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「私の嫌いな10のジャズ・ミュージシャン」(その2.女性のジャズ・ミュージシャン)

「女性の」でも「女流」でもいいのですが、そのような枕言葉のつくジャズ・ミュージシャンを私は嫌います。

ゴルフでよく名前の後に「プロ」を付けて「青木プロ」などと呼んでいますが、これはプロとアマの区別をする必要がある(程度に差が無い)からでしょう。この人プロなんだからヨロシク、と同時に言っている訳です。同様に、「女流〇〇」という表現を使う時は、女性なのにここまでがんばっている、女性だって分からないぐらいでしょう(けれど男のようなパフォーマンスがないのはゴメンネ、ヨロシク)といった響きがあります。

そこでまず例外から始めます。秋吉敏子。あのレベルまで行くと、男女は関係なく、ひとりのジャズ・ミュージシャンとしての強烈な個性を感じますから、そもそも「女性」といった接頭辞は全く必要なく、実際だれもそんな事は言わない。商業主義とは無縁で過小評価された時期がありますが、とにかくあのBig Bandの音は唯一無二でその存在感は凄い。Duke EllingtonCount Basieに十分匹敵するのではないでしょうか。

もうひとつ、全てのジャズ・ボーカリストは別としたい。この言葉、ジャズは形容詞に過ぎず本質はボーカリストです。これには男女の区別はあるがそれぞれに固有の味わいがある。故に私は嫌いではない。

さて本題ですが、実は、具体的に嫌いなジャズ・ミュージシャンの名前を挙げるのは少々難儀なのです。Jone Coltraneの未亡人Alice Coltrane (Harp) Gil Evansの娘のSue Evans (Ds) のような七光り系は「論外」としておきましょう。Stan GetzのグループにいたJoanne Brackeen (Pf) のように名前すら記憶が定かでない方もここでは別にします。このブログの読者は誰も分からないでしょうし、私も怪しい。

では、だれを嫌っているのかといえば、アルバム表紙写真で「美形」を売りにしている輩、特にここ数年やたらに出回っている日本人女性のジャズ・ミュージシャンです。元々がお稽古事やクラブ活動として始めたからでしょうか、PfSaxが多いようです。クラッシクからの転向者も多いのですが、兼業ではない点はまだ良しとしましょう。もちろん演奏は押し並べて面白くない=下手。

その昔(今でも?)、スイングジャーナル社が発刊しているアドリブ誌の人気投票には「ルックス」という恐ろしい項目があり、カシオペアの櫻井哲夫が一位だった時期もあったようですが、これはその読者層(古い言い方ですがアンノン族と大差ない)を想定していたのかもしれません。なので、男にも「見かけで勝負」の輩がいますから女性差別はいけません。男女とも「美形」を売りにするジャス・ミュージシャンを私は嫌います。ジャズは目を瞑って聴くものです。(注:カシオペアはジャズではない、という真っ当な意見には従います。単にほかの「一位」を忘れただです。)

また、「美形」とは無縁に、ジェンダーフリー的なイデタチの方(例:高瀬アキ)もたまにいますが、これも嫌いです。音を聴いて特別スゴイ訳ではないのに、その容姿を見るとスゴイのですから興醒めします。

少し脇道に反れますが、ジャンダーフリーと言えば、最近スゴイことになっている日経のブログを発見しました。ご興味のある方どうぞ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20060710/105975/

さて、女性に社会思想家や哲学思想研究者はいても、哲学者はいない、という主旨の中島義道の主張がありますが、同じような意味合いから女性ジャズ・ミュージシャンというのは一種の形容矛盾だと思っています。女性ボーカリストはいても、女性ジャズ・ミュージシャンはいない。これは要するに女性らしいジャズというのは無いと私は考えているからです。同様に男性らしいジャズもない。ジャズの歴史自体がほとんど男性の世界そのものだからです。これは大相撲に女性の関取がいないのと同じような話しです。女性らしい相撲って想像できますか?オゾマシイ~

それでも職業選択の自由はあるのでしょうから、別に構わないのかもしれませんけれど、私としては特別な才能が無い女性があえてジャズに身を窶すのは刹那さを感じます。丁度今やっている女性のサッカーWカップの試合を見るような刹那さです。

…とは言え、こちらで紹介されたように前途有望な方には是非ともこのような状況は打破していただきたいものだなと思いますね。

http://amiciziajp.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_1.html

あそこまで律儀にCharlie ParkerCannonball Adderleyを研究しつくして、「再生」してくれた男性を知りません。あれは一種の女性らしいジャズかも。(人生まで真似しないようにして頑張ってねぇ~。)

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コメント

こんにちは。
ジェンダーフリーの運動には疑問を感じることがあります。
女性としても、辛さは取り除いてほしい。
女性としての、楽は失いたくない。
それが行き過ぎると、人間としての何か大切なものを失ってくると思うのですが。。

紹介された日経記事は、すごいですね。
こういう考えが、女性に支持されるのでしょうか。

[返信]
コメントありがとうございます。
ジェンダーフリーという概念は学生時代には新鮮だったのですが、今では復古調に響きます。
その意味であの日経のサイトに出てくる、タレント、エッセイストを名乗る遥洋子という方には悲哀に似たものを感じますね。個人としての劣等感なり、恨みなりをジェンダーフリーに託すと一時的にメディアに注目はされることはあるかもしれませんが、結局は「消費」(使い捨て)されるだけになるでしょう。
ところであのサイトのコメントをよく読むと、辛辣な内容は女性からの方が多いようです。とても支持などされる存在ではありませんね。(FAD)

 女性ボーカリスト、女性バイオリニスト、女流詩人、これって、たぶんみんなルックスがおよろしい方々で、技術レベルはまあそれなり、というのをあらわしてくれる言葉なので判断するときの逆説的基準になりますね。これもどうかなあと思いますが。
 遥洋子という女性はジェンダーフリーの急先鋒である東京大学の上野千鶴子の研究室に芸能人になってから”通った”(学位をとったわけではない)人間で、それを売りにしているわけです。
 しかし、テレビ媒体などをみると、単なる薄っぺらい受け売りの女性論のヒステリーであって、それ以上の内容はないことは、あのブログを見てもわかると思います。上野も利用されているのでしょうかね。
 いくら、上野のところにいたことを売りにしても、大衆は直ぐにレベルの低さを感じ取る。芸能人(くずれ)ならば、その前にそのようなマーケティングも理解しなければならないのではないかと思うのです。
 しかし、レベルが低いですね。電力の無駄遣いですね。

[返信]
こちらにもコメントありがとうございます。
「プロ」「女流」などの表記はその分野の後進性を表す場合もありますが、多くは「よろしく」だと思っていますから、確かに基準にもできますね。
上野千鶴子は20年ぐらい前から、いくつかの著作やコメントなどを通じて社会学者としては「社会」に貢献している「学者」のひとりだと思っていましたから、逆に遥洋子には強い違和感があります。「受け売りの女性論のヒステリー」がそれを商売にする事で迷惑している人は多いでしょうね。なんでもっと叩かないのでしょうか。これを放置しておくのは良くない(モッタイナイ)と思って、私も投稿しています。掲載されなかった時には自分のブログの記事にする予定です。(FAD) 

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