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カテゴリー「スポーツ」の18件の記事

マラソンの仮装を嫌う

地元で初マラソンに出場して3時間48分でした。(パチパチ)

本題です。マラソンはスポーツなのですから仮装は禁止すべきです。

「大会規則、その他の法令及び公序良俗に反するような仮装はもとより、次の①から⑤に掲げる仮装は認めません。」という大会があります。(奈良県)

地元のハーフマラソンは「仮装禁止」と簡単に一行だけあって、実際の大会はとても穏当かつ緊張感に溢れたものでした。

「マラソンは仮装して走れる希有なスポーツ」などといいいい加減な記事も読みましたが、どうも怪しい。論理的でなく、書いている本人も納得していない感情が行間に出ています。

北野たけしがいうところの「萩本さんのところの番組」(かつては「欽ちゃんバンド」)のような偽善的な空気に敏感な私だけではなく、走っていて、ボランティアをしている中学生ぐらいの子供たちが「志村けん」を盗用しただけのツマラナイ仮装をしたランナーに冷たい視線を送っているのに気が付きました。

走っている本人は何かあってそのような仮装をしているんでしょうが、どうも4時間前後その「姿勢」は保てないようで、後半になると周囲のランナーの充実感とは裏腹にとても淋しそうに見えます。

私としては、そのような仮装を許していている主催者(恐らくは元スポーツ選手達)の怠慢も問題にしたい。たとえば、野球や柔道などの高校生大会で眉毛を剃って怖そうに見せようとした選手を失格にした、という話しを参考にして欲しい。

本人のためにも、そしてそれ以上に周囲のためにも、やはりマラソンでは(でも)仮装は禁止すべきです。

サンスポ千葉マリーンマラソンを嫌う

冬の雨の中でのハーフマラソンを「満喫」しました。

まずはランネットに書いた記事を引用します。「不覚」にも多くの方から賛同もされているようです。

http://runnet.jp/report/raceDetail.do?command=page&raceId=34301&userNumber=6909425&pageIndex=3&sortIndex=0

初めて参加。
・1時間以上前に到着したが、通路に不用なモノがあって大混雑し、貴重品預所も遠く、スタートまで余裕が持てなかった。別途指摘の通り、ゲートはもっと開けるべきに思う。また、ゴール後に並ばせてまでお茶の配布をする必要があるのか疑問。広い会場で立派な施設があるのだから工夫はできるはず。歴史ある大会にしては出場者の動線(さらにはニーズ)への配慮が足りない。
・女性のほぼ全員が前方でスタートのため最初の5kmぐらいまでは6分/km程度でしか安全に走れず、記録を伸ばすことができなかった。女性は列を分け、目標時間別に並べて欲しかった。また、スタート直後に全体が急停止し危ない思いもした。コース幅の割に参加者が多過ぎる故か。
・会場の放送は煩いだけで役に立たず、逆に時間を追って必要となる案内が足りない。あそこで演歌を聞きたいアストリートはいないと思うし、テレビ中継のような会話の放送は集中力を削ぐので止め欲しい。
・このような運営が長年続いているのだと思うが、スポンサーやゲスト各位の評判が落ちる事は間違いないので、「大会レポート」に寄せられた意見を参考に改善を検討してはどうか。

妙に「優しい」表現が目立つので 修行不足を感じるのですが、走る方の修行はそこそこの成果はあったようで、後半はダッシュしてゴールまで一気に駆け抜けました。10kmが丁度50分で、21kで1:43です。

冬の雨にどういった準備をすべきか、図書館で本や雑誌を10数冊読んでも頼りになる情報はなく、ネットで調べても怪しい話しだけ。スポーツ用具店を何軒か梯子しても要領を得ずに結局は何も買わずじまいで、当日を迎えました。

恐らくは雨を吸って2kgぐらいは重くなったであろうウエア類や久しくなかった寒気は「修行」としては味わい深いものがありました。滝に打たれて、鉄下駄履いて、寒中水泳したような気分です。

