「ひとから嫌われるシゴト」で感謝される

この秋、シゴトはほとんどそのままで職場だけが変わりました。特殊な部門のため、ほかの部署との組織的な整合が取れなくなっていたものを是正したカタチになっています。そして、個人的には大変シアワセな移動(一部異動も含む)で、上司というものが実質いなくなりました。

一応、前の上司とはシゴトの関係は残ってもラインは別となり、今の部署では複数の上司がいるカタチになったのですが、特殊な部門の業務ゆえにだれも私のシゴトの全容を掴めない状態にあり、また、必ず私がやらなければいけないシゴトも大幅に減りました。それでも給料は変わらないのですから、私の「搾取」もほぼ完成の域に達したのかなと思う日々を過ごしています。

それでも自他共に変に問題にならないのは、普通の人なら嫌がるような「ひとから嫌われるシゴト」を進んでやっているので多くの方からは感謝されているからでしょう。所属している部門が疎かにしてきた(今でも一部疎かにしている)業務の改善なり収拾なりを積極的に引き受けたり、会社全体のルールや他の部門との矛盾を(発見しては)修正するというシゴトをやっているのですが、私の性格や人生観にも合致していて、実に味わい深いシゴトをさせてもらっています。(その具体的な内容をここでは書けないし、書いても分からないと思うので、割愛します。モッタイナイけど、、。)

売上のためなら会社は今までのやり方や少々のことは認めてくれる(少々のことは許される)と信じている方々(つまりは販売部門)が一番私を嫌っています。コンプライアンス重視という私にとっての「追い風」が、彼らには「向かい風」になっていることは間違いありませんが、これが季節風ではなくて、クリーンルームのダウンブローみたいなものであることをもっと真剣に考えたほうがいいと思います。売上のために「少々のこと」をやって退職に追いやられた方が毎年のように出ているのに全く理解できませんね~。(この内容もセコイのが多くてスゴイのですが書けないな~)

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「私の嫌いな10のジャズ・ミュージシャン」(その9.東京ジャズの「ジャズ・ミュージシャン」)

「東京ジャス」は不当表示防止法に抵触するのではないでしょうか?ジャスを進化・発展させる取り組みとして従来のジャスの枠組みに真摯に挑戦するミュージシャンを取り上げるのであれば、「これもジャズかな~」と思われるような演奏があってもその文化的な価値はありますし、少々違和感があってもまあいいでしょう。しかし、既に他のジャンルで高い認知を得ているミュージシャンの「いつもの演奏」をあれだけ登場させる必要性や正当性がどこにあるのか分からない。ジャズというジャンルやそのブランド価値を誤用ないしは悪用しています。

上原ひろみを特別な存在にしているのは全く解せない。あの間抜けな表情はもともと見たくありませんが、個性と節操が無いジャズ・ミュージシャンはそもそも嫌いです。(クレジットなしに音楽そのものを聴いて誰かあてることができないジャズ・ピアニストの一人です。)そして、図に乗ってやたらと「やりたい音楽」を好き勝手にやらせ、それを放送しているのは公共放送として問題がある。マスコミやチックコリアが何だかんだと持ち上げるので本人も何か特別な才能がある勘違いをしているのでしょうね。女性のジャズ・ミュージシャンには矢野沙織とかこの手の輩が大勢います。(ところで、この10数年某宗教団体に嵌ってからのチックコリアの音楽にはほとんど共感できるものが無くなってしまいました。)

NHKが「音楽監督」と「現場監督」をやっているからか、あの(来場者に)無常に巨大なコンサートホールでやっているからか、ジャズミュージシャンが妙に行儀がいいの点も嫌いです。何か嬉しいことがあるのでしょう、いつもの毒気が抜け、平板な演奏に終始して、放送時間とテレビのフレームに上手く納まることだけを考えながらニコニコしているようなジャズ・ミュージシャンを見ていると、これは文化の破壊ではないかと思うほどです。

、、ということで「東京ジャズ」に出ている似非「ジャズ・ミュージシャン」を嫌っているのですが、NHKには早く放送してほしい。少なくてもテレビ番組としては他よりは面白いし、FMの録音を聴くよりは簡単に嫌いなジャズ・ミュージシャンを飛ばせる。

(長年の読者の皆様へ:1年数ヶ月振りにこのシリーズを再開しました。ジャズは毎日聞いているのですが、このシリーズでアタマが整理されて嫌う部分が研ぎ澄まされてきたためか、最近は臭気に敏感になって、「食わず嫌い」が直ぐにできるようになりました。以前のようにスイングジャーナルを信じてCDを買ったりライブに行ったりしていた頃のようなジャズの聴き方なら相当な無駄遣いが続いていたはずです。ますます充実してきた図書館やこの数年ほとんど番組の傾向が変わらないFMとそれを録音してくれるTalkMasterIIには感謝しています。)

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TOEICを嫌う

2年ほど前に800点を超え、その後に(勤務先の異動時に)十分その元を取ってからは一度も受験していませんが、TOEICが漢字検定並みに怪しいという記事を読んでいろいろと想いだしました。(これはきっと数週でゴシップとして広がるでしょうね。選挙もあるからもう少し時間が掛かるかもしれません。)

http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2009/08/toeic_15.html

TOEIC受験料自体で自腹を切ったことはありません。外資系企業の性として、TOEIC受験を(会社に実費請求できるようにして)奨励してくれました。管理職の登用基準にするなど「活用」する訳ですからこれは当然ですね。私の場合、10回以上をタダ受験しました。残念ながら、少し前に経費削減を理由に会社に請求できなくなりましたが、丁度私が810点を取った後だったので、個人的にはどうでもいいことです。

むしろ、TOEIC受験に一種の精神修養として取り組んでいた頃が懐かしく、(これは自腹の)TOEIC専門塾での4日間集中講座などは無性に愉しかったです。そしてあの神経質でストイックな受験会場の雰囲気は他ではなかなか得られない修養です。母校を含む、近隣の大学の教室での試験というのもなかなか得がたい体験でした。「本末転倒」もここまでくると清々しいものがあります。

そもそも企業がTOEICぐらいで本人の英語のコミュニケーション能力を見極めようなどというのは実に安直であり、手抜きでしょう。そんなものは、英語で自己紹介させ、Q&Aを5分もすれば直ぐに見抜けるはずです。にも関わらずTOEICのスコアがまかり通っているというのは経済合理性とヒトノミチに反していると思います。

、、ということで、TOEICが嫌いなのではなく、TOEICを嫌わないという怠慢が続いている社会や会社(には愉しませてもらった時期もあります)が嫌いなのです。屈折してるでしょう!

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上司の嫌い方

上司がガキの場合、嫌い方は意外と簡単です。こちらが自信に満ちた言動で終始ユトリを持ちながら「ハイハイ」といった感じで、何かの弾みで「上司」として気が付いたところや変えたいところをシッカリと認めてあげ、実際は何も変わらないようにしておいて、結果として上手く行かせた後で「タスカリマシタ」などと嘯けばいいのです。

上司がガキの場合、嫌い方は意外と難しいものもあり、嫌うこと自体に虚しさが伴います。こんなガキのために嫌うという大切な感情を使わなければいけないのはモッタイナイと。嫌うことで何か成果があればいいのですが、はっきりとセイカを出してしますと今度はこちらのセイカツが危ない。

結局、上司の上司にそれとなくお話をして、「その気」にさせてしますのが一番の効率的な嫌い方かもしれませんね。詳細はまだ報告できませんが、その内にリアルな記事をアップします。

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失敗学を嫌う

新車をぶつけられました。「緊急」経済対策で25万円戻ってくる祟りなのでしょうか、理不尽極まりない状況に陥っています。

詳しくは保険の査定中なので書けませんが、機械式の駐車場で不注意氏(以下F氏)の操作したパレットが私の車のドアを破損したのです。私も危うく怪我をするところでした。問題はその直後、F氏は一切詫びることなく、「死角にいたあなたにも責任はある」と言い始めたのです。交通事故直後に責任を認めるような発言をするな、と教習所や保険会社で教えられたからなのか、非日本人的行動様式に染まってきたからなのか、単に「言い訳人生」の末なのか、傍目には極めて非常識な言動に出たのです。(本当は詳細を書きたいところですが、、、。そしてF氏を嫌うことは月並みすぎてオモシロくないのでやめておきます。)

さて、保険会社や弁護士などと協議をする中であらためてベンキョーしたのですが、どうも畑村教授の失敗学は役立たない。むしろ個人にとっては不利益になることがわかりました。

このような個人の問題では「原因の究明と責任の追及を分ける」ことができる第3者というものは世の中には存在せず、失敗学が頭にあるとむしろ原因を究明する過程で責任の追及が疎かになります。本気で原因を究明すると責任が分散し、対策はいくらでも考え付いて実行もできるのですが、意識の中で当事者に責任を取らせることが難しくなるのです。法律も社会常識も原因=責任であって、その原因や責任もできるだけ絞ったほうが責任も取らせやすいので尚更です。

保険会社から「第3者機関」として派遣されるリサーチ会社というものがありますが、これも甚だ怪しく、当事者間の過失相殺割合を決めるだけで(私の場合は0:100のはず、、)、原因を究明すること自体には関心がない。警察は当然民事不介入ですから、余計なことを言うのは越権行為であり、効力もありませんし、再発防止などそもそも視野にない。損害賠償を請求するとなると、その時間と費用という「経済性の問題」は別としても、今回のようなケースでは共同不法行為を証明することまで必要になり、責任の分散が避けられない。

原因の究明など被害にあった個人にとっては本来どうでもよく、責任者を特定して賠償させることに集中したほうが得策なのです。これを失敗学は阻害します。一度失敗学を修めてしまうと本気で責任の追及をすることができなくなり、「人を嫌うこと」を阻害することにもなってしまいます。イヤァダ~と思う日々です。

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テレビ「番組」を嫌う

未だにブラビアを買えません。お金は車の買い替えに伴う補助金25万円を充てればいいし、それで46インチの旧モデルを買えば、また36000円の補助金、、。でも、買う気にならないのです。

ここ数年で急増した、テレビの「番組」というものがヘンです。チャンネルを「廻して」いると生活情報提供番組という枠らしいのですが、売れなくなった俳優なんかを使って(まともには)売れない、怪しい健康食品や化粧品なぞを売る「番組」の方がまともな番組よりも多く放送されている状況にあります。そんなものをリアルな画像で視野を覆って見たいとは誰も思いません。もちろん、カネを払えば、ウィンブルドンも大魔神もBlue Noteも見れるのでしょうが違和感がある。(一番よく見ているNHKだってもう20年以上払っていないので、、。)

これには32インチのトリニトロン管が15年を経ても一向にイロアセナイということもあります。「番組」が嫌いでほとんでテレビを見ない私にとってはそこには何も問題が無いのです。

そんな私をユーキ付けてくれる記事を発見しました。

テレビ1億2000万台のアナログ時代から、テレビ5300万台のデジタル時代に移行して、だれが得をするか?(中略)放送局は、激烈なテレビ離れによって、NHKは受信料収入が、民放は広告収入が大幅に落ち込む。このマイナスと、アナログ放送設備を更新せずに済むプラスをてんびんにかければ、損のほうがはるかに大きい。メーカーは、「簡易チューナー」なるまがい物の生産を押しつけられる分、テレビが売れず損。結局、2011年7月に地デジ完全移行を強行して得をするのは、メンツを保てる総務省と、電波の跡地利用で儲けたい携帯電話会社くらいだ。得する者より損する者のほうが圧倒的に多数。だから地デジ完全移行は延期されるというのが、筆者の判断である。慌てて新しいテレビに買い替える必要はない。(日刊ゲンダイ5月16日号)

