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失敗学を嫌う

新車をぶつけられました。「緊急」経済対策で25万円戻ってくる祟りなのでしょうか、理不尽極まりない状況に陥っています。

詳しくは保険の査定中なので書けませんが、機械式の駐車場で不注意氏(以下F氏)の操作したパレットが私の車のドアを破損したのです。私も危うく怪我をするところでした。問題はその直後、F氏は一切詫びることなく、「死角にいたあなたにも責任はある」と言い始めたのです。交通事故直後に責任を認めるような発言をするな、と教習所や保険会社で教えられたからなのか、非日本人的行動様式に染まってきたからなのか、単に「言い訳人生」の末なのか、傍目には極めて非常識な言動に出たのです。(本当は詳細を書きたいところですが、、、。そしてF氏を嫌うことは月並みすぎてオモシロくないのでやめておきます。)

さて、保険会社や弁護士などと協議をする中であらためてベンキョーしたのですが、どうも畑村教授の失敗学は役立たない。むしろ個人にとっては不利益になることがわかりました。

このような個人の問題では「原因の究明と責任の追及を分ける」ことができる第3者というものは世の中には存在せず、失敗学が頭にあるとむしろ原因を究明する過程で責任の追及が疎かになります。本気で原因を究明すると責任が分散し、対策はいくらでも考え付いて実行もできるのですが、意識の中で当事者に責任を取らせることが難しくなるのです。法律も社会常識も原因=責任であって、その原因や責任もできるだけ絞ったほうが責任も取らせやすいので尚更です。

保険会社から「第3者機関」として派遣されるリサーチ会社というものがありますが、これも甚だ怪しく、当事者間の過失相殺割合を決めるだけで(私の場合は0:100のはず、、)、原因を究明すること自体には関心がない。警察は当然民事不介入ですから、余計なことを言うのは越権行為であり、効力もありませんし、再発防止などそもそも視野にない。損害賠償を請求するとなると、その時間と費用という「経済性の問題」は別としても、今回のようなケースでは共同不法行為を証明することまで必要になり、責任の分散が避けられない。

原因の究明など被害にあった個人にとっては本来どうでもよく、責任者を特定して賠償させることに集中したほうが得策なのです。これを失敗学は阻害します。一度失敗学を修めてしまうと本気で責任の追及をすることができなくなり、「人を嫌うこと」を阻害することにもなってしまいます。イヤァダ~と思う日々です。

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コメント

「死角にいたあなたも悪い」というのは笑える言い草ですね。
そもそも死角って 誰にとっての死角かというと ぶつけた側です
日本語になってませんね 私にとっての死角であって 万人に
とっての死角ではありませんよね。
それから 失敗学の話ですが 私は畑村教授の失敗学は きらい
ではありません(o^-^o) FADさんにとって 失敗 でしたか?
ちなみにですが 私の場合 交通事故の場合はその現場で 示談
書を書いて決めてしまいます。 過去に2回事故をやりましたが
いずれも現場で示談書を書いてしまいました。 時間がたつと双方
知恵がついたり 気持ちが変わったりしてしまうからです。

Amiciziaさん
死角の話しですが、警察を呼んだ際にはもっとお笑い草の話しがでました。「そこにいることをアピールできなかったあたなも悪い」(大笑い!)警察は民事不介入であり、効力は全く無いのですが、F氏は我が意を得たり風でした。そのうち査定が出てくると思いますのでまた報告しますね。
示談は自分の保険を使わないでも(等級が下がるよりは安価に済む程度なら)可能と思いますが、過去を振り返ると私の場合難しいですね。
過去25年で自損1、被害1、損害(対物)1なのですが、どれも6桁の費用だったもので。

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