのモニターだけでも買おうかと思っていた時期もあるぐらいですが、それでは補助金は貰えないしね~。

教育テレビの非教育的な時短放送を嫌う

受信料を定額徴収している放送局が勝手にその業務を休んでいいのでしょうか?この悪弊は新聞が「新聞休刊日」なるものをでっち上げて実質値上げをしているのを真似ているのかもしれませんが不謹慎極まりない。

本気で環境に貢献したいと思うのならば、巷の(まともな)環境運動に「24時間テレビ」のように募金を募ってもいいし、時節柄、衣食住に困っている方々を支援するための「24時間テレビ」をやってもいい。もちろん、人知れず教育テレビのスタッフが「休み」を返上で汗を流して得たお金を寄付してもいい。でも、そんなことは全く無く期待できません。

受信料など払わなくなってもう20年以上の私ですが、少しだけ公共放送というものに期待していました。でも、この非教育的な教育テレビという代物は「独立行政法人」化して路頭に迷わすことぐらいしないとカイゼンしないと思います。

あぁこれで一生受信料を払わないことが正当化できそうです。

オリンピックを嫌う

中国でのオリンピックはナチス並みに政治目的が明白なのに、(MLBなどを除いて)参加を取りやめた国や競技者が無いのは、スポーツ関係者がノンポリなのではなく、積極的にこの「政治力」を利用しようという意図があるからでしょうね。この点はマスコミも同様です。

とはいえ、この2週間ほど、定時退社に近い状態でした。特に、日本選手が活躍した、水泳、一部の柔道、卓球、女子のレスリングやサッカー、ソフトボール、陸上400mリレーあたりは印象深いものがありました。逆に元々期待もしていなかったので、野球、体操、男子サッカー、男女マラソンなどはどうでもよかった。

CMや下品な演出といった「ノイズ」が少ないので、(長年受信料を払っていない)NHKしか見ないようにしていますが、遅れて始まるニュースの中で、(BS契約率アップのために)松坂や松井がどうしたなどと米国のプロ野球の「宣伝」をやっているのは実にセコかった。(不慣れな女性アナウンサーを現地に派遣したのも何かあったのでしょう。)

それなら、オリンピックにしても、NHKにしても嫌なら見なければいいという声が聞こえてきますが、平凡な日々にあって「人を嫌う修行」という点でもそこそこに充実した成果を得られるのは魅力的です。いくつか列挙します。

  1. 応援と称して奇抜な格好をして会場にいる、金とヒマのある連中の自己顕示欲をなんで満たすのか?あれは競技者の集中力を削ぎ、文化や民度というものを貶める国賊であろう。そして、そんなものまで放映するのは明らかに偏向報道やヤラセと同列ではないか。中国政府ならやってくれるだろうと期待したが放任されていた。あれは「先進国」のバカを晒しものにすることで国民を教育しているのだろうか。
  2. メダル数の比較は不公平ではないか?その競技の人数、その国の人口、さらには競技人口などを精査して加重平均をすべきではないか?水泳や体操など一人でいくつもメダルを取れる競技と、サッカーや野球など10人前後のチームでひとつしか取れないメダル数を単純に合計して同列に論じるのは不公平極まりないし、人口を分母に計算すれば恐らくは中国など中位以下だし、競技人口を分母にすれば馬術や近代五種など誤差の範囲だろう。
  3. テニスはなぜ無視されるのか?野球を廃止する理由にMBLが協力しないということがあるようだが、ロゲ会長は「テニスではフェデラーやシャラポアが出る」というのであれば、各局に強制的にテニスをしっかりと放送させ、その効用を認知させるべきではないか。
  4. どうでもよかったマラソンですが、国別に枠が決めているのであれば、なぜ補欠出場させないのか?同じ陸上でもリレーなどは補欠も出ているのに。あれは、体調管理も競技の一部と見做しているからなのか?

などなどいろいろあります。オリンピックといっても所詮は紅白や仮装大賞や24時間テレビのようにマスメディアは「視聴者」を取り扱うのでしょうから、雑感も注意していないと偏向しますね。

マメに嫌われる・三題

最近、人から嫌われることがメッキリ少なくなったように思います。「修行」が足りずに嫌われていることを正確に受け止めていないからなのか、「人間嫌い」の実践が過ぎてしまってあからさまに嫌われるような場面がほとんど日常から無くなっているからなのか、あるいは、単に無視されているからなのか。ヒリヒリするような嫌われ方を通じて初めて体感できる、ホンモノの嫌悪感がこれまでの人生をいかに「豊か」にしてきたかを思い起こすと、これは問題です。感受性も鈍ってしまって危険ですらあります。