実際、先行するアメリカも延長しています。(理由は明快ですが、これは日本でほとんど報道されませんね。)

アメリカの上院が地上デジタル放送への完全移行を4ヶ月延期することを承認したそうです。これを受けて2月17日に完全終了する予定だったアナログ放送は6月まで行われるようになるとのこと。これはオバマ政権が田舎に住む人々や貧しい人々、少数のコミュニティに属する人々に対して地上デジタル放送に完全移行するための準備が十分に行われていないとしたためだとしています。なお、アメリカは当初2006年末に地上デジタル放送への完全移行を予定していましたが、それから丸2年以上が経過した今でも移行がスムーズに進んでいないことを考えると、日本でも同様の事態に陥る可能性が無いとは言い切れないのかもしれません。(http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090127_digital_usa/

思うに、これは「北風と太陽」の通り、番組たる「太陽」がガキとババアばかり相手にしていて、ちっとも「購買決定権者」のモチベーションになっていないからではないでしょうか。しかも、ここ数年は「番組」による劣化が進んでいるのです。背水の陣になっているであろうFM各社の方がよっぽどカイゼンが進んでいると思いますね。(バラカンさん、小曽根さん、達郎さんにはいつも感謝しています。)

全巻を持っている、スターウォーズやインディージョーンズのDVDは見たいので、チューナー無しのモニターだけでも買おうかと思っていた時期もあるぐらいですが、それでは補助金は貰えないしね~。

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再・営業を嫌う

「営業を嫌う」という記事を来ましたが、今回は春に異動した職場編です。

勤務先には、「リーダー」という社内用語があり、給料や役職はそのままでなのに、ある部門のまとめ役をさせられている方(時に出世を目指して喜々として「用務員」的に仕事をこなす方)がいます。異動した職場の「リーダー」は営業以外の経験がないにも関わらず、販売担当者以外に、私のような濃いマーケティングや、製造系の業務、受注処理系の業務も束ねる役割を仰せつかっています。傍で見ていてもヒシヒシとした違和感や疲労感がその言動に出していて、そろそろメンタルが危ないかも知れません。

、、とは言え、私の「上司」ということになっているので、遠慮せずに「嫌う」ようにしています。

当面の「売上」が一番大切だという信念があるようで、それに皆が異論を挟まずに付いてくるものだと思っている節が見受けられます。アタマでは利益性や持続的成長、チームのモチベーションやモラル、さらには他部門との調整などを無視できないと分かっているはずなのに、追い詰められると「売上」に走ろうとします。でも後ろを見ると誰も付いてきていない。結果として職場で浮いてしまうのですが、幸い(不幸にして)皆もそれに気が付いていてもソッとしておく「大人の職場」です。

でも、本当のことを本当に言う、という「ひとを嫌う」動作を自然にやってしまう私としては、時にそのような「売上」至上主義の浅はかさをハッキリと指摘してしまいます。「社内のxxやyyとはいつからどう折り合いを付けるシナリオをお持ちですか?」「販売担当者ばかり増やしても足し算にしかならず、掛け算にはならないので、結局全体の効率は上がりませんよ」「派遣社員にコア業務を任せて、そのリスクは誰が負うのですか」などなど嫌がれることをニコニコしてお話しするので相当に嫌われているはずです。

こんな私が実は(前任者が酷すぎたのが主因ですが)販売担当各位から期せずして「好かれている」ため、「リーダー」としてオフィスには居難いようで、やたらと「顧客訪問」をしています。その客先が全体の優先度合いから見てどの程度か周囲も分かっているのでそれ以上はだれも追及しない「やさしい職場」です。

もう少し観察してからいつものように「嫌う」行動に出ようかと思っています。その際一番いいのは、(ご本人のお仕事とは無縁に)部門の業績を上げ、早く出世させて、別部門に葬る、ですかね。

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緊急経済対策を嫌う

景気対策よりは選挙対策として「緊急」に経済対策を打ち出したのは、減税を狙ってこの4月に新車購入を決めていた私として、個人的に許しましょう。でも、自家用車やデジタルTVをいつどうやって買えばいいのか分からない状態にしておくのは実に不経済な話しだと思います。本気で経済を回復させようという意思が感じられません。

13年以上保有(?)している車を廃車にして、何からの環境基準に合致した対策をしている新車を買うと25万円貰えるとの触れ込みで、4月10日に遡及適用して補助金を出すと言いながら、法案自体にその正確な定義がないのです。自動車工業会あたりの見解はあるようで、廃車や新車購入の「登録日」を以って適用されるそうで、大幅な値引きの記録を残さないために13年(以上)落ちのクルマを「下取る」と廃車にならないため、どうやらその「取引条件」の修正も行われるようです。(4月1日かか4月9日の間に例の減税を狙って購入した私のような目敏い消費者はその点でも目敏く、誰かが騒いだのでしょう、今日その旨の話がこちらから切り出すまでもなくディーラーからありました。)

では、デジタルテレビはどうすれば良いのでしょうか?恐らくは、法案成立まで買わない、が正解でしょうね。あぁ~これで過剰在庫の処分で安く買え、税金が戻るか補助金が出るかして「金持ち」が優遇され、、、ブラビアも買える!

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キレル社員を嫌う

異動してまだ2週間もたっていませんが、今度の職場にはキレル社員が2名いることを発見しました。

ひとりは私の前任マーケティング。引継ぎが始まっていないこともあり、ソッと接するようにしているので私への影響は限定的ですが、どうやら毎日のようにキレルらしく、それがアイデンティティらしいのです。元技術者(=技術者崩れ)なのからか、その仕事振りは自己の才能を証明できることだけに絞っていて、それが認知されなかったり、邪魔されたりするとキレル、という形式も周囲は分かっている様子です。そして、マーケティングとして致命的だなと思うのは営業(つまりは顧客)を正しく嫌っていないで、単に毛嫌いしているのです。きっとビジネスが分からないので自信がないのでしょう。あと数週ですからこれは放っておきます。(次の職場の方には少々同情しますが、、)

もうひとりは西日本のある営業の管理職で、ある会議でご一緒した時にその生態を観察できました。パワハラで処分されずに今日までいられるのが不思議なほど凄くヤクザなキレ方でした。でも、この方は偉い人の前でも顧客の前でも女性の前でも昔からキレまくっているそうですからフェアではあります。(この点、私の前任は小心者らしく、特に偉い人の前では静かで、顧客にもあまり行きたがらない。)この方とは将来何か仕事の関係ができるかもしれませんので、「修行」だと思ってしっかりと嫌うようにします。

キレル社員は、業務に支障が出るほど他人に迷惑をかけていて、メンタルに問題を抱えているのに自分自身では治せないでいるのですから、ニコチン依存症患者同様に企業としては対策をすべきではないかと考えています。私も気は短い方ですがキレルTPOは弁えているつもりです。「ひとを嫌う修行」をせよ、とまでは言いませんが自分の嫌悪感は自己管理してほしいものです。

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「給与泥棒」を嫌う

やっと来月からの異動が決まり、「新しい五線譜」を手にします。

決まってみれば何のことはない、マーケティング職の横滑りで、前の担当製品に少しだけカテゴリーが似ている、大変有名なブランドを持った製品(内緒!)の担当になります。勤務先(の特に経営者)は嫌いですが、この製品は前から嫌いではなかったのでよかったです。

現職の部門長の不手際もあって、5ヶ月近く「給与泥棒」を強いられていました。世の中の不況とは無縁に、年末年始や週末を優雅に過ごし、有給休暇も毎週のように使いながら、日々健康極まりない生活リズムの中で、そのストレスに耐えてきました。「貴族意識」はあるのですが、やはり不労所得はよくありませんね。心身の健康のためにも少しは働いた上で「搾取」するのがいい。また、この期間、たいした仕事も無く、定時退社を続けてきた私の振る舞いは職場ではさぞ嫌われていたことでしょう。こちらは別に気にしませんが。

いろいろと人間関係に問題のあった部署への異動となったようで、そこそこに嫌悪感も味わえそうです。追って報告いたします。

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路上禁煙条例を嫌う

もちろん、私はニコチン中毒に陥っているジコチュウの依存症患者ではありません。むしろ少々喉が敏感な、タバコの煙ですぐに咳き込む「弱者」です。

このタイトルはほぼ以下の地元自治体への投書に真意が含まれています。

通勤でXX方面からXX駅までの毎日往復しています。区内全域での歩きタバコ禁止を条例化されたことには大変感謝していますが、施行後、往復の路上で見る限りは残念ながらほとんど守られていません。(学校の多い地域でもあるため、ルールが蔑ろにされている点も気になります。)この4月からJR各駅が全面禁煙になると歩きタバコがさらに酷くなることは間違いありません。何度か見たことがありますが、歩きタバコの火による被害や、喫煙者と一般市民が言い合いになるなど路上でのトラブルが(条例化もあって)頻発しそうです。以下のような広報や指導をお願いできませんでしょうか?
・タバコを販売しているタバコ屋、駅の売店、コンビニ、自動販売機などにポスター掲示を義務付け、暫くは販売時にチラシを配布させる。
・東電広告に協力を求め、電柱の住居表示部の下に条例により歩きタバコが禁止であること、迷惑であり危険であることを表示する。
・JRとの話し合いで4月からの喫煙者対策として駅でのアナウンスや掲示の際に路上での喫煙も禁止されている旨を広報してもらう。
ニコチン中毒患者として喫煙者の行動を考えると上記のような対策をしても、直ぐには歩きタバコは止めないと思いますのでタバコを販売している各事業者に協力を要請してそれらの販売場所に喫煙施設を設置させることを本格化してはどうでしょうか?一部コンビニやタバコ屋の店頭にそれらしい設備のあるところは見受けますが量も(他に迷惑をかけない設備としての)質も不十分です。品川駅前のように業界団体から資金を出させた設備を作る方法もありかと思います。せっかくの条例を形骸化させずに、「この条例の目的を達成するため、広報、啓発、指導、助言その他の必要な施策を実施する」(第三条)ことを是非お願いいたします。

、、ということで、過去の「健康増進法を嫌う」で記事にしましたお隣のK区の所轄部門へのお手紙でした。条例が蔑ろになっている状態を放置すると遵法精神自体が萎えます。この条例に実効性を持たすことができないのであればやはり嫌悪の対象になります。

そして、ここまで都内に路上禁煙条例が広がるとそれを施行できていない区にはニコチン依存症患者が集中し、およそ健康増進法の主旨に沿わない街角が出現しますね。オリンピック誘致よりは都民の健康に貢献できるはずなのに、東京都はどうしたのか?Wikiを読んでも不明だったのですが、やはり石原都知事もニコチン依存症患者なのかなと思います。

K区は大変マジメで、投書には必ず返信があるのでまた報告します。

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人を嫌う実践を始めます!