それにしても、メインスポンサーで陸上部を持つスターツとか、かの小出監督とか、サンスポとか、この程度の運営しかできないとは、、、ランナーにとって何なんでしょうか?少しだけ期待した私の修行不足を痛感(痛寒?)できた「豊かな」一日でした。

叫ぶスポーツを嫌う

年末でいろいろスポーツを見ていると叫ぶスポーツと静かなスポーツいうのがあるように思えてきました。

シャラポアは叫びながらボールを打つので相当嫌われているようです。打つ時に奇声を発して打球音を聞こえなくさせているらしく、キタナイとか品性に欠けるという意見のほか、そもそも明確なルール違反ではないかという意見も説得力があります。たまたま日本女子シングルスの決勝戦を録画で見ていたら、服装の表面積ととももにその奇声も真似している輩同士で、ヒドイ奇声が双方から上がり、観戦どころではなくなりすぐに消しました。あれは電車の吊革広告に出ているデパートの下着特売広告でモデルが日本人になったような恥ずかしさです。そういえば、卓球でも煩いのがいますね、福原愛。テニスでも卓球でも男でそんな煩いのはいないんですから、あれば女特有のイヤラシサ(嫌らしさ)なんでしょうね。

客が叫んで煩いのもスポーツとしては全く興醒めです。日本の野球やサッカーはプロも社会人も高校生もスポーツの集中力というものを無視しています。それらを見ているとどうも客自身が「スポーツ」をしているような感覚があるようで、応援ではなく便乗でしょう。これはバスケやバレーもほぼ同じ。これはなにも日本だけはなく、ヨーロッパや中南米のサッカーも結構煩く、南アフリカでのワールドカップでブブゼラを文化として禁止しなかった(できなかった)。最近でも北朝鮮でのアジアカップか何かの試合で動員された「観客」から日本チームが酷い罵声を浴びせられてもその国の「文化」なんでしょうから誰も止められませんね。

剣道も煩い。柔道などほかの武道や格闘技で客が煩いのは他のスポーツと同じ事情としても、剣道だけは罪深い。メンを付けているから「恥ずかしくなく」やっている節も感じられます。ちなみに、空手でブルースリーみないなのはその映画と一部の流派だけで本来とても静かです。(←元選手)

一方、同じ野球でも、バカ騒ぎが国民性のはずのアメリカ合州国では不思議と静かですね。騒ぎたい連中はアメフトとバスケを観ることになっているんでしょうかね。そして、テニス(男子)とゴルフ(男女)は国を問わず静かです。実は大相撲も(スポーツかどうか別ですが)立ち会いの瞬間は静かになりますし、ボーリングも(スポーツかさらに怪しいですが)女子プロ!でも投げ切るまでは静かなもんです。そういえばバスケもかつてフリースローの時は審判が会場を静かにしていた記憶があります。(←元選手でした。最近選手の→)マラソンも周囲の応援なんかどうでもよく、叫びながら走るような輩もまずいない。たまに選手が「励まされた」ようなことを言っていますがアマチュアの私の経験ではそんなものでどうなるものでもなく、発言の意図がどうも怪しい。(今度の箱根駅伝でもコーチがクルマで追っかけて選手に罵声を浴びせる様は放映されるんでしょうか?)

軟式テニスで煩い連中が隣にいて文句を言った話しを前に書きました。もし、冒頭のような女子テニス事情ですから、そのうち隣のコートに硬式テニスの女子が叫びながら打つ輩も出てくることでしょう。そうしたらすぐに近くに行って大声で「煩くて迷惑だ!」と煩く叫んでみたいと思います。

ソフトテニスを嫌う

「何を言っているのか分かりますよね」という言い方はかなり嫌われると思います。事態を理解しているあなたの価値判断はどうなっているのですか、と聞いているのですから。

テニスを20年以上やっていて、初めてソフトテニスというものが如何に迷惑なものかということを思い知らされ、心底嫌いになり、行動に出ました。その時の決め台詞がこれでした。

