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ヒトを嫌う修行の近況

4ヶ月振りに記事を書きます。

ここ数ヶ月は妙に順調に事が運んでいるので嫌うものが無くなってしまうのではないかという危機意識があります。仕事はもちろん、ジャズ、英語、テニス、通勤電車、野良猫への餌やり、路上喫煙、捨て看板、NHKなどに関係して、いろいろと嫌ってきた成果なのか、ある程度理不尽であっても我慢をしてしまうという感性の怠慢なのか、特段今の自分の認識以上に嫌う思考を深めなくても済んでしまっています。

もちろん、通勤電車ではドアを背にする輩とは毎日戦っていますし、(「悪い」ではなく)「嫌いな」景観そのものである捨て看板も積極的に捨てています。傍目にはマジメな「修行者」なんでしょうけれど、一度身に付いた嫌う思考と行動が、大した苦労もせずに事を「処理」してしまうので、何か危険なものを感じています。こんな状態を指すのかどうか怪しいのですが、自動思考という概念がありました。

一方、これを人間の成熟などと勘違いすることがないように内省しているので、それらしい事象に出会ったときには深く思考することとそれに忠実に行動することは忘れないようにしています。先日も近所の一部上場企業の事業所から出る騒音では徹底的に戦って、成果もありました。仕事も日々似たようなものです。嫌悪感を大切に育てるということを蔑ろにしているわけではありませんが、妙に順調に「ヒトを嫌う」思考と行動ができるのでモノ足りなさを感じる日々なのです。

こうした嫌悪感を誤魔化さずに修行として受け止めることで培われてきた世界観なり行動様式なりが限界にくるような事象や環境に身をおかざるを得なくなると、きっと(また)病に陥るのではないかとも思っています。だからこそですが、会社ではエラクならないように、家庭では一人でいるように、趣味ではお金と時間を使わないように(←関係ない)、社会ではまっすぐ前と足元だけを見るようにしています。

そのうち個々の事象で記事を書くようにしたいと思っていますが、記事を書くために嫌悪感を醸成するというのは何かヒトノミチに外れてい考えますので、まずは過去の記事でも読み返して、「その後」を思考してみます。

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コメント

「嫌悪感を誤魔化さずに修行として受け止める」 このフレーズ好きです。 これが大切なんですよね。 一昨日も親戚のある人に対して嫌悪感を感じました。 いいオバサンのくせして派手な服装なんですよね。 嫌悪感です。 こういう嫌悪感が人生を豊かにしてくれるんでしょう。

amiciziaさん
豊かな人生を過ごしておられるようで何よりです。
嫌悪感を受け止める修行は間違いなく思考の奥行きを深め、その分、ささやかなものへの感受性を高めてくれますね。
また、愛情の表現というものが国民性や個性などで様々であっていいのと同様、嫌悪の表現というものも様々だと思いますから、型に嵌ることなく修行をすることでさらに豊かな人生をもたらすものと考えています。

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