修行として人を嫌うことを厭わず、誤魔化さず、受容するよう努力した甲斐もあり、去年の夏頃からは何とかカタチになってきました。その矢先、幸か不幸か、勤務先での不運が重なり、ついにこれを実践することが来月から始まりそうです。

誰でも読めるブログで事情を説明するのは難しいものがあるのですが、簡単に言えば、勤務先の部門長から嫌悪される以上の嫌悪感を持って現職を当分(不況が治まるまで?)の間は継続することがほぼ決まりました。心待ちにしていた異動が遠退いたのです。

恐らく私は大丈夫です。この数年でメンタルヘルスを維持するテクニックを相当磨き上げました。一方、あの部門長は何か持病があるようですが多分私が如きが原因で倒れることはないでしょう。問題は周囲が耐えられず、「不当な介入」をすることです。確かに、昼食時など2人が揃うと全く会話しませんから周囲としては気になることでしょう。

「心の吐き出しノート」としてのこのブログにはこれからもお世話になる予定です。ご期待(!?)ください。

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ブックオフを嫌う

別に創価学会系だ(という噂がある)からではありません。学会にカネが流れた(?)不正経理でも、エセエコロジスト清水国明の親族が経営していたからでもありません。

中島義道やドラッカーのハードカバーであろうが、勤務先を称えた「提灯本」であろうが、皆50円か100円なのです。目ざとい輩が(その本の価値を分かろうとしないこの企業が)専門書や希少本を数百円買い取って数百円で売っているのを買い付け、ネットで数千円で売って一ヶ月に数十万も儲けるのです。そして、当然、「文化の破壊者」として多くの作家からは嫌悪されている企業なのです。

そこで、今日は地元の図書館に読まなくなった(読みたくなくなった)本を10冊ほど持ち込み、寄贈しました。自宅の書斎をすっきりさせて、自分の「古本」を公僕を使って公共空間に持たせておけるんですよ。これが本格化すれば、「ブックオフつぶし(はずし)」になるになるはずです。

明日も「文化の創造者」になるべく10冊ぐらい持ち込む予定です。(最近粗製乱造気味の中島義道本が数冊入っています!)

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異動から嫌われる

次の仕事がまだ決まりません。異動待ち状態がもう3ヶ月。異動という「新しい五線譜」から嫌われているかも知れません。

前の仕事の引継ぎを早々に終え、年末年始は短期のカイゼン案件をテキトーにやりながら定時退社する日々を過ごしてきました。私のような「人財」は使い辛いのは間違いありませんが、私のモチベーションを計算できる上司にはしっかりとその計算以上の成果を過去ずっと返してきましたので、これは勤務先の人事や組織の問題ではないかと(客観的にも)思います。モッタイナイ。

メンタルも随分とタフになったみたいで、そんな日々にあっても勤務先ではニコニコしながら(夜は早めにスヤスヤしながら)毎日を過ごしています。逆に、私を嫌っている部門長はさらにやせ細り、私を見る目が険しくなって行きます。客観的には(根拠の無い)妙に自信に満ちた私の言動に心底頭に来ているのでしょう。そして、部門長は自分から「手を出した」弱みがあるのでさらにイライラが募るのでしょうね。ヒトを正しく嫌う修行をしていないツケかな。

そんな日々が続いていますが、腰の座った「名ばかり管理職」を貫くつもりでいますのでご心配無く。(時節柄、きっと誰も心配なぞしてくれないかな~)

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教育テレビの非教育的な時短放送を嫌う

受信料を定額徴収している放送局が勝手にその業務を休んでいいのでしょうか?この悪弊は新聞が「新聞休刊日」なるものをでっち上げて実質値上げをしているのを真似ているのかもしれませんが不謹慎極まりない。

本気で環境に貢献したいと思うのならば、巷の(まともな)環境運動に「24時間テレビ」のように募金を募ってもいいし、時節柄、衣食住に困っている方々を支援するための「24時間テレビ」をやってもいい。もちろん、人知れず教育テレビのスタッフが「休み」を返上で汗を流して得たお金を寄付してもいい。でも、そんなことは全く無く期待できません。

受信料など払わなくなってもう20年以上の私ですが、少しだけ公共放送というものに期待していました。でも、この非教育的な教育テレビという代物は「独立行政法人」化して路頭に迷わすことぐらいしないとカイゼンしないと思います。

あぁこれで一生受信料を払わないことが正当化できそうです。

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「英語の授業は英語で行うのが基本」を嫌う

ここ数週地味に話題となっている<英語の授業は英語で行うのが基本>との「御触れ」について、英語では人一倍苦労している私として思うところです。

まずはこのテーマに関して、記憶に残った投書の要旨を列挙します。

・所詮高校の授業を通じて、音楽や文学などで世界に通用する能力など誰も期待していないのに英語だけにそれを求めるのはおかしい。(数週前の朝日新聞の投書欄より、、ウロオボエ)

・私は英検2級以下の英語教員に「英語で授業を行え」ということは「人権侵害、生活権侵害」であると思っています。(中略)公立高校全部について「英語で授業」がどの程度可能かを英語コミュニケーション能力のある調査員により具体的に調査し、その調査結果を公表すべきであると思います。 (「あらたにす」への志村英盛・横浜市・75歳からの投稿)

・6年間もやって英語がしゃべれない、とよく言うが、6年間ずっと英語漬けなら別であるが、週に3時間を年間40週、6年間続けても720時間にしかならない。これはネイティブの赤ん坊が1日8時間英語を聞いているとして、実に90日分である。生後90日の赤ちゃんが英語をしゃべれないのはあたりまえなのである。つまり、絶対的な学習時間の不足が原因で、英語力がないから会話もできないのである。(「あらたにす」への広島三郎・広島市東区・60歳・大学教員からの投稿)

・多様な仕事があり、求められる能力もそれぞれだ。これから学ぶ生徒全員が英会話ができなければまずい、ということはない。(中略)高校は義務教育ではないのだから、個々の事情や就きたい職業との関連で学習できるカリキュラムにしてもよいのではないだろうか。(今日の朝日新聞への大学生からの投書)

、、「御触れ」を出した役人とその取り巻き連中の「貧困なる精神」をそれぞれ見事に批判しています。

また、中島義道の『英語コンプレックス脱出』という本には英語教師やその教育のあり方についてこんな件があります。

、、自分の下手な英語を断じて恥じないという態度を徹底的に身につけ、それを生徒に伝えるべきである。修学旅行先で、英米人に出会ったら、引率の英語教師はまず彼らにごく自然に日本語で話しかけるという模範を示すべきであろう。そして、彼らが日本語が解せない場合には、自分を英語教師と名乗ったうえで、その(スタンダード・イングリッシュから見ると)おそまつ至極なジャパニーズ・イングリッシュを、けっしてへらへらしたりつべこべ言い訳したりせずに堂々と生徒の前で披露すべきであろう。(中略)生徒たちはこうした教師の態度から英語と日本語の正しい関係を学ぶであろう。そこにまたとない国際語としての英語教育の場が開かれるのである。

英語帝国主義との闘争が前提とはいえ、「教師達にほとんど過酷とさえ言える要求をしている」のは英語教師(という職業を選択したこと)への逆恨みもあるのではないかと思える節もあります。でも、これはこれで至極効果的な「生きた英語をしゃべる」教育になると思いますし、実際必要なことです。(私も英語が下手な上司がアメリカ人とその英語で口論しているのを目の当たりにして随分「進歩」しました。)

さて、当たり前の話しかもしれませんが、勉強など必要に迫られなければしないのが性であり、これは各種のモチベーション理論も証明しているところです。大学受験があるから、生徒も教師も必死なのであって、英語がある程度できないと仕事にならないから私も必死だった時期があったのです。(TOEICには依存症的に嵌った時期もありましたけど。)将来使うかもしれないから、、程度では普通のひとはモノゴトに真剣には取り組まないものです。

もし、国家戦略として国民の英語力を本気で引き上げたいのであれば、国会はすべて英語で審議を行い(そういえば今の外務大臣は英語が棒読みだった)、NHKの番組の半分は英語にさせ(のど自慢の司会者は英語だけ使って進行するとか、大相撲の千秋楽は英語放送だけにするとか)、例の給付金を申請する書類はすべて英語にする、など自らも痛みを分かち合いながら、国民(大人)が英語で大混乱するぐらいの事態をまずはつくり出すべきでしょう。そんなことは私は望んでいませんが。

最近の例で言えば事故米の販売や給付金の年収制限などと同様、政策遂行上の難問を現場に「権限委譲」するのは為政者の姑息な姿勢として共通したものを感じます。紅葉マークみたいに半年ぐらいで潔く挫折してほしいものです。

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完・ワークライフバランスを嫌う

ワークライフバランスというヨコモジが死語になりつつあります。次はエコロジーかな、、。

代わって、ワークシェアリングというコトバが俄かに現実的になってきました。もちろん、「多様就業型ワーク・シェアリング(多様な働き方の選択肢を拡大する)」ではなく、「緊急対応型ワークシェアリング(労働時間の短縮とそれに伴う収入の減額を行うことにより、雇用を維持する)」(日本能率協会の定義)です。

ワークライフバランスの目的を、「女性活用」などという高尚なものとしてではなく、少子高齢化など十数年前から分かっていたことへの応急対策でもなく、単に仕事がなければ生活はできないという次元で捉えなおす時機にあるのかもしれません。国民が働いてお金を使ったり税金を納めたりしなければ国自体が立ち行かなくなるのです。お題目は内需主導型経済へのシフトでも財政再建に向けた税制改正でも何でもいいのですが、中長期的にワークシェアリングは国益にも適うはずですから、ワークをシェアした上でライフのバランスを保つ方向を政策が推進することは正しいと考えます。(変な日本語の例文のようで気持ち悪いのですが、、。)

その意味からも、ワークシェアリング導入の障害となっている、日本社会の労働時間の実態(割増率の低い残業, サービス残業, 年休未消化)や非正規労働者の賃金水準をフェアなものに変える時機でもありますね。(前者については、私、しっかり「障害」と戦っているでしょ!)

さて、日本の経営者は少し前までその充実度を競っていたワークライフバランスを維持できるのでしょうか?(環境経営も同様です。このあたりは日経ビジネスの企業広告の量を見ているとゴマカシの効かない実態を知ることができますよ。)ここに来て、ソニー、ホンダ、キャノン、パナソニック、日本IBMといった優良企業(さらにはシャープなどの不良企業)の体質の違いがはっきりと出てきました。これはこれで見物です。(株価も見物←しつこい!)

そして、決算のある春先に向け、ワークライフバランス(Googleのヒット件数1,090k)とワークシェアリング(同、102k件)の話題性が逆転する日も近いと思います。(ワークシェアリングを嫌う日も近い?)