順を追って説明すると、今日朝9時前から所属するテニスチーム内の練習試合があって半ば(以上に)真剣に取り組んでいました。そこへ11時前、隣接するコート数面を借り切って中学生女子のソフトテニスの大会が始まったのです。何を言っているのかほとんど分かりませんが、とにかく煩い!試合中もその前後も途切れることなく応援なんだか妨害なんだかよく分かりませんが、控えの選手10名以上×2×数面でほぼ全員が大声で何かを唸り続けるのです。試合中だった私の集中力がどうなったかはご想像ください。試合が終わった後にすぐそのソフトテニスをやっているコートに行き、コーチらしき女性(多分顧問の教師)に事情を確認し(いつもこのようにしているのですか?ハイ)、自分の思考を述べ(このようなことへ文句を言っていいのかどうか分かりませんが試合をしていた自分としてはとても不愉快でした!モウシワケアリマセン)、そして冒頭の決め台詞を述べました。

テニスではゴルフ並みにプレー中は静かさが求められるのですから、そんな「暴力」が公共のコートで許される訳がありません。仮に、このような事態が公共の場では日常的に発生していてそれを許容することが求めれているのであれば断固として異議を唱えたい。

実際、大会本部にも文句を言いに行くと、やはり学校の教師らしき30前の男性数名が「運営の経験が浅くてご迷惑をお掛けし~」とのことですから、どうやら一般常識からすれば私の抗議は正当なものだったようです。(逆に経験が豊富な場合には「文句あるか!」だったでしょうか?)そして、行動の効果は多少はあったようで、私がその場所を離れると教師数名が何やら話し合い、生徒を集めて何やら説明し、グッと静かになりました。

ソフトテニスに限らず、野球やサッカーなどでも「教育」の一貫としてそのような「暴力」がまかり通っているようです。『うるさい日本の私』が学校推薦図書になっても意味が無いことが証明されます。そして、場所が持つ公共性を考慮するならばもっと重要な「教育」があるはずです。何を言っているのか分かりますよね。

東京マラソンを嫌う

「24時間テレビを嫌う」という記事を書きましたので、既に「24時間テレビ」化したこの商業イベントを敢えて嫌うつもりはありませんでした。

しかしながら、海岸線から離れることを多くの国民が強要されているこの日に湾岸埋立地のあのような場所にゴールを構えて平然と開催する「非国民」的行状、(確信犯のテレビ東京を除けば)主要な民放すべてが通常放送を津波報道に切り替えているのに陳腐な「お涙」映像を流し続ける日本テレビの感受性の低さ、そして、小笠原ほか東京都の島々に津波警報が出ているのに会場から嬉しそうに「都民が一体となって・・」などという間抜けなコメントをしている石原都知事。これらを見ていると何故に「東京マラソン」なる紛い物が強く非難されないのか不思議です。少なくても社会正義の視座からの批判は今のところ無いようなので、この場で嫌うしかありません。

そもそも、東京マラソンをはじめとする、低俗な商業化したマラソン大会はもっと馬鹿にされていいはずです。あのスタート直後のカブリモノのバカモノ達へのマジメなランナーの迷惑そうな視線を見るだけでも十分に嫌悪感がそそられます。そしてだらだらした運営。「24時間テレビ」との相性はきっといいのでしょうね。

もちろん、マジメで地味な市民マラソン大会まで否定するものではありません。地元テレビ局ぐらいしか取材に来ないからでしょう、カブリモノのバカモノも浮いてしまう、あのストイックなフンイキは大切にしたいものです。

遅ればせながら、明日の新聞の同業者を揶揄する欄(何と呼ぶのでしょうかあのページは?)や、数日後に読者からの投稿を使ったセコイ手法なんかで「問題」にするんでしょうね。鳩山首相には「東京都知事はマラソン大会なんかやっている場合ではありません」と言って欲しかったな~(支持率も上がっただろうにね~)。

