無料ブログはココログ

« 祝・70kアクセス | トップページ | 続・鉄道会社の横暴を嫌う »

箱根駅伝を嫌う

最近、私もランナー化したからでしょう、昨年までとは違う目でテレビを眺めていて、この「騒ぎ」への嫌悪感が沸々と湧いてきました。

確かに以前から、かの偽善番組「24時間テレビ」と同じ手法のお涙頂戴トピックスや(実況を中断して!まで流す価値があるとは思えない)安っぽいエピソードの録画挿入などの番組編集、絶叫調(陶酔調?)のアナウンサーやパチスロ屋などスポンサーを選ばない(選べない)局の事情などなど、この種のスポーツ番組で日本テレビもTBS並みだと気が付いていはいます。このようなコンテンツ自体がオモシロイ中継で過剰な演出は全く不要であると思っていて、今回もその感はさらに強くなったのですが、それに加えて(TVを買い替えて音も画像もリアリティが出たからか)以下のイベントそのものについての事象が嫌悪の対象に加わりました。

・監督が付きっきりで選手に「箸の上げ下げ」を叫び続けるスポーツは他には無い。しかもその内容は大学生へのコトバとしてはとても聞くに堪えない幼稚さで、世間ではパワーハラスメントと呼ばれるような内容も含まれています。ランナーとして心技体を自覚しながらゾーンに入っていくところにランニングの価値があると思っているので、確かに「駅伝がマラソンをダメにした」ということはあるのでしょう。

・沿道の観客というものが浮かれているのも悪いのでしょうが、事務局や警察が拡声器を使って「歩道に上がれ」「旗は頭の上で」などと怒鳴りづづける中でスポーツというものが成立するのか。さらには「カメラ車、前にいってください」といった業務連絡まで。そこには救急車が交差点に差し掛かるときに拡声器で「どけ~」風に叫ぶ際に持っているであろう優越感と同質のものを感じます。

・そのような騒音をロクにカットしない(できない)日本テレビもセンスと技術力に欠けている。臨場感というものはその場、その一瞬に味わうものであって、それが延々と続くと煩い。一方で、アナウンサーの絶叫や(不当に音量を上げた)CMが加わるのですからこれに付き合うこと自体が「修行」になってしまう。

また、このような「騒ぎ」を仕事の例え話しに持ち込むバカが(近くに)います。基本的な間違いは、所詮駅伝は「足し算」で結果が出るので優秀な選手を集めれることができれば確実に成果が上がるということです。資金力や練習環境などを含め、優秀な選手を集める力量がそのりーだーなりチームなりにあれば、後はその優秀な選手をそっとしておけばいいのです。(競争馬と大差ない?)そんなヒトを集める力量もリーダーシップへの洞察も無いリーダーが部下に例え話として何を言いたいのでしょうか?きっと、仕事の目的も方法も間違っているということを身に抓まされるまで周囲を不幸にしながら続くんでしょうね。

もちろん個人の優秀さを損ねる悪いリーダーやチームというのも確実に存在しますから、邪魔をしないだけで「いいチーム」となる場合もあります。(←いまの私の環境です。)

でも、企業活動というは本来「掛け算」でやらないと効率が悪く、資本を増やすことはできないものです。ドラッカーの前にマルクス経済学を学びましょう。

そもそも、成果主義に何か価値があるような風潮の中で箱根駅伝が持て囃されるのは大変キケンなのです。個人が成績を上げていても、何かチームの力のお陰であるとしないと許されない、いい時はチームの力、でも悪い時は個人の責任、という事態です。

そんなことを考えてこのブログに書き綴りながらテレビを観ていましたが、学生数1位の「大企業」大学が大恥をかく様や、逃げ切りで優勝するというあの学校に相応しいセコサを新年早々に見るのはとても気持ちのいいことでした。(来年に続く)

« 祝・70kアクセス | トップページ | 続・鉄道会社の横暴を嫌う »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/172974/50478891

この記事へのトラックバック一覧です: 箱根駅伝を嫌う:

« 祝・70kアクセス | トップページ | 続・鉄道会社の横暴を嫌う »