故に、、、もうワークライフバランスを嫌うのは「完」にします。

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「有給休暇」を嫌う

今日が「仕事納め」でした。社会主義的不況で経営(者)危機になっている勤務先は、来週から社員の有給休暇を使ってこのあと年内は「休業」するのです。

経理上の話しとしては社員の有給休暇を消化させることで見かけの数字の何かが改善するそうです。もちろんセコイ話しとしては光熱費などもあるようですが、そんな計算よりも社員のモチベーションの劣化を金額に換算していない点が経営としては実に寂しいものがありますね。要するに「あなたに休んでもらっていた方が会社は儲かる」ということなのですから。

せめてワークシェアリングというコトバでも使って、そうすることが結果として社員への痛みを減らすことになることを説明して欲しかった。実は本国の社長はそういう説明をしているのでこれは本当らしいのです。ただ、日本の法規か経理上の約束事が追従できないのでそういった説明をしていないのではないか、というのが私の勘繰りです。

さて、「愛社精神」に満ちた私としては末永く愛し(嫌い)続けたいので速やかに「有給休暇」に応じました。これで今年は(昨年からの持ち越し分も使うので)100%を越える有給休暇消化率となります。

こういう不純な「有給休暇」はきっと来年もあるのでしょう。その度に会社や仕事を嫌う、私のような人間が増えて行くことには一抹の不安を覚えます。(そろそろ会社や仕事を好きになろうかなぁ~)

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給与カットを嫌う

経営(者)危機の話しを記事にしましたが、その後の社会主義的恐慌のオカゲもあって、勤務先では業績悪化(見込み)を自らの責任で全うすることができない経営者が来年1月からの全管理職の給与カットを言い出しました。「経営と一体」という管理職の定義はこういうときに「活用」されるのだなと思う一方、去年の鳴り物入りで始まった、精緻を極めたはずの「業績連動型給与」への移行とは一体なんだったのか?とも思っています。

役員は来年1ドルで働きます、儲かったときにはちゃんと還元します、過去の経営者には自主的な退職金返還を求めます、なんていうことがあれば少しは納得するかもしれませんけど、そんなことは全くなく社会主義的に分担するようです。少々給与カットをしても転職なぞできる時期ではないはずだ、がきっと前提なんでしょうね。

もちろん私はさらにグレて仕事をしなくなり、定時に退社する日々が続いています。でも、根がマジメなのか、朝の混んだ電車でトラブル!を起こしたく無いからか、家族と時差をつけたいからか、毎朝職場では1-2番で出社しています。(出社後は私事に感けていますが、、)

前にもどこかで書いた通り、本当は数ヶ月前に別の職場に(白紙の楽譜のように)異動するはずだったのですが、労使紛争もあって未だ「適応障害」を起こしている職場にいます。それでも転職なぞは全く考えていません。ローンが続くこともありますが、経営者一人クビにならない程度の危機状況なのですから、暫くは「じっとしている」のが一番(の仕事)だと思っています。

私の勤務先はやっぱり基本的なユトリがあるのだな~と思う日々を静かに過ごしています。

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株式投資を嫌う

不労所得を嫌悪しているので株式投資というものを意図して避けてきました。農地解放で得た土地を切り売りしたり、「おねだり農民」として楽な人生を送っている方々を軽蔑する資格のひとつには不労所得が無いことがあると思っています。また、自称デイトレーダーの7割以上が実は損失の方が大きいという(宝くじや公営ギャンブルほどではないにしろ)不幸な事象には「自業自得」というコトバ以外思い浮かばない私ですから、所詮はゲームである株式投資などトンデモナイ!でした。

そんな私ですが、さすがに住宅ローンを定年後まで抱え、10年以上の愛車が次回車検でどうなるか分からなくなっているので、今回の「100年に一度」の暴落では思わず「攻めるお金」(余裕資金)で好きな会社の株を買ってしまいました。ソニー、ホンダ、ヤマハ、、、、などなど。それら企業への支援であり、社会貢献だとの説もありますが、あくまで私は「趣味の世界」に拘りました。数年は保有するつもりですから、間違いなく2倍にはなることでしょう。アァ~嫌だ~~この不良所得!!

せめてもの償いとして、住宅ローンの繰上げ返済の前に、10数年経っても綺麗に写るトリニトロンを泣く泣くBraviaに買い替えたり、当分は売れないだろう四代目オデッセイにその初代から乗り換えたりして、内需拡大(というよりはそれぞれの企業の業績向上)には貢献したいと思います。

世の中の(所詮は不労所得狙いの)「金持ちお父さん」だった方々はいろいろと頑張って株価を押し上げてくれることでしょうね。ご苦労様です。お世話になります。

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大声の駅員を嫌う

中島義道は過剰な駅のアナウンスや自動音声を嫌っていますが、生身の駅員(含、警備会社社員)による大声は嫌悪感という点ではより強いものがあります。その本人を見ているとどうも「仕事」ではなく、その場に乗じた「私事」のように思えるからです。「駅員の大声」ではなく、「大声の駅員」を嫌う行動に出ました。

以下、通勤で利用する駅の「お客様センター」とのやり取りです。今回も成果ありましたよ!

xx線をyyからzzまで毎日利用しているものです。朝のラッシュ時にホームで(安全確保のためでしょうか)大声で何かを発している駅員に数度遭遇しました。何を言っているのか不明な事もありますが、その大声自体が耳障りで極めて不愉快です。実は最初、何か精神的な障害のある方の突発的な症状かと思って我慢したぐらいです。そのようにせよとの業務命令からなのか、単なるご本人のストレス解消なのか、実際のところよく分からないのですが、周囲の様子を見ていてあの「業務」に実効性がほとんど無いことも不可解です。このような苦情を意見として連絡させて頂くことで事態が改善されることを期待します。(直接駅員に苦情を述べることにはかなりの勇気が必要です。)

鉄道会社とは言え、さすが民間企業だけあって、中3日で回答がありました。(地元自治体は大体2-3週間かな。)

いつもxx線をご利用いただきありがとうございます。xxをご利用の際ご不快な思いをおかけし、誠に申し訳ございません。日ごろより係員には、ホームでのご案内の際はお客さまの安全を第一に考え、周囲のお客さまに配慮しご案内するよう指導しておりますが、このようなご意見を頂戴することとなりましたことをお詫びいたします。係員には再度監督者より、周囲に十分に配慮し、わかりやすく適切なご案内を行うよう指導いたしますので、何とぞ、ご容赦くださいますようお願い申し上げます。引き続き、より快適にxx線をご利用いただけるよう努めるとともに、お客さまへのサービス向上に取り組んでまいります。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

確かに、今日の朝はいつもの「大声駅員」は静か、というよりは元気なさそうに見えました。

実はこれとほとんど同じ状態の「大声駅員」が元・国有鉄道のホームにも出没します。ただ、制帽らしきものをかぶっているもののどうも様子の怪しい「男」いて、大声で「・・チョ・・シュ・・エー・・ハー」とか何とか叫んでいるんです。つまり2人の「大声駅員」いるのです。果たして、(両方とも?)「社員」なのか(正しい意味での)ボランティアなのか、よく分かりませんのでもう少し観察してから行動に出るようにします。

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人から正確に嫌われる

「経営危機」に乗じて、今の仕事の部門長が私を酷く嫌っています。さすがに詳しくは語れませんが、私のように先を見据えて仕事をする(しない)人間への嫉妬があるようです。「自分はこんなに身を削っているのに、、」とその顔に書いてありました。

嫌われること自体は何とも思いません。でも、せめて正確に嫌われたいと常々思っていましたから、部門長との面談では率直に自分の思考を語りました。幸い、正しく理解していただいた部分があるようで、そろそろ仕事を(同じ会社の中ですが)変われそうです。別に今の仕事には愛着などありませんし、暗ったいこの部門長から離れられるのは幸せでもあります。

何が起こったかといえば、成熟後期にあるビジネスを担当している以上は静かにしているのが仕事だと考えている私に対して、リーダーとして何をやっているんだ、もっとグリグリやれ、などと文句を言うわけです。部門長は典型的な技術系で所謂「タイプA」のパーソナリティですから、きっと自らの人生を否定されているように感じているのでしょうね。

(散文詩みたいで申し訳ありません。まだ住宅ローンがたくさんあるもので、、、。)

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早朝の公園の老人を嫌う

修行のひとつとして公僕の積極活用をしています。今回のように社会的弱者を嫌う行動において、その正当性を確認しつつ、利害調整しながら(させながら)、確実な成果を得るには最適な方法でもあります。

以下の交換書簡で詳細に述べていますが、早朝の公園に集まる老人達の騒音を止めるため地元自治体に依頼し、大成功しました。

Subject-お願い:公園の運動設備設置場所の移動

I区K課 御中

K公園に隣接するマンションに住むものですが、ここ数週間、回転体を使った運動設備が発する甲高い金属音が朝晩を問わず鳴り渡り、受忍限度を越える不快感を持っています。おそらく故障をしており、危険な状態かもしれません。以前にも同じ設備から金属が擦れる異音がしている事を指摘した際には直ぐに使用中止として頂きました。(その節は迅速な対応を頂きありがとうございました。)実は同様に受忍限度を越えた不快感をここ数年持っている事があります。前述の1点を含む3点の運動設備には雨の日を除いた毎日、夜明け頃からご老人達が集まり始め、大声で世間話しをします。耳が遠くなっているからでしょうか、ほとんど叫んでいるような方も複数いて、大変煩く、その断続的な「騒音」のために朝から窓を閉めざるを得ず、大変迷惑をしています。かなり以前、同公園のベンチが類似の理由から撤去されたと人づてに伺っています。(煙草が理由だったのかもしれませんが、その点では運動施設に集まって世間話しをする方の中にも喫煙者がいて同様に煙が飛んでくることがあります。)今回の故障(修理)を機に、3点の運動設備の設置場所をマンションに隣接した場所から、より広々とした同公園の中央付近(滑り台付近)などに移動をしていただけ無いものでしょうか?隣接した住居などからは遠くなりますので大声に伴う苦情も出ないと考えます。ご確認ご調整のほどよろしくお願いいたします。

「早朝の老人が煩いからどうにかしろ!」ではなく、役人用語(例:受忍限度)を駆使しながら、その口実を与えるために運動設備の異音(←これにも確かに嫌悪感あり)や実施例を持ち出し、現実的な解決策の検討を依頼しました。数週後に次の返信がありました。

K公園の運動設備の移設についてご要望がありました。この公園に設置しています3基の運動設備は、公園を利用される方々の健康増進事業の一つとして、手軽にストレッチなどの運動ができるようにと設置いたしました。設備及び利用者の大声についてご連絡をいただきましたので、早速、運動設備の点検を行いましたが、特に金属音等は確認できませんでしたが、念のため潤滑油を注入いたしました。また、この運動設備の近隣にお住まいの方々には、金属音や利用されている方々の話し声などご迷惑をおかけしていますが、この運動設備を移設するにあたっては、移設場所や移設経費等の課題もありますので、現在調査を行っています。可能な限り、ご要望にお答えできるよう検討いたしますので、暫くお時間をいただきたいと思います。今後とも、公園等施設について何かお気付きの点がございましたら、ご連絡いただければ幸いに存じます。ありがとうございました。

すぐに次の返信をしました。数週経過しても「早速」で始め、事態がエスカレートしている様子を具体的に伝えることが大切です。

早速のご対応ありがとうございます。金属音ですが、回転体を強く傾けた時に発生するやや低い音(コンコン)で、以前にもあった油切れに伴う擦れ音(キィーン)とは異なります。利用者の中にはこの金属音を運動する際の目安(楽しみ?)にしているようで、コンコンコンコンといった感じでかなり煩く無視できない騒音となっています。利用者の大声も日々続いていますので、是非とも移設の実施をお願いいたします。

ある日、何の予告もなく忽然と運動設備が移動しました。当日の早朝は老人達の「無くなった!」「あっちにあるよ!」の大騒ぎでした。早速お礼の連絡をしました。

件名につきまして、早速の実施ありがとうございました。お陰様で大変静かな早朝を過ごせるようになりました。また、移設先の配置は他の公園設備との関係からみても適切に思います。K公園がより有効に利用されることにつながると思います。日々隣接して生活をしていますので、今後も公園施設やその植栽関係で提案などをさせて頂くこともあるか思いますので、その節はご検討のほどよろしくお願いいたします。

老人達からはクレームもあったのでしょうから、今回の処置が適切であり公園の有効利用につながることや、今後も公園施設のために行政に協力する姿勢を示して、その利害調整の正当性を支えるようにしています。事前に予告の張り紙でもして周知期間ぐらい設けるのかと思いましたがいきなりの実施でした。きっと行政も「社会的弱者」を主張するであろうあのご老人達からの、「予告」の内容やその理由付けへのクレームを嫌ったんでしょうね。

嫌悪感を持って嫌悪感を制すというのは、<ひと>を嫌う修行としては高度なものではないか思っています。

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「経営危機」を嫌う

勤務先の役員達が「経営危機」と称し、数週間をかけながら全社員に直接、現状と対策への「理解」を求めようとしています。内勤者を減らし、成長が期待される分野に人を異動させることがその「対策」なのだそうです。そんなことは経営にとっては「通常業務」だと思うのですが、それを大仰にやっています。実に見苦しい光景です。