「おはようございます」を嫌う

どうやら最近パチスロ業界と縁を切ったらしい、メンタフダイアリー風に、、。

pencil起こったこと

早朝、ジョギングをしていると見知らぬ人々が「おはようございます」と声を掛けてくる。オジサンよりはオバサンの方が多く、若い人はまず声は掛けてこない。もちろん知り合いではなく、相手は歩いているがこちらは走っているので突然言われたような状態になり、気が付いたときは真横か後方にいる。故に、返事はできない(もともとするつもりも無いのだが、、)。

pencilその時、頭に浮かんだ考え

挨拶の押し付けは迷惑だ。返事をしないと妙な罪悪感が残ってしまう。その事を半ば分かっていながら挨拶を一方的にするのは実に無責任な言動である。

pencilそう考えた根拠

あれは相手=私のために挨拶の言葉を発しているのではない。自分自身の(気分を良くする)ためだ。多くがこちらの目を見て言っている訳ではないことからもそれがいえる。そもそもジョギングをしている人でまともに返事をしている人を見た事はないし、無理にしようとすれば呼吸や走るペースが乱れるだろう。そうだ。あの「おはようございます」が嫌いで、ジョギングは夜明け前にするようになったのだった。

pencil別の自分だったら

大した考え無しにああした言動をしているのがほとんどだろうから無視すればいいのではないか。それに返事が出来ないことぐらいで罪悪感に駆られる必要は全くない。それが合理的な考え方だ。もしもいちいち挨拶を返していたら、ジョギングにならないし、宗教団体の会合に誘われたり、洗剤を買わされたり、いきなり刺されたりするかもしれない。相手は「見知らぬ他人」なのだから、これは現実の問題だ。

pencil現実的な着地点

いつも「おはようございます」と得々とした顔つきで大声で言うあのオバサンの前で立ち止まって、一度自分の仮説を検証してみよう。「なぜ私に挨拶をするのですか?」「ジョギングをしているこちらが返事をできないことはご存知ですよね。」「何か目的があるのですか?」まともな答えなど期待しない。たじろぐオバサンが次から静かになるだけで検証は十分だ。でも「目的がある」場合には十分気を付けよう。

pencil気分の変化:

嫌悪感の強さ 65%  → 45%

、、という事態は2年前とほとんど変わっていませんので明日も4時起きして、身勝手なオバサンが出没する前に一走りするようにします。また報告します。

オリンピックを嫌う

中国でのオリンピックはナチス並みに政治目的が明白なのに、(MLBなどを除いて)参加を取りやめた国や競技者が無いのは、スポーツ関係者がノンポリなのではなく、積極的にこの「政治力」を利用しようという意図があるからでしょうね。この点はマスコミも同様です。

とはいえ、この2週間ほど、定時退社に近い状態でした。特に、日本選手が活躍した、水泳、一部の柔道、卓球、女子のレスリングやサッカー、ソフトボール、陸上400mリレーあたりは印象深いものがありました。逆に元々期待もしていなかったので、野球、体操、男子サッカー、男女マラソンなどはどうでもよかった。

CMや下品な演出といった「ノイズ」が少ないので、(長年受信料を払っていない)NHKしか見ないようにしていますが、遅れて始まるニュースの中で、(BS契約率アップのために)松坂や松井がどうしたなどと米国のプロ野球の「宣伝」をやっているのは実にセコかった。(不慣れな女性アナウンサーを現地に派遣したのも何かあったのでしょう。)

それなら、オリンピックにしても、NHKにしても嫌なら見なければいいという声が聞こえてきますが、平凡な日々にあって「人を嫌う修行」という点でもそこそこに充実した成果を得られるのは魅力的です。いくつか列挙します。

