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カテゴリー「心と体」の122件の記事

叫ぶスポーツを嫌う

年末でいろいろスポーツを見ていると叫ぶスポーツと静かなスポーツいうのがあるように思えてきました。

シャラポアは叫びながらボールを打つので相当嫌われているようです。打つ時に奇声を発して打球音を聞こえなくさせているらしく、キタナイとか品性に欠けるという意見のほか、そもそも明確なルール違反ではないかという意見も説得力があります。たまたま日本女子シングルスの決勝戦を録画で見ていたら、服装の表面積ととももにその奇声も真似している輩同士で、ヒドイ奇声が双方から上がり、観戦どころではなくなりすぐに消しました。あれは電車の吊革広告に出ているデパートの下着特売広告でモデルが日本人になったような恥ずかしさです。そういえば、卓球でも煩いのがいますね、福原愛。テニスでも卓球でも男でそんな煩いのはいないんですから、あれば女特有のイヤラシサ(嫌らしさ)なんでしょうね。

客が叫んで煩いのもスポーツとしては全く興醒めです。日本の野球やサッカーはプロも社会人も高校生もスポーツの集中力というものを無視しています。それらを見ているとどうも客自身が「スポーツ」をしているような感覚があるようで、応援ではなく便乗でしょう。これはバスケやバレーもほぼ同じ。これはなにも日本だけはなく、ヨーロッパや中南米のサッカーも結構煩く、南アフリカでのワールドカップでブブゼラを文化として禁止しなかった(できなかった)。最近でも北朝鮮でのアジアカップか何かの試合で動員された「観客」から日本チームが酷い罵声を浴びせられてもその国の「文化」なんでしょうから誰も止められませんね。

剣道も煩い。柔道などほかの武道や格闘技で客が煩いのは他のスポーツと同じ事情としても、剣道だけは罪深い。メンを付けているから「恥ずかしくなく」やっている節も感じられます。ちなみに、空手でブルースリーみないなのはその映画と一部の流派だけで本来とても静かです。(←元選手)

一方、同じ野球でも、バカ騒ぎが国民性のはずのアメリカ合州国では不思議と静かですね。騒ぎたい連中はアメフトとバスケを観ることになっているんでしょうかね。そして、テニス(男子)とゴルフ(男女)は国を問わず静かです。実は大相撲も(スポーツかどうか別ですが)立ち会いの瞬間は静かになりますし、ボーリングも(スポーツかさらに怪しいですが)女子プロ!でも投げ切るまでは静かなもんです。そういえばバスケもかつてフリースローの時は審判が会場を静かにしていた記憶があります。(←元選手でした。最近選手の→)マラソンも周囲の応援なんかどうでもよく、叫びながら走るような輩もまずいない。たまに選手が「励まされた」ようなことを言っていますがアマチュアの私の経験ではそんなものでどうなるものでもなく、発言の意図がどうも怪しい。(今度の箱根駅伝でもコーチがクルマで追っかけて選手に罵声を浴びせる様は放映されるんでしょうか?)

軟式テニスで煩い連中が隣にいて文句を言った話しを前に書きました。もし、冒頭のような女子テニス事情ですから、そのうち隣のコートに硬式テニスの女子が叫びながら打つ輩も出てくることでしょう。そうしたらすぐに近くに行って大声で「煩くて迷惑だ!」と煩く叫んでみたいと思います。

「電車の中でガマン出来ないことって何?」を嫌う

ブログネタ: 電車の中でガマン出来ないことって何?参加数拍手

このネタの記事をいくつか読みましたが、皆さんガマンしているのですから、虚偽ですね。

ガマン出来ない、ということで私が実際に過去行動に出たことを列挙しておきます。

  • 停止時のブレーキが下手な運転手や不用意に音量が大きい車掌がいた時にはしっかりと「お客様相談室」に「相談」しています。これは成果があり、後者は私が糾弾した数名は二度と登場していません。
  • 明らかに痴漢を誘発するような広告を発見した時(別に「男性誌」なる低俗マスコミに限らず、デパートの下着フェアも含め)、カメラを設置してまで摘発したがる鉄道会社としての矛盾した姿勢を問う「相談」もしました。成果はほとんどありませんが修行と考えれば結構イケマスよ。
  • 電車の中から見える駅ホームの下着広告との戦いもありました。その後は表面積の広い服を着たモデルしか出てこなくなりましたから、一度倒産して大手の傘下になった下着メーカーしてはもう元気がないのでしょうね。
  • ドアを背にする輩とは毎日戦っています。関西に出張する必ずこのような輩がいるのか確認をしているのですが、東京圏と大差がありません。ただ、私のように戦っている同士は東京圏の方が(n数を考慮していも)多いようですから、関西ではドアを背にすることが私権の一部になっているようです。(←嫌いだ!)
  • その延長で、カバンを床に置いてパーソナルスペースを確保しようとする輩との戦いも大分先鋭化してきました。特に、(そのカバンのしたに足を入れて)踏んでいるように見せる技は結構効きます。