特に嫌悪感があった事象を列挙しておきます。

  1. 中途採用の(雇われ)経営者が「危機」を語っても、単に「経営者」の(身分の)危機にしか聞こえてこないものです。その「危機」に至った経緯に関連して、自らが招いた判断ミスやその結果への反省がほとんど語られない無いことも保身の術ではないか。さらには「次の選択は皆さん次第です」というある種の責任逃れ。これに付き合わされている一般社員は単なる不幸だと思っていることにすら気付いていない。
  2. 過去は忘れてください、だそうです。過去の「成果」はどうやって返す(返した)つもりなのでしょうか?(私は現役にして既に「年金生活」なので返してもらっていますが、、。)どうも歴史を簡単に否定できると考えている節があります。もしも本気で過去を忘れさせたいのなら、過去の経営者に退職金を自主返納させ、応じないのなら、「別件」訴訟でもなんでもいいから裁判でも起こせば少しはその本気度が伝わるというものです。
  3. あの程度の集会で社員との「対話」ができたことにしている欺瞞。本音を聞くつもりはもともと無く、ガス抜きや(将来の裁判に備えた)「実績」「証拠」作りが本意でしょうから、形式は重要なのかもしれません。それでも、株主と約束した売上や利益の数字が大切だというのであれば、まずは従業員と約束した集会の終了時間は守って欲しいものです。
  4. 中途採用役員連中は条件のいいところに短期間で転職を繰り返すのが美学なのでしょう。それがミエミエな言動は(一般社員の前では)謹んで欲しい。少なくても、周囲からセコイ人生だと思われているという自覚が全く足りない。もしも嫌われ者を買って出る気があるのなら、まずは自らの給与の一部返納ぐらいキザなことをやってほしい。

、、とはいえ、日本の一般的な企業の会計基準から考えたら「超優良企業」なのだそうです。この「経営危機」は単に「経営(者自身の)危機」ではないかと率直に思っています。そんなところにも外資系企業ならではユトリを感じています。

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「おはようございます」を嫌う

どうやら最近パチスロ業界と縁を切ったらしい、メンタフダイアリー風に、、。

pencil起こったこと

早朝、ジョギングをしていると見知らぬ人々が「おはようございます」と声を掛けてくる。オジサンよりはオバサンの方が多く、若い人はまず声は掛けてこない。もちろん知り合いではなく、相手は歩いているがこちらは走っているので突然言われたような状態になり、気が付いたときは真横か後方にいる。故に、返事はできない(もともとするつもりも無いのだが、、)。

pencilその時、頭に浮かんだ考え

挨拶の押し付けは迷惑だ。返事をしないと妙な罪悪感が残ってしまう。その事を半ば分かっていながら挨拶を一方的にするのは実に無責任な言動である。

pencilそう考えた根拠

あれは相手=私のために挨拶の言葉を発しているのではない。自分自身の(気分を良くする)ためだ。多くがこちらの目を見て言っている訳ではないことからもそれがいえる。そもそもジョギングをしている人でまともに返事をしている人を見た事はないし、無理にしようとすれば呼吸や走るペースが乱れるだろう。そうだ。あの「おはようございます」が嫌いで、ジョギングは夜明け前にするようになったのだった。

pencil別の自分だったら

大した考え無しにああした言動をしているのがほとんどだろうから無視すればいいのではないか。それに返事が出来ないことぐらいで罪悪感に駆られる必要は全くない。それが合理的な考え方だ。もしもいちいち挨拶を返していたら、ジョギングにならないし、宗教団体の会合に誘われたり、洗剤を買わされたり、いきなり刺されたりするかもしれない。相手は「見知らぬ他人」なのだから、これは現実の問題だ。

pencil現実的な着地点

いつも「おはようございます」と得々とした顔つきで大声で言うあのオバサンの前で立ち止まって、一度自分の仮説を検証してみよう。「なぜ私に挨拶をするのですか?」「ジョギングをしているこちらが返事をできないことはご存知ですよね。」「何か目的があるのですか?」まともな答えなど期待しない。たじろぐオバサンが次から静かになるだけで検証は十分だ。でも「目的がある」場合には十分気を付けよう。

pencil気分の変化:

嫌悪感の強さ 65%  → 45%

、、という事態は2年前とほとんど変わっていませんので明日も4時起きして、身勝手なオバサンが出没する前に一走りするようにします。また報告します。

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オリンピックを嫌う

中国でのオリンピックはナチス並みに政治目的が明白なのに、(MLBなどを除いて)参加を取りやめた国や競技者が無いのは、スポーツ関係者がノンポリなのではなく、積極的にこの「政治力」を利用しようという意図があるからでしょうね。この点はマスコミも同様です。

とはいえ、この2週間ほど、定時退社に近い状態でした。特に、日本選手が活躍した、水泳、一部の柔道、卓球、女子のレスリングやサッカー、ソフトボール、陸上400mリレーあたりは印象深いものがありました。逆に元々期待もしていなかったので、野球、体操、男子サッカー、男女マラソンなどはどうでもよかった。

CMや下品な演出といった「ノイズ」が少ないので、(長年受信料を払っていない)NHKしか見ないようにしていますが、遅れて始まるニュースの中で、(BS契約率アップのために)松坂や松井がどうしたなどと米国のプロ野球の「宣伝」をやっているのは実にセコかった。(不慣れな女性アナウンサーを現地に派遣したのも何かあったのでしょう。)

それなら、オリンピックにしても、NHKにしても嫌なら見なければいいという声が聞こえてきますが、平凡な日々にあって「人を嫌う修行」という点でもそこそこに充実した成果を得られるのは魅力的です。いくつか列挙します。

  1. 応援と称して奇抜な格好をして会場にいる、金とヒマのある連中の自己顕示欲をなんで満たすのか?あれは競技者の集中力を削ぎ、文化や民度というものを貶める国賊であろう。そして、そんなものまで放映するのは明らかに偏向報道やヤラセと同列ではないか。中国政府ならやってくれるだろうと期待したが放任されていた。あれは「先進国」のバカを晒しものにすることで国民を教育しているのだろうか。
  2. メダル数の比較は不公平ではないか?その競技の人数、その国の人口、さらには競技人口などを精査して加重平均をすべきではないか?水泳や体操など一人でいくつもメダルを取れる競技と、サッカーや野球など10人前後のチームでひとつしか取れないメダル数を単純に合計して同列に論じるのは不公平極まりないし、人口を分母に計算すれば恐らくは中国など中位以下だし、競技人口を分母にすれば馬術や近代五種など誤差の範囲だろう。
  3. テニスはなぜ無視されるのか?野球を廃止する理由にMBLが協力しないということがあるようだが、ロゲ会長は「テニスではフェデラーやシャラポアが出る」というのであれば、各局に強制的にテニスをしっかりと放送させ、その効用を認知させるべきではないか。
  4. どうでもよかったマラソンですが、国別に枠が決めているのであれば、なぜ補欠出場させないのか?同じ陸上でもリレーなどは補欠も出ているのに。あれは、体調管理も競技の一部と見做しているからなのか?

などなどいろいろあります。オリンピックといっても所詮は紅白や仮装大賞や24時間テレビのようにマスメディアは「視聴者」を取り扱うのでしょうから、雑感も注意していないと偏向しますね。

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続々・ワークライフバランスを嫌う

最近は仕事をしないようにしています。正確に言うと(無駄となる可能性の高い)仕事を無理に増やさず、ヒマに耐えるようにしています。

仕事がヒマだとそれに耐えられずに、無理に仕事を「創造」したり、生活を忙しくする方が存在しますね。(私の10数年前もそうでした。)諸事情から人生の中で寛ぐ時期というものがあっても良い、とは私のカウンセラー氏の助言です。そして、仕事がヒマだと無理に生活を忙しくすることで「充実」させるのも結果としてワークライフバランスを崩すことになる場合があるというのが私の「過去」の反省であり、最近の持論です。

ここ数ヶ月、私自身は積極的に仕事も生活もヒマな時間を持つようにしているのですが、これはこれで努力と工夫が必要なんです。家族との(2時間以上の)時差生活、成果を変えずに過程を出来る限り省く「仕事の効率化」(もちろん、給料以上の仕事はしません)、週末の延べ6時間以上のテニスと4時間以上のジョギング、などなど。

バランスというと総量が決まっていてその中での仕事と生活にかける労力の加減のような語感があります。でも実際には、その総量自体が変化しているという実態にも着目して欲しいものです。そこまで実現できてこそ「自分が望むバランス」なのです。(さらに続く)

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テニスを目的にする輩を嫌う

たかがテニスなのですが今日は熱い(暑い)一日でした。午前9時から午後6時まで、草テニスの男子ダブルスを計6試合やり、その後テニス仲間とさらに熱い時間を3時間ほど過ごして先ほど帰宅したところです。

以前書いた通り、私のテニスに対する取り組み方は苦行僧のそれです。安易な小技には一切走らず、試合に勝つなど二の次。自らの修行(練習)に法り、どこまでも自己(が習得したワザを試合で)実現すべく心身を削りながら(確かに痩せます)、周囲の目も気にしないで自己との対話を続けます。ダブルスでもその姿勢は同じで、ペアのことはあまり考えないようにしますし、下手でもあまり気になりません。

ところがテニス仲間の一人にそのような姿勢を強く批判する方がいて、飲んでいるうちに2時間近く熱い議論を戦わせてしまいました。(一般には絡まれているというのかもしれません。)要点はシンプルで、テニスは勝つことが目的であり、そのためには手段を選ばず、すべてを尽くすべきだという主張に対して、学生時代にテニスをやってきた連中(ちょっとプレイを見れば分かります)や毎日テニスをやっている連中(試合慣れだけはしているのこれもすぐ分かります)を相手に社会人になってから始めた週末プレーヤーが勝てるとは思えないのだから、不用意に相手の土俵には乗らず、試合を通じて少しでも「自己実現」を達成すればよいのではないかと主張し続けたのです。

平行線の議論を通じて納得したのは、テニスを目的と見るか、手段と見るかの大きな違いです。別にテニスでなくても、例えばブログも同じです。アクセスやコメントを増やすこと(=自己顕示ないしは他者からの承認)自体が嬉しくて目的化している方と、あくまで何かを実現するためのひとつの手段として粛々と書かれている方はすぐに分かります。(商売にしようと虚しい努力をしている方も確かにいますがここで類型化したい対象とは別世界なので捨象しておきます。)

そして、テニスをやる意味合いは様々で全く構わないと思うからでしょう、テニス(で勝つこと)を目的にするのは当然であり、そうしなければいけないという主張を他人に押し付ける方には猛烈な嫌悪感を持ちました。ニコニコしながらこちらは言いたいことはすべて伝えたので、もうペアは組んでもらえないでしょうね。これも「豊かな」人生のひとコマです。(補足するなら、その方は元国体選手だったのでこちらの姿勢を邪道に感じたのでしょうね。)

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内観を嫌う

内観という心理療法ないしは精神修養法があります。専用の研修所に8日間篭り、身近な人物との過去の出来事をひたすら振り返り、観察し続けます。そうすることで「他人に対して迷惑をかけ続けている自分が他者によって生かされている」ことをに気づき、ココロを楽にすることでメンタルな問題を解決したり、自己実現につなげたりしようとするものです。キーワードは「素直な心」ですから、人を嫌う修行の正反対だとも言えます。一般には、数年前に東横インの不法改造問題が報道されたとき、社長が傾倒し、社員研修はもちろん、研修所まで作ってホテル宿泊者に紹介していることで少し話題になった程度でしょうか。