  1. 応援と称して奇抜な格好をして会場にいる、金とヒマのある連中の自己顕示欲をなんで満たすのか?あれは競技者の集中力を削ぎ、文化や民度というものを貶める国賊であろう。そして、そんなものまで放映するのは明らかに偏向報道やヤラセと同列ではないか。中国政府ならやってくれるだろうと期待したが放任されていた。あれは「先進国」のバカを晒しものにすることで国民を教育しているのだろうか。
  2. メダル数の比較は不公平ではないか?その競技の人数、その国の人口、さらには競技人口などを精査して加重平均をすべきではないか?水泳や体操など一人でいくつもメダルを取れる競技と、サッカーや野球など10人前後のチームでひとつしか取れないメダル数を単純に合計して同列に論じるのは不公平極まりないし、人口を分母に計算すれば恐らくは中国など中位以下だし、競技人口を分母にすれば馬術や近代五種など誤差の範囲だろう。
  3. テニスはなぜ無視されるのか?野球を廃止する理由にMBLが協力しないということがあるようだが、ロゲ会長は「テニスではフェデラーやシャラポアが出る」というのであれば、各局に強制的にテニスをしっかりと放送させ、その効用を認知させるべきではないか。
  4. どうでもよかったマラソンですが、国別に枠が決めているのであれば、なぜ補欠出場させないのか?同じ陸上でもリレーなどは補欠も出ているのに。あれは、体調管理も競技の一部と見做しているからなのか?

などなどいろいろあります。オリンピックといっても所詮は紅白や仮装大賞や24時間テレビのようにマスメディアは「視聴者」を取り扱うのでしょうから、雑感も注意していないと偏向しますね。

テニスを目的にする輩を嫌う

たかがテニスなのですが今日は熱い(暑い)一日でした。午前9時から午後6時まで、草テニスの男子ダブルスを計6試合やり、その後テニス仲間とさらに熱い時間を3時間ほど過ごして先ほど帰宅したところです。

以前書いた通り、私のテニスに対する取り組み方は苦行僧のそれです。安易な小技には一切走らず、試合に勝つなど二の次。自らの修行(練習)に法り、どこまでも自己(が習得したワザを試合で)実現すべく心身を削りながら(確かに痩せます)、周囲の目も気にしないで自己との対話を続けます。ダブルスでもその姿勢は同じで、ペアのことはあまり考えないようにしますし、下手でもあまり気になりません。

ところがテニス仲間の一人にそのような姿勢を強く批判する方がいて、飲んでいるうちに2時間近く熱い議論を戦わせてしまいました。(一般には絡まれているというのかもしれません。)要点はシンプルで、テニスは勝つことが目的であり、そのためには手段を選ばず、すべてを尽くすべきだという主張に対して、学生時代にテニスをやってきた連中(ちょっとプレイを見れば分かります)や毎日テニスをやっている連中(試合慣れだけはしているのこれもすぐ分かります)を相手に社会人になってから始めた週末プレーヤーが勝てるとは思えないのだから、不用意に相手の土俵には乗らず、試合を通じて少しでも「自己実現」を達成すればよいのではないかと主張し続けたのです。

平行線の議論を通じて納得したのは、テニスを目的と見るか、手段と見るかの大きな違いです。別にテニスでなくても、例えばブログも同じです。アクセスやコメントを増やすこと(=自己顕示ないしは他者からの承認)自体が嬉しくて目的化している方と、あくまで何かを実現するためのひとつの手段として粛々と書かれている方はすぐに分かります。(商売にしようと虚しい努力をしている方も確かにいますがここで類型化したい対象とは別世界なので捨象しておきます。)

そして、テニスをやる意味合いは様々で全く構わないと思うからでしょう、テニス(で勝つこと)を目的にするのは当然であり、そうしなければいけないという主張を他人に押し付ける方には猛烈な嫌悪感を持ちました。ニコニコしながらこちらは言いたいことはすべて伝えたので、もうペアは組んでもらえないでしょうね。これも「豊かな」人生のひとコマです。(補足するなら、その方は元国体選手だったのでこちらの姿勢を邪道に感じたのでしょうね。)

マメに嫌われる・三題

最近、人から嫌われることがメッキリ少なくなったように思います。「修行」が足りずに嫌われていることを正確に受け止めていないからなのか、「人間嫌い」の実践が過ぎてしまってあからさまに嫌われるような場面がほとんど日常から無くなっているからなのか、あるいは、単に無視されているからなのか。ヒリヒリするような嫌われ方を通じて初めて体感できる、ホンモノの嫌悪感がこれまでの人生をいかに「豊か」にしてきたかを思い起こすと、これは問題です。感受性も鈍ってしまって危険ですらあります。