そんな思いで日常を振り返ると確かに嫌われた(かもしれない)出来事が無いわけではありません。今日は特にヒマなので最近の出来事をマメにメモしておきます。

1.テニスコートでのお怒り

近くの公営テニスコートは朝9時から予約できるのですが、その30分ぐらい前に行っても空いているので一人でサーブの練習などをしています。もちろん9時から予約してあるコートで、です。管理人にはいつも軽く挨拶をしてから早めにコートを利用させてもらうのですが、ある朝いつもの通りに練習していると、管理人がいきなりコートにやって来て「管理人をなんだと思っているんだ」と怒ってます。日頃挨拶をしても返事はほとんど無く、「xx面をyyさんで予約してありますので早めにコートに入ります」などと言っても何の反応もないので、少しでも「お仕事を減らす」ように、確認作業を求めるような言い方もこの数ヶ月は止めていました。とても区役所の役人(嘱託?)らしく、「仕事」を矮小にしている点がとても分かり易かった。でも、軽い挨拶程度では「役人」として無視されているようで嫌だったんでしょうね。(「区民の声」を無視しても平気なのに。)「(コートの使用を)言ったり言わなかったりで済みませんね!」と微妙な言い回しで大声で「詫びる」とそれで終り。その後に私が「時間外」に施設利用をしていても咎めることももないので、職務に怠慢でも忠実でもなく、単に何かの発露を求めていたようです。でも私はこの管理人を嫌いではない。こちらは何も期待する必要がないんですからコートではテニスだけに専念できます。もちろん次になにかあれば「区長への手紙」の主人公になってもらいますが。

2.迂回する歩行喫煙者

以前書いた「歩行喫煙者との戦い」のその後です。以前は毎朝定時に家を出ると最寄駅までの約10分間に5人ほどの歩行喫煙者とすれ違っていました。戦果なのか、これが今では2人にまで減りました。この消えた3人の内の1人にたまたま「再会」しました。結構遠回りになる裏道を使っていたんですね。とても気の弱そうな50歳ぐらいの小柄な男性でいつも地味な上着と古びた黒カバンを下げています。その時もやはり歩行喫煙していましたが、私のことを察知すると気まずそうな表情で下を向いてしまいました。少なくても5分は余計に歩かなければいけないコースを私を避けるために毎日使っているんですから、私も十分に嫌われているんですね。確かに身内からも、私の「嫌な顔」の時の表情はとても嫌になる顔だと指摘されていますから、そんなものを毎日見るのは嫌かもしれませんね。多分私も何かの理由でそんなのが毎日出てきたら迂回ぐらいはするかもしれません。不幸なニコチン中毒患者のためにも、路上禁煙条例を早く拡大してもらいたいものです。

3.週一の「谷地健吾」のファン

今時のブログはアクセス解析機能が充実しているので、頻繁にアクセスしてくる読者は概ね把握できます。「NHK谷地健吾アナウンサーを嫌う」という1年半前の記事へのアクセスはいまだに続いていて、よくよく調べると「週一」ぐらいの頻度で訪れてくれる方がいるんです。「谷地健吾」のファンが何か「進捗」がないか監視しているんでしょうか。このほか、月一の方や、立て続けにアクセスが続いた同県人の皆さん(多分連絡し合っている?)もいます。確かに、「谷地健吾」とGoogleに入れるとWikipediaに続いて2位(Yahooで3位)なので、「谷地健吾」のファンなら気になって一度はアクセスすることでしょうね。嫌う記事が嫌われると目立つようになるのはブログと検索エンジンが作り出すの面白い現象ではあります。とは言え、週一というのはストーカーのようにスゴーイ。以前にあるファンらしき方から自問自答のようなコメント(「自分は何様のつもり?人に意見できる立場?あなたが嫌でも認めている人はいるはず。嫌いなら見なければいい。」)もありましたが、この方ではありません(多分)。「週一」のマメな方は「谷地健吾」本人!?