実はこのブログを始める少し前、ある研修所で内観をしたことがあります。メンタルな問題で会社を一時休んで復帰し、精神安定剤は服用を続けていましたが、ほぼ安定した毎日を送っていた頃です。主治医やカウンセラーとも相談したところ、主治医はよく承知していて一応推奨はしてくれ、カウンセラーからも「少なくても症状が悪くなることはないだろう」との話しもあり、マジメに取り組みました。ところが研修後数日してからココロの不安定な日々が続いてしまい、主治医もカウンセラーもいろいろと対応してくれたのですが、どうやら内観自体と相性が悪いのだということに気が付きました。内観やその目指すところが悪いのではなく、嫌いなのです。

その研修所自体が本来の内観の手法を逸脱して所長の価値観(素直な心)を押し付けようとしたという問題も確かにありました。当時「今度はホンモノの内観をしてください」と進める方もいたので、この夏休みに少々事情があって再度別の研修所での内観を一度考えました。いつものことながら用心深い私の習性で、Wedから得られる情報はもちろん、専門書もいくつか読んでみるなどしましたが、ますます嫌いになってしまい、結局直前で止めました。(そんな事情もあってこの1ヶ月近くブログを更新できませんでした。)そのあたりのこともそのうち記事にしてみたいと思っています。

追記:記念すべき100本目の記事で「内観を嫌う」ことになるとは何か運命を感じますね。

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J-WAVE VOICEの声を嫌う

J-Waveで自己陶酔風に原稿を読んだ後に(感極まる風に)「ボーイ」と叫ぶ短い番組があります。

これは、新興の(怪しい)化粧品のブランドなのか、マイナーな詩人の名前なのか、どこかの国の言葉で「言葉に詰まる」のような意味なのか、ず~と考えていたのですが、これが実はVoiceであり、その正しい発音も日本人が分かる発音もできないアナウンサーの仕業であることを最近知りました。ネットで調べる限りこの問題を指摘しているかたはお一人いますが、何でこれがもっと問題になって、カイゼンされないのか不思議です。

Voiceの発音記号からして米語はoの伸びてボーイに近い発音になるのでしょうが(でもその前のvを正しく発音できていなのでVoiceに聞こえない)、英語ではゥボイスゥと聞えてくるはず。正しくはどなたか日向先生か小曽根真に質問してみてください。(私は両方から過去の投稿で嫌われているのでもう答えてもらえません。)

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落書きを嫌う

手抜き貼り紙を嫌う記事を以前アップしましたが、最近話題の落書きというものにも以前から強い嫌悪感を持っています。

自分の名前を書いて「参上」したり、下手な絵を描いてゲージュツしたり、単に線を引いて暇をつぶしたり、、、そんなことで達成感を得ようとしているのですからこれは怠慢です。器物破損に問われることを覚悟でやるなら、もっとしっかりとやったらどうか。名前だけではなく自分のブログのURLを紹介するとか、絵ならば「買いたい」と思わせとか、線を引くにもしっかりと周囲との整合を取って欲しい。そのようなことをしないまま、リスクに見合う成果も無いのに達成感を得ようとは全くの堕落であり、横着です。

言葉としても、婦女暴行を「イタズラ」などと表現するのと同様に誤用がある。あれは「落書き」とか「いたずら書き」とはではなく、単なる器物破損なのです。あの程度の内容ならもっと見下すべきでしょう。そして、その対象となった器物の価値を下げた分程度はしっかりと償わせることが対策としては有効ではないかと思います。晒し者にするものいい。

油性インクを使う程度の知恵があるのなら、それに相応しい内容であってほしいものですが、世の中の「落書き」はまったくただのガキなのです。

私が落書きをするなら、「NHKは英語や野球を使って米帝国主義に国民を洗脳するのは止めろ」とか、「おねだり農民から税金をしっかり取れ」とか、「天皇制が残っているから部落差別がなくならないのだ」とかをしっかりとチャート化して主張したいところです。もちろん、このブログがあるのでそんなことはしませんが、、(今は)。

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「死に神」誤用の素粒子を嫌う

「死に神」呼ばわりされた法相が激怒している「素粒子」という朝日新聞のコラムがあります。

今回問題になっている一文(「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」)は「死に神」を誤用しています。「死に神」とは「人を死に誘うという神。人に死ぬ気を起こさせる神。」(広辞苑)です。法相は死刑執行命令をしているのですから、誘ったりその気を起こさせるなどという間接的な役割とは異なる。(深読みするなら「残忍な殺人事件を起こせば死刑になれるんですよ」とアブナイ方々を誘っているのかもしれません、、)

2年前には「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」で問題になりました。それではミッキーにビールでもかけて「荒れる成人式」にしろとでも、、。(「、、喜ばせているようじゃ」と行政の行く末を批判するなら賛同しますけど。)

思うに、筆者は散文詩風の思わせ振りな表現形式に甘え、言葉を正確に使った批評なり主張なりをしていない、一種の職務怠慢なのです。朝日新聞や筆者が「嫌いだ」と宣告するだけでもいいのだから言論機関として(カネを取っている以上は)正確に言葉を使って欲しいものです。

ちなみに、朝日新聞の会社案内によるとこのコラムの主旨は次の通りです。

夕刊一面の、これも売り物コラムです。日々のニュースを「寸鉄人を刺す」の意気込みで切ってみせます。14行と短いだけに、加藤明は早朝から新鮮な素材を探し出そうと新聞の隅々に目を通し、執筆に頭を悩ませています。 

この「寸鉄人を刺す」も次のような解説を読むと言論人が使う言葉なのか疑問です。

意 味:短い言葉で、人の急所や要点をつくたとえ。

解 説:小さな刃物で人を殺すという意から転じたことわざ。「寸鉄」は、小さな刃物。「寸鉄人を殺す」ともいう。

人からモノを学ぶことを「盗む」というのと同様に言葉を大切にしていない表現です。(時節柄「不適切な表現」でもありますね。)

悪評高い、アエラの駄洒落コピーも言葉を大切にしていないし、まったく朝日新聞社は言論機関として、またの名、貧乏神。この先思いやられる。

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マイレッジを嫌う

国家公務員の綱紀粛正というのは時代や民族を問わず永遠の課題ですが、これに関連して最近話題になっているマイレッジという仕組みは実にセコイものだと思います。カード会社もビックカメラもDoCoMoもこの点ではすべて同じです。

まず、果たして本当にマーケティングとして成功しているのか甚だ疑問です。競合がやっているからやらなければ、、、というセコイ動機がほとんどだと思います。しかしそれでは差別化はできないし、顧客の囲い込みなどできるはずもない。差を埋めるのが精一杯でしょう。某家電量販店や某大手衣料販売店のように一切ポイントシステムは取らなくてもほかと差別化できる要素があれば十分競合と伍すことができるのですから、これはマーケティングとして仕事をしているフリ(一種の怠慢)ですらあります。

次に、そこで得た情報を企業は十分活用しているのでしょうか?顧客にしてみれば一種の値引きでしょうが、企業にすれば顧客の詳細情報を得る手段でもあるのですから、費用ということもできます。こちらも甚だ怪しい。日経ビジネスなどの事例をいくつか読んだ記憶がありますが、多くは無駄(無茶)な事例ばかり。そんなことまでしなくても企業戦略に必要な基礎情報はいろいろと存在しています。

そして値引き戦術としても甘い。お得感が少なく、むしろ不公正感すらある。セコサが趣味のポイントマニアなる方々の行状を知るほどその感は深まります。値引き戦術が有効なのは、お買い得感が(主観として)あるからであって、わざわざ自らマメに努力して得る「値引き」ではお得とは言い難い。

実は知り合いに某航空機会社の地上職がいるのですが、マイレッジを始めたのは所詮競合対策(特に海外各社対策)であり、利益を損ねるだけだと最初から分かっていて始めたそうです。要するに、やりたくないし、やっても特に効果は少ないのだそうです。

冒頭の話題ですが、マイレッジを国家や企業が「共有化」することに航空機各社は反発しているようですが、以上のように考えてみるとナンセンスですね。反発に必要なチカラを感じません。

私の本業であるマーケティングという視点でマイレッジを嫌ってみました。

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続・ワークライフバランスを嫌う

実は、父親が先月下旬に息を引きとり、会社を暫く休むなどしていました。

「義理通夜」を嫌う私としては、前から決めていた通りに(私の)勤務先関係者の弔問を一切断ることで、親族、父親の知人、近隣の方々を中心に「自然な」通夜~告別式を行うことができました。生前の父親のことなど勤務先の関係者の誰が知っていて、本気で弔うというのでしょうか。(正確には結婚式などを通じて若干名の例外はありますが20年近く前のことですから「時効」と判断しました。)もちろん、勤務先(の社員と勤務外で付き合うこと)が嫌いな私ですから、私事には関わって欲しくもありません。

その結果もあって、父親の葬式は完全な赤字(経費の半分程度の「収入」)でした。もしも勤務先関係から「弔問客」を招けば50人以上の「上客」が来たでしょうから、ほぼトントンになったはずです。

逆に言うなら、会社のイントラネットの弔事コーナーへ葬儀の案内を堂々と掲載して、社員の私的な時間や香典を半ば強制的に供出させることで私事を「充実」させ、さらには同僚に受付や「矢印看板持ち」などのロウドウまでさせるような遺族は本当に迷惑だと思います。事情は様々とは思いますが、結果として他人のワークライフバランスを崩しているという罪の意識は持ってほしいものです。

やっと本題ですが、暫く会社を休んでも「日頃の行いが良い」からでしょうか、業務はほとんど滞ることなく済みました。このような事態になったときにワークライフバランスを維持する(安心して休める)には、上司の活用ということもありますが、「自分じゃなければできない仕事」が無いようにしておくことや、周囲にもユトリがあるように日頃からユルミをもって仕事の段取りをしておくことが必要に思います。

私個人としては、アウトプットのレベルを維持しながらインプットとその処理方法を工夫しているのですが、これを社員が皆始めたら、社員をぎりぎりまで活用してながら効率化を追求しよとする企業として許しがたいはず。逆に言えば、ワークライフバランスを実現するということは本来企業にとって大変キツイことなのです。(さらに続く)

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ワークライフバランスを嫌う

このかなりいい加減な流行り言葉を嫌うことにします。

政府広報では、「自分」(従業員)が望むバランスを実現できるようにすると企業のメリットにつながることになっています。

「ワーク・ライフ・バランスとは、働く人が、子育てや介護、自己啓発、地域活動などといった仕事以外の生活と仕事とを自分が望むバランスで実現できるようにすることを意味します。従業員のワーク・ライフ・バランスを実現するため、企業においては、仕事の内容や進め方の見直し・効率化などに取り組むことで、生産性の向上や優秀な人材の確保・定着、従業員の意欲の向上が図られるなど、企業のメリットにもつながることとなります。」

もちろんそんな巧い話などではなく、日刊ゲンダイの5/10の記事「中間管理職以下はヘトヘトだ!残業ゼロブームには裏がある」によると、「『仕事と家庭を両立しろ』のウソ」として