そんな思いで日常を振り返ると確かに嫌われた(かもしれない)出来事が無いわけではありません。今日は特にヒマなので最近の出来事をマメにメモしておきます。

1.テニスコートでのお怒り

近くの公営テニスコートは朝9時から予約できるのですが、その30分ぐらい前に行っても空いているので一人でサーブの練習などをしています。もちろん9時から予約してあるコートで、です。管理人にはいつも軽く挨拶をしてから早めにコートを利用させてもらうのですが、ある朝いつもの通りに練習していると、管理人がいきなりコートにやって来て「管理人をなんだと思っているんだ」と怒ってます。日頃挨拶をしても返事はほとんど無く、「xx面をyyさんで予約してありますので早めにコートに入ります」などと言っても何の反応もないので、少しでも「お仕事を減らす」ように、確認作業を求めるような言い方もこの数ヶ月は止めていました。とても区役所の役人(嘱託?)らしく、「仕事」を矮小にしている点がとても分かり易かった。でも、軽い挨拶程度では「役人」として無視されているようで嫌だったんでしょうね。(「区民の声」を無視しても平気なのに。)「(コートの使用を)言ったり言わなかったりで済みませんね!」と微妙な言い回しで大声で「詫びる」とそれで終り。その後に私が「時間外」に施設利用をしていても咎めることももないので、職務に怠慢でも忠実でもなく、単に何かの発露を求めていたようです。でも私はこの管理人を嫌いではない。こちらは何も期待する必要がないんですからコートではテニスだけに専念できます。もちろん次になにかあれば「区長への手紙」の主人公になってもらいますが。

2.迂回する歩行喫煙者

以前書いた「歩行喫煙者との戦い」のその後です。以前は毎朝定時に家を出ると最寄駅までの約10分間に5人ほどの歩行喫煙者とすれ違っていました。戦果なのか、これが今では2人にまで減りました。この消えた3人の内の1人にたまたま「再会」しました。結構遠回りになる裏道を使っていたんですね。とても気の弱そうな50歳ぐらいの小柄な男性でいつも地味な上着と古びた黒カバンを下げています。その時もやはり歩行喫煙していましたが、私のことを察知すると気まずそうな表情で下を向いてしまいました。少なくても5分は余計に歩かなければいけないコースを私を避けるために毎日使っているんですから、私も十分に嫌われているんですね。確かに身内からも、私の「嫌な顔」の時の表情はとても嫌になる顔だと指摘されていますから、そんなものを毎日見るのは嫌かもしれませんね。多分私も何かの理由でそんなのが毎日出てきたら迂回ぐらいはするかもしれません。不幸なニコチン中毒患者のためにも、路上禁煙条例を早く拡大してもらいたいものです。

3.週一の「谷地健吾」のファン

今時のブログはアクセス解析機能が充実しているので、頻繁にアクセスしてくる読者は概ね把握できます。「NHK谷地健吾アナウンサーを嫌う」という1年半前の記事へのアクセスはいまだに続いていて、よくよく調べると「週一」ぐらいの頻度で訪れてくれる方がいるんです。「谷地健吾」のファンが何か「進捗」がないか監視しているんでしょうか。このほか、月一の方や、立て続けにアクセスが続いた同県人の皆さん(多分連絡し合っている?)もいます。確かに、「谷地健吾」とGoogleに入れるとWikipediaに続いて2位(Yahooで3位)なので、「谷地健吾」のファンなら気になって一度はアクセスすることでしょうね。嫌う記事が嫌われると目立つようになるのはブログと検索エンジンが作り出すの面白い現象ではあります。とは言え、週一というのはストーカーのようにスゴーイ。以前にあるファンらしき方から自問自答のようなコメント(「自分は何様のつもり?人に意見できる立場?あなたが嫌でも認めている人はいるはず。嫌いなら見なければいい。」)もありましたが、この方ではありません(多分)。「週一」のマメな方は「谷地健吾」本人!?