「電車の中でガマン出来ないことって何?」というネタを募集した側に問うなら、そのガマン内容とその度合いをちゃんとフィッシュボーンやFMEAにでも整理した上で全国の鉄道会社や鉄道公安官の統轄部門に送り付け、何らかのコメントを貰ったり、実際のカイゼンを促したりし、その内容をしっかりと記事を書いた各位に報告して欲しいものです。そんな気概も知恵もなく、このテーマで仕事をしたフリをしている連中が一番嫌いですね。

ヒトを嫌う修行の近況

4ヶ月振りに記事を書きます。

ここ数ヶ月は妙に順調に事が運んでいるので嫌うものが無くなってしまうのではないかという危機意識があります。仕事はもちろん、ジャズ、英語、テニス、通勤電車、野良猫への餌やり、路上喫煙、捨て看板、NHKなどに関係して、いろいろと嫌ってきた成果なのか、ある程度理不尽であっても我慢をしてしまうという感性の怠慢なのか、特段今の自分の認識以上に嫌う思考を深めなくても済んでしまっています。

もちろん、通勤電車ではドアを背にする輩とは毎日戦っていますし、(「悪い」ではなく)「嫌いな」景観そのものである捨て看板も積極的に捨てています。傍目にはマジメな「修行者」なんでしょうけれど、一度身に付いた嫌う思考と行動が、大した苦労もせずに事を「処理」してしまうので、何か危険なものを感じています。こんな状態を指すのかどうか怪しいのですが、自動思考という概念がありました。

一方、これを人間の成熟などと勘違いすることがないように内省しているので、それらしい事象に出会ったときには深く思考することとそれに忠実に行動することは忘れないようにしています。先日も近所の一部上場企業の事業所から出る騒音では徹底的に戦って、成果もありました。仕事も日々似たようなものです。嫌悪感を大切に育てるということを蔑ろにしているわけではありませんが、妙に順調に「ヒトを嫌う」思考と行動ができるのでモノ足りなさを感じる日々なのです。

こうした嫌悪感を誤魔化さずに修行として受け止めることで培われてきた世界観なり行動様式なりが限界にくるような事象や環境に身をおかざるを得なくなると、きっと(また)病に陥るのではないかとも思っています。だからこそですが、会社ではエラクならないように、家庭では一人でいるように、趣味ではお金と時間を使わないように(←関係ない)、社会ではまっすぐ前と足元だけを見るようにしています。

そのうち個々の事象で記事を書くようにしたいと思っていますが、記事を書くために嫌悪感を醸成するというのは何かヒトノミチに外れてい考えますので、まずは過去の記事でも読み返して、「その後」を思考してみます。

東京マラソンを嫌う

「24時間テレビを嫌う」という記事を書きましたので、既に「24時間テレビ」化したこの商業イベントを敢えて嫌うつもりはありませんでした。

しかしながら、海岸線から離れることを多くの国民が強要されているこの日に湾岸埋立地のあのような場所にゴールを構えて平然と開催する「非国民」的行状、(確信犯のテレビ東京を除けば)主要な民放すべてが通常放送を津波報道に切り替えているのに陳腐な「お涙」映像を流し続ける日本テレビの感受性の低さ、そして、小笠原ほか東京都の島々に津波警報が出ているのに会場から嬉しそうに「都民が一体となって・・」などという間抜けなコメントをしている石原都知事。これらを見ていると何故に「東京マラソン」なる紛い物が強く非難されないのか不思議です。少なくても社会正義の視座からの批判は今のところ無いようなので、この場で嫌うしかありません。

そもそも、東京マラソンをはじめとする、低俗な商業化したマラソン大会はもっと馬鹿にされていいはずです。あのスタート直後のカブリモノのバカモノ達へのマジメなランナーの迷惑そうな視線を見るだけでも十分に嫌悪感がそそられます。そしてだらだらした運営。「24時間テレビ」との相性はきっといいのでしょうね。

もちろん、マジメで地味な市民マラソン大会まで否定するものではありません。地元テレビ局ぐらいしか取材に来ないからでしょう、カブリモノのバカモノも浮いてしまう、あのストイックなフンイキは大切にしたいものです。