マメに嫌うのもマメに嫌われるのも「修行」です。

24時間テレビを嫌う

マトモなタイトルでFADらしくない、という方には誠に申し訳ありません。今回は、「24時間テレビのいやさ加減」という記事を読んで、思わずこのタイトルで書く嵌めに陥りました。

他力本願させて頂きます。

まず、環境保護団体がなぜ黙っているのか分からない。別に東京電力でも構わないのですが、慈善(偽善)活動の前に守るべきことがあるだろう、ぐらいは主張すべきでしょう。「チームマイナスxx%」なんていうチマチマした活動をしている企業がスポンサーだったら、全くの自己矛盾。株主代表訴訟や労組のゼネストを期待したい。

税務署はしっかり仕事をしてほしい。公に寄付をする企業や団体、そして自営業者が税金をちゃんと払っているのかどうか、しっかり調べてほしい。なんと言っても納税は義務であると同時に最大の社会貢献なのです。

放送倫理・番組向上機構には是非ともしっかり仕事をしてほしい。多くの内容には「人権侵害」が含まれ、青少年への「悪」影響があり、「低俗」を売りにしています。少なくても、病から自意識を持てない状態にある方々を勝手に露出するのは止めさせて欲しい。

最後に、萩本欽一がここに来てまたしても大人として一貫性のない醜態を晒すのはもう止めて欲しい。あなたは、24時間テレビの前に、(ほとんどセクハラの)野球拳を広めた芸人であり、(自分の名声を守るために)選手を裏切ろうとした監督であり、安倍なにがし同様に仲良しクラブで周りを固めたエスタブリッシュメントなのだから。

おまけ:毎年、私の誕生日の週でこの番組を企画するのも止めて欲しい。街中のあの黄色いTシャツを見るだけで自分への「ご褒美」ができなくなる。

うつを嫌う

NHK教育テレビで「今夜のテーマは30代のうつ」を観ました。安易かつ残酷な内容でした。

中堅以上の企業に勤務する30代の男性だけを事例として取り上げているのは、社会現象としてうつ病を安易に括ろうとするNHKの意思なのでしょうが、これはそれ以外の30代(自営業、失業者、女性など)への一種の差別として問題です。しかしもっと重要なことは、出てくる事例の多くは「適応障害」という病名が相応しいか、適応障害を拗らしてうつ病になったものがほとんどだということです。(天皇家の長男の奥さんが適応障害という診断なのでこの病名への「報道管制」があるのかもしれません。)

そもそも、遺伝的な要因のうつ病は人口の0.3%しかいないとされています。番組の事例の多くは、職場環境との不適応から体調を崩してしまったものばかり。うつ病と適応障害では、憂鬱な気分に苛まれ体調を崩す、という症状は似ていてもその原因が異なるのです。

職場起因の適応障害を「社内うつ」とする方もいますがこれも私はあまり好きではない。ある元・適応障害の方のブログから引用すると、

流行言葉になりつつある「うつ」には何か周辺事情を覆い隠す響きがあります。(中略)「遺伝的な要因」によって、会社や上司の責任を逃れようとする意図すら感じていました。「適応障害」という響きには、その環境にも問題があるという響きがあるのとは対照的です。

番組では企業の経営環境の厳しさや世代論などの問題にも触れていました。でもそれでは問題の本質には迫れません。企業で言えばはっきりと社長や上司の問題であり、加害者なのです。ガードレールの無い道を歩いていて自動車に撥ねられたら、道路管理者や自動車会社ではなく、運転手が捕まり、補償させられるのと同じです。ところが、番組の流れでは、本人に反省を強いて、病にまで到ってしまったのは無理をした自分の責任だった、というものがほとんどでした。実に残酷なことです。

「自殺者を嫌う」という記事を前に書いた通り、体調の異変(特に不眠)が続いたら、ある程度メンタルタフネスが残っているうちに、「面倒、恥ずかしい、大した事はない、などと自分に都合のいい理由」で先延ばしをしないでカウンセラーなり心療内科なりに行くことをお薦めします。その前に数日休んで様子をみるということがあってもいいでしょう。(中島義道も効きますよ。)

世間にある「うつ」という言葉のもつ安易さや残酷さを如実に示した番組でした。

NHKのCMを嫌う

NHKはCM(Commercial Message)が無いことが「売り」のはず。ところが自社のためのCMを派手にやっています。

その1。アメリカのプロ野球をニュース枠で強制的に見せているのは実質的に(金払えで画面を覆って)有料放送となったBS放送に誘導するためとしか思えない。同じような事を考えていた大臣がいたようなので引用すると、

■NHK、大リーグ「毎朝取り上げるの問題」と尾身財務相

尾身幸次財務相は6日の閣議後会見で、米大リーグの松坂大輔投手が初勝利を挙げたことについて、「いい人材が新しい天地を求めるのはいいことだ」と感想を述べながらも、「この種のニュースをNHKが毎朝取り上げるのは公共放送として問題がある」と指摘、NHKの報道姿勢に苦言を呈した。その上で、「生活や経済、国際関係のニュースをバランスよく報道してほしい」と要望した。(時事、2007年04月06日)