・・最近、「残業ゼロ」を半ば強制する会社が増殖してきている。「優秀な女性が継続して働けるように」だの「社員の勉強時間を確保するため」だのとご託を並べているが、ある人事コンサルタントは「残業代を払いたくないだけ。単なる経費削減ですよ」と吐き捨てる。「経団連は例の『ホワイトカラーエグゼンプション』を“復活”させたい。『残業代ゼロ法案』『過労死促進法案』、はたまた『労働者定額使い放題プラン』と、散々バッシングされて廃案になったあれです。そこで最近やたらと『ワーク・ライフ・バランス(WLB)』という言葉を持ち出すようになった。要は、残業代ゼロを“シュガーコーティング”して、名前を変えているだけなのです」
組織・人事事情に詳しいジャーナリストの栗原昇氏はこう言う。「WLBは、米国発の労務管理用語です。『仕事と家庭の両立』と言うと聞こえはいいですが、とんでもない。日本ではまるで福利厚生の一環みたいに思われていますが、もともとは90年代の不況期のリストラをきっかけに出てきた施策です。時間内に効率的に働いて生産性を上げろ、浮いた時間は勉強に回してスキルアップしろ、それができない社員はクビだっていう一種の“脅し”なのです」

、、と実情を明らかにしています。私は「名ばかり管理職」なので関係ありませんけど、従業員が望んでも(生活)残業はさせてもらえない状況があるようですから、冒頭の定義と実情は矛盾していますね。

また、私は「子育てや介護」が嫌になることがあると仕事をして何とかバランスを保っているときがありますが、仕事以外の生活に疲れ、職場が休息の場になっている方やそのストレスを仕事で発散する方(←周囲は迷惑)も存在しますね。これらの企業のメリットにならない「自分が望むバランス」を実現することはワークライフバランスという文脈で語られることがほとんどありません。

ワークライフバランスというと何か中立的で自己実現にもつながるような響きがありますが、実際には「政府や企業が望むバランス」を私生活にまで強要してくる狡猾な概念ではないかと思えてきました。(続く)

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やはり野良猫への餌やりを嫌う(地元区長との戦い)

季節が良くなった(悪くなった)せいでしょうか、野良猫餌やり系のキーワード検索でこのブログに来られる方が増えました。そこで、ひとを嫌う行動の難しさ(野良猫の飼い主編)ノラネコエサやり依存症患者を嫌うというタイトルでアップましたがその続編です。この分野では地道に戦いを続けています。

以下地元自治体(東京23区の某区長)との往復書簡を時系列で引用します。

題名:野良猫への餌やりを本気で止めさせて下さい

1丁目に住むものですが、件名、何度かお願いしてきたことです。最近、K区はノラネコへの餌やりが常態化している場所には腕章とウインドブレーカーを身に着けた監視員を置いて、直接注意をしています。効果は著しく、いくつかの「名所」が消滅してきています。そのせいなのか、S川を上って、I区にやってきて野良猫に餌をやっているひとが増えています。感覚的には5割増といったところです。特に悪質だと思うのは、二丁目のK第二公園の毎朝8時半~9時頃に現れる60歳ぐらいの女性で、近くのK大やマンション住民が迷惑しているにも関わらず、また、みどりと公園課がはっきりと禁止の看板を出しているにも関わらず、その前で堂々と10匹近い野良猫を餌付けしています。これをそのまま放置しているのは明らかに行政として黙認していることになりますし、また、近所の住民との諍いを招くことになります。実際、注意している住民と激しい口論になっている場面を数度目撃しています。前の区長の時にはある程度動いていただいたようですが最近はどうも放置されているようです。S区やK区など野良猫への餌やり対策では先進的な自治体に隣接しているので、このままだと、近隣から野良猫に餌やりをするひとが集まってきてしまいそうです。是非有効な対策(できれば監視員の設置)をお願いします。お時間があれば、是非、現場を一度ご視察ください。

区長からの返信

日頃、区政にご理解とご協力をいただきまして、感謝申し上げます。お寄せいただいた猫のえさやりに関する件、拝見いたしました。猫については、飼い主のありなしに関係なく、動物の愛護及び管理に関する法律第44条第4項により、「愛護動物」と指定されています。このため、猫のえさやりを止めさせることは、「動物の虐待」となり法に触れる可能性があります。また、看板が無視されていることは大変残念ではありますが、お願いとして設置されているものであり、えさやりの中止を強制する根拠となる法律及び条例がありません。K第二公園周辺の猫のえさやりについては、昨年12月にも苦情が寄せられたため、保健所職員がその状況を確認したところ、猫については不妊去勢手術もされており、えさの後片付けやふんの始末も適切に管理が行われていたことから、指導を要しないと判断したところです。さて、ご提案の監視員の設置についてですが、区としては猫との共生を図っていきたいと考えており、監視員を設置しても、上記のような理由でえさやりの中止を強制することはできないことから、導入については慎重に検討してまいります。なお、お手紙にありましたK区問い合わせたところ、区としてそのような監視員は、配置していないとのことでした。よろしくご理解のほどお願いいたします。ご意見をお寄せいただきありがとうございました。I区長

返信内容への質問と事実確認

S区長殿。いつも真摯なご回答ありがとうございます。この数週間、頂いたご回答を頭に入れながら野良猫に餌をやる方々のことを観察してきました。どうしても納得がいかないので以下に頂いた回答への質問を含め返信させていただきます。

>猫のえさやりを止めさせることは、「動物の虐待」となり法に触れる可能性があります。

弁護士がそのように言うのでしょうか?そのようにはっきりとなった事例は調べた範囲ではないようです。それよりも、無責任に(自己満足のために)避妊手術を施されていない野良猫に餌をやり続けて子猫をたくさん生ませて平気な方がしていることの方がよっぽど「動物の虐待」ではありませんか?

>えさやりの中止を強制する根拠となる法律及び条例がありません。

何条か調べていませんが、憲法や民法や区条例にも、健康で衛生的な生活は基本的人権として行政には遂行義務があるはずです。えさを無責任に放置する方が大多数となっている現状(次項参照)にあって、そのえさにたかるカラス、ゴキブリ、鳩などがそうでない場所よりもはるかに多く集まって不衛生になったり、十数匹の猫が(冷房を付かずに窓を空けて就眠すると)ギャーとかウゥーとか子供が泣くような声を出して目覚めさせられたりしている区民の衛生や健康を考えてください。I区で条例を作らなくても適用できる法はあるはずですし、そのような条例が必要なら区長が率先して提案して作ればいいだけではありませんか?

>K第二公園周辺の猫のえさやりについては、昨年12月にも苦情が寄せられたため、保健所職員がその状況を確認したところ、猫については不妊去勢手術もされており、えさの後片付けやふんの始末も適切に管理が行われていたことから、指導を要しないと判断したところです。

これは職務怠慢です。そのようなことが無いことは自分で確認しました。保健所職員が確認できた状況も確かにありますがその数倍はそうではない状況があります。K大学やT病院の寮の関係者にご確認をいただければこれは裏付けられるはずです。

>K区に問い合わせたところ、区としてそのような監視員は配置していないとのことでした。

これについては私の勘違いでした。あの方々は全くのボランティアだそうで、「迷惑をしているのに区が動かないので自ら活動をした」そうです。完全とはいえないようですがかなりの効果はあったようです。また少々トラブルもあったようですが「無責任に野良猫に餌をやる連中が増えたら始める」とのことでした。

以上、ご確認のほどよろしくお願いいたします。

[さてどのような回答が来るものか?所謂「お役所仕事」なので大体3週間ぐらいかけて回答が来ますのでそろそろです。その際はアップするようにします。]

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「私の嫌いな10のジャズ・ミュージシャン」(その8.ジャンルに拘らないジャズ・ミュージシャン)

NHK-FMのセッション2008を毎週録音して聴いています。最初の国籍不明の雄叫びと司会者の無味乾燥なしゃべりを無視すれば、「最近の日本のジャズ」をそこそこに楽しむことができます。学校の音楽の授業で課題曲をこなすように清く正しく美しくバイオリンを奏でるや、文化祭の乗りで実力にバラツキのある身内バンドを引き連れて登場した親の七光りピアニスト、音だけ聞いても全然面白くない冗談音楽を軽くみているバンドのライブなど最近の「収穫」です。

本題ですが、「ジャンルに拘らない」ことを売りにしたバンドを組んでいる(二流の)ジャズミュージシャンがよく出てきます。これには猛烈な嫌悪感を抱きます。自分でやりたい音楽をやることは自由ですが、ジャズのリスナーを前提にしている(お金を取る)以上はその期待に応えてこそプロのはず。もちろん、その期待を上手に裏切ってもいい。ところが、その期待を<無視>して、「自分が本当にやりたかった」と称する陳腐な音楽を聞かせるとは何事でしょうか?実際そのほとんどは不思議と往年のニューミュージック(!)か環境音楽(!!)の範疇にしっかりと収まる。何か高尚なことを自分達がしているかのごとき言動も腹立たしい。

ジャンルというのは先人達がそのリスナーと試行錯誤を重ねながら築き上げたひとつの文化(成果)であり、芸術(一定の材料・技術・様式を駆使して美的価値を創造・表現しようとする人間の活動およびその所産)だと思います。そのジャンルというものをしっかりと踏まえながらジャズと向かい合っているリスナーの期待を蔑ろにするとは何と高慢な態度でしょうか。自分を神の如く語るに等しい。

どうしてもジャズとは無縁に「自分が本当にやりたかった」ことをしたいのであれば、まずはジャズミュージシャンという看板を降ろし、過去をソウカツし、この後の人生を賭けてほしいものです。そんな勇気も気概もリスク管理もできないのであれば、しっかりとジャンルに拘り、そこでの自分の役割と目標を明確にした仕事をしてほしいものです。

以下、特に酷かったので記憶に残っているバンドを列挙しておきます。

AZOO & 奥山みなこ

ガイアクアトロ

板橋文夫カルメンマキ太田恵資

kamakura

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グリーンウィークを嫌う

GWをグリーンウィークと呼ばせ、「エコな方法で休暇を楽しんだり、休暇を楽しみながら、エコ活動をする」ことを「持続可能な社会づくりを目指す国民的ムーブメント」として推進している教条的な一団が存在します。ほとんど盛り上がっていないのでどうでもいいのですが、(今日も暇なので)そこからみえてくるマジョリティの欺瞞を嫌いたい。

免罪符というものはいつの時代にも販売しているもので、「罪や責めをまぬがれるためのものや行為を指す」ものを最近は「環境」が担っているのだと思います。ゆえに「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」私にはよく理解できます。実効性などほとんど無くても、それで本人が気持ちよければマジョリティは安心できるのです。

・エコツアーに出かける/・海外旅行をカーボンオフセットする/・友達を呼んでオーガニックパーティーを開く/・面白そうなボランティアに参加してみる/・環境問題を含めた社会貢献をしている企業の商品を買う/・車を使わないで、自転車や電車で出かけてみる/・省エネ家電、車、家などを見に行く。(買う。)/・マイ箸、マイバッグ、水筒など持って出かける。(割り箸、レジ袋、紙コップは断る)

このような雑駁な免罪符リストを用意してまで国民運動をしている方々にいいたいのは、今日の私のような「引きこもり」が一番の「エコ」だということ。所詮「ダイエットは贅沢」なのです。何も買わないのが一番安い、とは私の口癖なのですが、同様に「何もしないのが一番エコ」です。

そして、「低炭素社会の実現に向けた、新しい考え方、仕組みを導入することが目的」ならば、最大の環境負荷になっているであろう戦争を止めさせるために反戦運動をするなり、エコなど全く蔑ろにしているパチンコ屋に抗議行動をするなり、あるいは、

日本には環境を大切にする「心」や世界最先端の環境技術があり、これを活かして世界に貢献していくことができます。国際的なイニシアティブを発揮し、新たな技術を活かして環境産業・ビジネスを生み出していくことで、「環境立国」を実現していけるよう全力で取り組んでまいります。
 
と宣言している環境大臣(*)の仕事が捗るように、エネルギー消費に関わる税率を引き上げてその税収を環境問題解決に充てよ!といった陳情をしてほしい。
 
そのようなことを考えると、消極的にも積極的にもグリーンウィークは環境問題に本気では取り組んでいない。むしろマジョリティに免罪符を与えているだけ有害かもしれません。ちょうど企業が「チームマイナス6%」や「ISO14001」に取り組むように。
 
 
*個人的には鴨下環境大臣は昨今の政治家として稀有な人材だと思っていますが、「環境省が業界でもっともエコな企業」としてあのビックカメラを選んだことには違和感がありました。次は「パチンコ業界で、、」ですかね。

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永守重信日本電産社長も嫌われているのか?