マメに嫌うのもマメに嫌われるのも「修行」です。

日本相撲協会を嫌う(朝青龍を救え!)

朝青龍の一件は、日本相撲協会のみならず、日本社会が「メンタルヘルス」をいかに恣意的に扱い、その本質から何も学んでこなかったか、が露呈しています。次の記事に、皇室の嫁でも、セコイ大臣でも、いじめられた側(あるいはいじめる側)の小学生でも、私のような会社員でもいいので代入してみてください。これでは自殺幇助です。

朝青龍 モンゴルで治療の可能性 (85デイリースポーツ)

日本相撲協会から2場所出場停止などの処分を受け、ノイローゼ状態とされる横綱朝青龍(26)=高砂部屋=がきょう5日、都内の自宅で精神科医の診察を受けることが4日、分かった。日本相撲協会の正式処分が下って以来、姿を現さない朝青龍は、この日も都内の自宅に籠城した。主治医の平石貴久医師は前日、精神面のケアのため母国モンゴルでの治療を勧めたが、師匠の高砂親方(元大関朝潮)は、時期尚早との判断で要請を受け入れなかった。だが、専門医の診断によって、帰国治療も現実味を帯びてくる。4カ月の謹慎、2場所連続出場停止などの処分を受けた朝青龍が、精神科医の診断を受けることが決まった。ショックからノイローゼ気味となり、依然自宅から一歩も出ていない横綱に対しては、主治医の平石氏が、母国モンゴルでの静養が一番と判断している。しかし、高砂親方は「順序が逆。まず会見を開くなり、ケジメをつけないといけない」と注文をつけた。また、前日夜に、朝青龍本人から電話があったことを明らかにし「やるべきことをやるのが先。動じる気持ちも分かる。つらいかもしれないが、ここは我慢だ」と諭したという。同親方は「周りの人に迷惑をかけたことを自覚し、自分の気持ちをしっかり持って乗り越えていかないといけない」と話した。1日に正式な処分が下ってから、いまだ朝青龍本人の会見も開かれていない。このまま黙ってモンゴルへの帰国を許可してしまっては、再び非難を浴びることは必至だ。相撲協会内でも、日本を離れれば、監督の目が行き届かないと危惧(きぐ)する声もある。北の湖理事長(元横綱北の湖)も「理事会が終わってからまだ2、3日。精神的に苦しんでいることは聞いているが、気持ちを落ち着かせるためにモンゴルに帰るというのは許されない」と述べた。だが、専門医の診察を受け、故郷での治療がベターと判断されれば、人道的な見地から帰国が認められる可能性もある。()

医師や家族といった拠り所を剥奪された人間がいかに脆いかは既に多くの事例が示している通りです。自責の念に駆られ、自問自答する時間を過ごす中、俄かに自殺というコトバが現実味を帯びて迫ってきます。一義的な意味での「篭城」することで辛うじて自分を保っているのに、「ケジメ」「我慢」などと廃れかけた風習にすがってそこから引きずり出そうとしているのですから、これはほとんど暴力でしょう。自殺に到らなくても、このストレスが適応障害や鬱病を引き起こしたら、朝青龍の家族は労災認定を申請できるはずです。

こういった事態に到らないためにこそ日本相撲協会はあるのではないでしょうか?今回の経緯は報道の通りだとしても、難しい判断を強いられ冷静さを欠いている当事者に、医師の診断を踏まえ、適切な指示を与えてこそ「相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与することを目的」(同協会サイト)にしている協会の存在意義ではないでしょうか?報道されてくるコメント読むと、単に組織の面子を維持するために犠牲者が出ても止むを得ない、というココロが見えてきます。

そしてこの一件は、「メンタルヘルス」を声高に語る日本社会が、実はそれを流行りコトバやひとつの方便として「消費」しているだけであり、人道まで持ち出さなければ治療すら許されない社会であることを如実に示しています。