遅ればせながら、明日の新聞の同業者を揶揄する欄(何と呼ぶのでしょうかあのページは?)や、数日後に読者からの投稿を使ったセコイ手法なんかで「問題」にするんでしょうね。鳩山首相には「東京都知事はマラソン大会なんかやっている場合ではありません」と言って欲しかったな~(支持率も上がっただろうにね~)。

EAPを嫌う

先週、全社員参加必須のメンタルヘルスに関する講習をほぼ半日かけて受けました。従業員支援プログラム(Employee Assistance Program) の一環らしく、業界最大手の某社コンサルタントはモレなくソツなく「講習」していました。(メンタルにフルキズを持っている身としては「イイデスカ!」の連発が煩かった。イイデスカ!)

EPAは企業のアリバイつくりであり、決して一個人としての社員を支援するものではない、という欺瞞的な構図を嫌うというのが今回の要旨です。イイデスカ!

講習の冒頭、社員がどれだけ(メンタル起因で)長期休暇に入っていて、その予備軍が沢山いるという現状説明から始まって、過去の会社としての取り組みを振り返り、今なぜこのような講習が必要なのかを説くのですが、結局これは「過去の取り組み」の効果が限定的であったことを白状しているようなものです。個人としてのメンタルへのケアに加えて、職場や同僚間でのケアまで強要するあたりは狡猾に「手抜き」をしようとする意図がミエミエです。そしてお決まりの「新型うつ」に対する意味不明の説明。(新型うつの原因を職場や上司との適応や社員のモチベーション管理といった問題にせず、あくまで社員個人のメンタルの弱さに帰結させるのは何の対策にもなりません。)そして、管理職には(フルキズにスゴク悪い)ロールプレイまでさせて、後は皆さんの技量です、のようなことで終えるのですから、EPAというのは無責任かつ気楽な商売です。

EAP企業が本気で社員のメンタルヘルスを気遣うのであれば、まずは経営層のパーソナリティテストをしっかりやって、ストレッサーそのものである所謂タイプAの経営者を「摘発」し、実害が既にある場合には「降格」させることに本気で取り組んでほしい。職場に被害者が出た場合には加害者(通常はその上司)を見つけ出して徹底的に糾弾するとともに、DV同様、被害者から隔離することを提言してほしい。もちろん、経営者が真の顧客であるEAP企業にそんなことは期待できません。

EPA企業の中には、かつてベトナム帰還兵リサイクルのために「発明」され、自己開発セミナーのハシリとなった、センシティブ・トレーーニングを操るキケンな企業もありますね。また、EPA企業を保険会社が顧客企業のリスク管理という点から積極的に活用しています。一方、病院は一個人としての社員が顧客になりますから、当然「顧客指向」で診断書を出します。これをEPA企業は未然に阻止しようとしているようにも見えます。これらを粒さに見ていると何か基本的人権を踏み躙られている感覚を抱きます。

そういえば、以前記事にした「メンタフダイアリー」というトンデモサービスをやっているEPA企業も、自社のリスク管理ができていなかったからか(あるいはその結果か)、EPA大手に体よく吸収されてしまいました。きっとあの程度の軽いサービスでは顧客企業のアリバイにはできなかったでしょうね。

おまけ:いまでも「メンタフダイアリー」を検索すると一ページに出てくるからでしょう、結構そのキーワードでこのブログにたどり着く方が多くいらっしゃいます。今でも何かの役に立っているのでしょうか?

満員電車が嫌われている

朝日新聞の投書欄で満員電車とそこでの人間性のあり方が話題になっています。通勤電車で嫌われる私としては放って置けない話題です。

「殺伐とした通勤電車はつらい」という投書が発端で、今日は「満員電車でも心にゆとりを」という、私も殺伐とした雰囲気を作っていた一人だった事を白状する、37才主婦からの投書が出ていました。(この方によると、私同様に通勤は「毎日が修行のようであった」そうです。これはイイジャナイデスカ!)

EUの学者が東京の地下鉄で乗客の表情を見て、日本企業のメンタルヘルスを憂うコメントを寄せていたのもつい最近でしたね。(←ヨケイナオセワ!)

朝の新宿駅で(明らかに製造物責任が問われるであろう)ホームの端を歩いている方はよほど勇気があるか、何かの理由で早く死にたいか、何も考えていないか、のどれかでしょう。満員電車から出てきて「殺伐」としている人々が行き交う狭いホームにすれすれで電車が入ってくるのです。でも、あそこで死人が出ないのはまだ「心にゆとり」があるからではないでしょうか?