同感である。あえて言えば、その「バランス」を求められている朝の放送では、ハシヅメさんのお天気コーナーを6時40分頃1回だけにしてほしい。6時15分頃にもやるようになったが2度見るのはたとえネタが変わったとしても白ける。(失礼、ファンなもので、、)

その2。NHK職員の働き振りを延々と放送している。これはNHK(職員)自身のCM以外のナニモノでもない。これと同じことを例えば自治体がその広報誌でやったらどのような反響があるのだろうか?「血税で一生懸命働くのは当たり前だ!」とか、「再就職先でも斡旋しているのか?」とか、がオチでしょう。そんなものを観るために(払う人は)受信料を払っているわけではないはず。所詮「公僕」なのですから人知れず名も知れず働くのが使命です。(ハシヅメさんはライフビジネスウェザー社の所属、、←シツコイ)

その3。自社に「不都合な」ニュースを敢えて「何も起きていない」が如くに報道するのも一種のCMです。受信料義務化と値下げがセットであるとの実に明快な「政治判断」ですら、「公正中立」を装うことで世の中では「何も起きていない」が貫かれていました。政府と国民のほとんどが珍しく一致してNHKに怒りを覚えているというのに、NHKと「深い関係」があった担当の役人が更迭されているというのに、NHKは「何も起きていない」ように報道(CM)します。

元々NHKは大嫌いなのですが、たまたま流れているのを見ているだけでこれですから、きっともっと酷い話しもあるのでしょう。(ちなみに民放のほとんどはもっと大嫌いです。)

マラソン中継を嫌う

名古屋での女子マラソンをテレビ中継していましたが、居た堪れなくなって途中で観るのを止めました。そして、以下のような思考することで、日頃の違和感が解れ、マラソン中継が嫌いなりました。多分、暫くは観ません。

1.ペースメーカーはゲームとしての緊張感を損う

記録を出すため(そして視聴率を上げるため)でしょうが、数年前に公認となったペースメーカーという存在は、マラソンというゲームが持っていたはずの緊張感を確実に損なっています。あれは自動車レースにおける最初に1週だけ先頭を走る先導車とは役割が全く違う。最近のマラソン中継は最初の2時間近くは観ていても一向に面白くないのです。本当の勝負は最後の20分ぐらい。だからでしょうか、スタートして暫くすると、選手へのインタビュー、(「xxサスペンス劇場」の如き)地元観光案内、スポンサーのセコイ宣伝が目白押しになっています。

2.実況バイクはスポーツへの冒涜である

バイクの後部席にアナウンサーや解説者が乗って、選手に数mまで近寄って実況する事がなぜ許されているのか理解できません。本人に聞こえて不用意な情報になっていることはもちろん、概況などをその場で伝えていたりすれば(日本を解さない)外国人選手に不公平にもなるのでは?そしてそんなことより、とにかく煩い!今時はカメラの性能が上がっているのだから近付いて見る必要などそもそも無いのに、無理やり言葉を並べて「実況」している。この光景を醒めて見るば、これはスポーツ(を真剣にしている選手)を冒涜している行為です。

3.過剰なアップ映像は選手の名誉を毀損している

マラソンに限らず、スポーツをしている時には、鼻水が垂れ、ヨダレが出て、小言を並べるものです。アップ映像、ましてや集音マイクの併用は、観なく無い映像なのです。時として(特に女性の場合)選手の名誉を毀損しているのではないかと思われるような「実況」になっていることにもっと敏感になっていいのではないでしょうか?走っている姿にプライバシー無いのかもしれませんが名誉はあるはずです。地デジ普及と選手のサングラス着用率には因果関係あるように思います。

よくよく考えれば他にも疑問やそれに連なる嫌悪感がどんどん出てきます。

・水分補給したボトルをこのご時世で公道に投げつけていいのか?(時に通行人に当たるがこれは許されるのか)

・(実況バイクは良くて)沿道を一般人が伴走するのはなぜいけないのか?(止めている係員の法的根拠はどこにあるのか)

・化粧品会社の選手がなぜ美しくなく、電力会社の選手がなぜ途中棄権するのか?(企業イメージを落としているだけではないか)

・警察はなぜ2台のバイクを先導させるのか?(1台で「チームマイナス6%」をすればよいではないか)

・恐らく無償配布しているだろう、観客のあの旗の再利用はしているのか?

ああ、「走る修行僧」瀬古選手の全身で苦悩する走行や、「女の戦い!」と場違いな絶叫をしていたアナウンサーがいた頃が何か懐かしい、、。

より以前の記事一覧