そもそも、満員電車という事象が(たまに痴漢や喧嘩はあるにせよ)毎日成立している日本社会というのはスゴイということを考えて欲しいものです。満員電車は奴隷船と大差ないという研究がありましたが、それでも自動車による交通事故よりは死人は(比率で見るなら)圧倒的に少ないのです。そして、あの理不尽な我慢(修行)があるからこそ、日本の企業戦士(!)や受験戦争(!)というものが成立しているのではないでしょうか?

確かに、満員電車を放置しながらスイカだエキナカとか言って儲けている企業の「貧困なる精神」は嫌いですが、その満員電車で醸成される「人間性」というものはこれから益々必要になると思います。

「ひとから嫌われるシゴト」で感謝される

この秋、シゴトはほとんどそのままで職場だけが変わりました。特殊な部門のため、ほかの部署との組織的な整合が取れなくなっていたものを是正したカタチになっています。そして、個人的には大変シアワセな移動(一部異動も含む)で、上司というものが実質いなくなりました。

一応、前の上司とはシゴトの関係は残ってもラインは別となり、今の部署では複数の上司がいるカタチになったのですが、特殊な部門の業務ゆえにだれも私のシゴトの全容を掴めない状態にあり、また、必ず私がやらなければいけないシゴトも大幅に減りました。それでも給料は変わらないのですから、私の「搾取」もほぼ完成の域に達したのかなと思う日々を過ごしています。

それでも自他共に変に問題にならないのは、普通の人なら嫌がるような「ひとから嫌われるシゴト」を進んでやっているので多くの方からは感謝されているからでしょう。所属している部門が疎かにしてきた(今でも一部疎かにしている)業務の改善なり収拾なりを積極的に引き受けたり、会社全体のルールや他の部門との矛盾を(発見しては)修正するというシゴトをやっているのですが、私の性格や人生観にも合致していて、実に味わい深いシゴトをさせてもらっています。(その具体的な内容をここでは書けないし、書いても分からないと思うので、割愛します。モッタイナイけど、、。)

売上のためなら会社は今までのやり方や少々のことは認めてくれる(少々のことは許される)と信じている方々(つまりは販売部門)が一番私を嫌っています。コンプライアンス重視という私にとっての「追い風」が、彼らには「向かい風」になっていることは間違いありませんが、これが季節風ではなくて、クリーンルームのダウンブローみたいなものであることをもっと真剣に考えたほうがいいと思います。売上のために「少々のこと」をやって退職に追いやられた方が毎年のように出ているのに全く理解できませんね~。(この内容もセコイのが多くてスゴイのですが書けないな~)

上司の嫌い方

上司がガキの場合、嫌い方は意外と簡単です。こちらが自信に満ちた言動で終始ユトリを持ちながら「ハイハイ」といった感じで、何かの弾みで「上司」として気が付いたところや変えたいところをシッカリと認めてあげ、実際は何も変わらないようにしておいて、結果として上手く行かせた後で「タスカリマシタ」などと嘯けばいいのです。

上司がガキの場合、嫌い方は意外と難しいものもあり、嫌うこと自体に虚しさが伴います。こんなガキのために嫌うという大切な感情を使わなければいけないのはモッタイナイと。嫌うことで何か成果があればいいのですが、はっきりとセイカを出してしますと今度はこちらのセイカツが危ない。

結局、上司の上司にそれとなくお話をして、「その気」にさせてしますのが一番の効率的な嫌い方かもしれませんね。詳細はまだ報告できませんが、その内にリアルな記事をアップします。

失敗学を嫌う

新車をぶつけられました。「緊急」経済対策で25万円戻ってくる祟りなのでしょうか、理不尽極まりない状況に陥っています。

詳しくは保険の査定中なので書けませんが、機械式の駐車場で不注意氏(以下F氏)の操作したパレットが私の車のドアを破損したのです。私も危うく怪我をするところでした。問題はその直後、F氏は一切詫びることなく、「死角にいたあなたにも責任はある」と言い始めたのです。交通事故直後に責任を認めるような発言をするな、と教習所や保険会社で教えられたからなのか、非日本人的行動様式に染まってきたからなのか、単に「言い訳人生」の末なのか、傍目には極めて非常識な言動に出たのです。(本当は詳細を書きたいところですが、、、。そしてF氏を嫌うことは月並みすぎてオモシロくないのでやめておきます。)

さて、保険会社や弁護士などと協議をする中であらためてベンキョーしたのですが、どうも畑村教授の失敗学は役立たない。むしろ個人にとっては不利益になることがわかりました。

このような個人の問題では「原因の究明と責任の追及を分ける」ことができる第3者というものは世の中には存在せず、失敗学が頭にあるとむしろ原因を究明する過程で責任の追及が疎かになります。本気で原因を究明すると責任が分散し、対策はいくらでも考え付いて実行もできるのですが、意識の中で当事者に責任を取らせることが難しくなるのです。法律も社会常識も原因=責任であって、その原因や責任もできるだけ絞ったほうが責任も取らせやすいので尚更です。

保険会社から「第3者機関」として派遣されるリサーチ会社というものがありますが、これも甚だ怪しく、当事者間の過失相殺割合を決めるだけで(私の場合は0:100のはず、、)、原因を究明すること自体には関心がない。警察は当然民事不介入ですから、余計なことを言うのは越権行為であり、効力もありませんし、再発防止などそもそも視野にない。損害賠償を請求するとなると、その時間と費用という「経済性の問題」は別としても、今回のようなケースでは共同不法行為を証明することまで必要になり、責任の分散が避けられない。

原因の究明など被害にあった個人にとっては本来どうでもよく、責任者を特定して賠償させることに集中したほうが得策なのです。これを失敗学は阻害します。一度失敗学を修めてしまうと本気で責任の追及をすることができなくなり、「人を嫌うこと」を阻害することにもなってしまいます。イヤァダ~と思う日々です。

テレビ「番組」を嫌う

未だにブラビアを買えません。お金は車の買い替えに伴う補助金25万円を充てればいいし、それで46インチの旧モデルを買えば、また36000円の補助金、、。でも、買う気にならないのです。

ここ数年で急増した、テレビの「番組」というものがヘンです。チャンネルを「廻して」いると生活情報提供番組という枠らしいのですが、売れなくなった俳優なんかを使って(まともには)売れない、怪しい健康食品や化粧品なぞを売る「番組」の方がまともな番組よりも多く放送されている状況にあります。そんなものをリアルな画像で視野を覆って見たいとは誰も思いません。もちろん、カネを払えば、ウィンブルドンも大魔神もBlue Noteも見れるのでしょうが違和感がある。(一番よく見ているNHKだってもう20年以上払っていないので、、。)

これには32インチのトリニトロン管が15年を経ても一向にイロアセナイということもあります。「番組」が嫌いでほとんでテレビを見ない私にとってはそこには何も問題が無いのです。

そんな私をユーキ付けてくれる記事を発見しました。

テレビ1億2000万台のアナログ時代から、テレビ5300万台のデジタル時代に移行して、だれが得をするか?(中略)放送局は、激烈なテレビ離れによって、NHKは受信料収入が、民放は広告収入が大幅に落ち込む。このマイナスと、アナログ放送設備を更新せずに済むプラスをてんびんにかければ、損のほうがはるかに大きい。メーカーは、「簡易チューナー」なるまがい物の生産を押しつけられる分、テレビが売れず損。結局、2011年7月に地デジ完全移行を強行して得をするのは、メンツを保てる総務省と、電波の跡地利用で儲けたい携帯電話会社くらいだ。得する者より損する者のほうが圧倒的に多数。だから地デジ完全移行は延期されるというのが、筆者の判断である。慌てて新しいテレビに買い替える必要はない。(日刊ゲンダイ5月16日号)

実際、先行するアメリカも延長しています。(理由は明快ですが、これは日本でほとんど報道されませんね。)

アメリカの上院が地上デジタル放送への完全移行を4ヶ月延期することを承認したそうです。これを受けて2月17日に完全終了する予定だったアナログ放送は6月まで行われるようになるとのこと。これはオバマ政権が田舎に住む人々や貧しい人々、少数のコミュニティに属する人々に対して地上デジタル放送に完全移行するための準備が十分に行われていないとしたためだとしています。なお、アメリカは当初2006年末に地上デジタル放送への完全移行を予定していましたが、それから丸2年以上が経過した今でも移行がスムーズに進んでいないことを考えると、日本でも同様の事態に陥る可能性が無いとは言い切れないのかもしれません。(http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090127_digital_usa/

思うに、これは「北風と太陽」の通り、番組たる「太陽」がガキとババアばかり相手にしていて、ちっとも「購買決定権者」のモチベーションになっていないからではないでしょうか。しかも、ここ数年は「番組」による劣化が進んでいるのです。背水の陣になっているであろうFM各社の方がよっぽどカイゼンが進んでいると思いますね。(バラカンさん、小曽根さん、達郎さんにはいつも感謝しています。)

全巻を持っている、スターウォーズやインディージョーンズのDVDは見たいので、チューナー無しのモニターだけでも買おうかと思っていた時期もあるぐらいですが、それでは補助金は貰えないしね~。

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