私がある意味で尊敬している日本電産の社長が連合会長から糾弾されている記事にコメントしたところ紹介されてしまいました。

「日本電産の社長がいるおかげでどれだけ倒産しかけた企業の『正社員』とその家族の人生が豊かなものになっているかを考えて欲しいものだと思います。倒産した社員(=非労働組合員)のためにどれだけ高木委員長が頑張ってきたのか知りませんが、少なくても日本電産の方が税収に結びつく成果を上げてきた以上、批判は慎むべきたと思います」(J-CASTコメント)

実はこの紹介は抜粋です。以下、欠落部分の紹介と解説です。

「休まなければ辞めればいい」発言については、と記事が出ていた時間帯が数時間あったようですからこれについてコメントする方もきっといることでしょう。(日本はまだ大丈夫なことを感じるひとときです。)

、、というツカミは、このJ-CASTニュースにコメントする方々の甲斐性を踏まえたものでしたが(注:実際Niftyでは数時間「休まなければ辞めればいい」と間違って掲載されていました)、そこまでマメに指摘するコメント方が今回はいないので私は浮いてしまいました。

また、法規に違反しているなどいまさら発言するなら、労働基準局の職務怠慢をこそ糾弾すべきです。

、、というオチは連合会長や舛添某の小心さを揶揄したつもりです。もしもタダ働きを放置しているという労働基準監督署の職務怠慢があれば社会保険庁並みに糾弾されてしかるべきですから、舛添某にはここでもひとつ頑張って欲しいものです。

この私のコメント内容に硬軟正邪とりまぜていろいろと指摘のコメントもありました。一部引用させて頂いて補足します。

(前略)しかし、「少なくても日本電産の方が税収に結びつく成果を上げてきた」という明確な根拠について、比較できる根拠があるかどうか、疑問です。

これはその通りで私も明確な根拠は持ち合わせていません。単に、企業を倒産させるよりは存続させたほうが税収につながる、連合は企業を倒産させない努力などしてこなかったはず、との推定からです。また、内容が3つに分かれているコメントですが

3さん(注=私のこと)は、お仕事休んでいないんですか?休まずに働いて得られる豊かな生活って何ですか?3さんの身近かには、過労や鬱で退職や自殺された方はいないのですか?私の友人は1年前に自ら命を絶ちました。適応障害で退職した人もいます。現在のこの国の中に、ギリギリのところで踏み止まって生きている人は相当な数になると思うのですが。労使関係や労働条件、労働環境に問題のある企業は山ほどあると思いますよ。個人的には「休みたければ辞めろ」って口に出してしまう日本電産の社長は頭が悪いと思うよ。「雉も鳴かずば撃たれまい」ってことだね。

というやや切実な指摘もありました。このブログの読者ならお分かりのように私も会社を休んだ経験もあり、亡くなった社員で自殺に近い状態だった方も数名いらっしゃいますから、気持ちは分からないではない。でも、恐らくは会社が倒産して退職金もないまま失業状態になって自殺する方がより深刻だと思いますので、「休みたければ辞めろ」と言いながら赤字企業を立て直す方がまだいいと考えます。このコメントの最後の部分の通り、日本電産の社長は「本当のこと」をいうので「善人」からは嫌われるのでしょうね。(しかも成果まで出ているのですから、、)

J-CASTニュースの記事へのコメントの8割方は記事の主旨(日本電産の社長への嫌悪感)に賛同しているようです。読者層を考えれば日経ビジネスとは当然受け止め方も違うでしょうね。

追記:

世間からそんな嫌われ方をしても日本電産の社長は堂々と反論しています。ますます尊敬してしまいました。

当社は雇用の創出こそが企業の最大の社会貢献であるとの経営理念のもと、安定的な雇用の維持が、社員にとっても最重要であると考えております。このような考え方に基づき、これまで経営危機に瀕し、社員の雇用確保の問題に直面していた多くの企業の再建を、一切人員整理することなく成功させて参りました。

やはり連合よりは役立っていると思います。

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携帯中止指導男は嫌われているのか?

毎朝の通勤電車、最寄り駅でのことです。ある時刻のある場所(優先席に近いドア)からほぼ毎日乗車する男がいます。30歳前後でネクタイを外しただけの「ビジネスカジュアル」で、やや思いつめた顔付きであることを除けば、地味でマジメそうな感じの男です。

ところが、電車に乗る直前や乗った直後、そして途中駅で乗客が入れ替わる度に携帯電話を開いている乗客を見つけると「優先席の傍で携帯電話は止めて下さい!」とはっきりとした口調で相手を見て一度だけ言います。言われた方の多くは無表情に携帯電話を止めますが、イヤホンから音楽を聴いている(多分「フリをしている」)方など無視する場合もあります。また、周囲の直接言われていない方の多くは無視をしています。無視されてもこの携帯中止指導男はそれ以上の言動に出るわけでもなく、何も無かったように暫く時間が経過します。反論する方が出ないものかと思うのですが不思議と無く、これといった揉め事にも及びません。さらに不思議なのは、そんな男が毎朝いることが分かっていても、数名の常連携帯電話使用男女が毎朝その場にいるのです。まあ、確かにあそこはあの駅で降りるには丁度いい場所なのですが。

携帯電話から発生する電波が心臓のペースメーカーに悪影響を及ぼすということ自体、一度も事故にならずに10年以上が経過してかなり怪しいので私はどうでもいいのですが、携帯電話使用者が主張するパーソナルスペースは問題にしたい。ほぼ2人分のスペースを占有しているのですから、それを問題にしないのはなぜなのか理解できません。新聞やリックサックは問題にされているのに。

ひょっとしてあの携帯中止指導男はそのパーソナルスペースの主張に対してルールを利用しながら抗議行動に出ているのかもしれません。ある意味で同志だとすれば、共闘してもいい。実は一度だけですが、その携帯中止指導にいつも従わない女子高校生の携帯が私を突っつき続けたので「携帯が私に当たって迷惑です」とはっきり言ったことがありました。反抗期真っ盛りと「痴漢にするわョ」を体現している女子高校生なのですが、さすがに応えたらしく、見事に止めさせることに成功しました。(その後は二度とその姿を見ていません。)

普通なら嫌われている(はずの)携帯中止指導男、実は影で支持している方が他にもいるのではないかと思っています。例えばペースメーカー使用者なら間違いなく支持するでしょうし、ワンセグに買い換えられない(ので悔しくて携帯電話を出せない)方も支持することでしょう。もちろん、私のような感受性から車内のパーソナルスペースに不公平感を持っている方も潜在的にはいると思います。そんなことを考えていると、ほんとうにあの携帯中止指導男は嫌われているのか分からなくなってきます。例えば、「指導」を受けた方が逆上して「うるさい」などと言おうものなら、私を含めた数名から様々な言動でもっと煩いめに合うことは十分想像できます。だから皆さんそんな「(不穏な)空気を読んで」、無視することでしか抵抗しないのかもしれませんね。

今度、私の「支持者」がどの程度いるのか自己点検をするようにします。

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営業を嫌う

、、、というお題を頂き、数日考えた上で、以下「ひとを嫌う修行」として敢えて記事にします。勤務先の営業(正確には販売)担当を嫌う話しです。

彼にしてみれば、私=マーケティング(所謂企画担当)は「敵」です。客に行けば会社を代表し、会社に戻れば客を代表するのが営業だ、と信じて疑わない彼からすれば、客を常に相対的に捉えている私なぞ最大の敵でしょう。

販売価格の例で言えば、私を脅して(「そんな価格じゃ失注だ」と)、安い価格を引き出して、客の前では「本社からこの価格を引き出したのは私です」とかやるわけです。何と姑息で欺瞞に満ちていることでしょう。

営業(販売活動を通じて顧客と社内の調整を受け持つ仕事をしている人)の本質は「(企業)文化の翻訳」(分かるかぁ、青木保の名著のタイトル)だと考えています。翻訳をする以上はちっとも偉ぶってはいけない訳で、自分を褒められることが無いことに美学を感じない方は営業をやってはいけい。

どうも彼にしてみると、「営業」の本質は「(企業の)文化財を切り売りする商人」のようです。文化そのものを高めるのは私の仕事ではないし、大して価値のない「文化」を客に(安売りでも)より多く売るのが私の仕事、らしいです。これではまだホンモノの「商人」に失礼ですね。「売人」ですかね。

そこで思考するなら、彼は「営業」以外の仕事には関心は無く、気持ちのいい毎日を送るために「敵」を設定しながら自分をポジショニグし続ける人生を送っているのでしょう。そして、私がその「敵」なのですから、私はその「営業」を「嫌う」ことではじめて彼を尊重することができるのだと思います。

結局、「営業」とは顧客から嫌われることを避け続けるといる消極的な仕事がまずあって、社内を嫌い続けるという「積極的」な仕事が次にくるわけです。「社内」の私としてその逆で、顧客からいかに好かれるかという積極的な(でもたまには外してしまう)企てを考え、それを実現するために社内をいかにスムースに廻すかという半ば「消極的な仕事」があるのです。そんなことまで考えていると本当に疲れますのでこのあたりで、、。

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あなたにとって嫌な仕事とは?

日経がYahooを通じて勤労者を対象に調査した結果では次の通りだそうです。

トップは、全体の51%の人が嫌だと選んだ「やる目的が明確でない仕事」。全貌が見えないまま始めるプロジェクトほど、不安なものはない。目的が明確でない仕事は、あらゆる危険性をはらんでいる。最も嫌だというのも納得だ。2位は、43%の人が選んだ「嫌いなメンバーと一緒にやる仕事」。性格的に嫌なのか、仕事をしない(できない)から嫌なのか。詳細は分からないが、「あの人とは仕事をやりたくない!」と思ってるビジネスパーソンは意外と多いようだ。3~5位の嫌な仕事は、「難しい」「飲み会(接待)」「休日出勤」と、定番が並んだ。

あくまで選択肢からの複数回答ですが、マジョリティの意見は代表していると見ていいでしょう。(この種の調査に対して、マイノリティを目指す私ならまず「その他」を選んで「具体的には?」の内容を選択肢を見ながら考える癖が付いています。今回なら、GEや三菱重工のような人を殺す道具を作る仕事、とか回答しそうです。)

「やる目的が明確でない仕事」ほど楽な仕事はないと思います。目的をこちらで勝手に決めていいんですから、拡大解釈しようが、矮小化しようが、目的を明確にしなかった方に責任がある。あとで「あれ、これって目的が違ったんですか、ハッハッハ」ができます。もちろん、ろくに目的など無い仕事だって世の中にはたくさんあって、これはこれで味わいがある。仕事をすること自体を目的にできて、職人気質に仕事ができる。自己実現の第五段階かな。

「嫌いなメンバーと一緒にやる仕事」は私は「豊かな人生」の一コマだと思います。仕事を通じて(お金を貰って)人を嫌う修行ができるんです。もちろん成果などろくに出ないので評価は低いでしょう。でもそれを自分の責任にする必要はない。逆に成果が出れば自分の貢献だと思える。おそらく「嫌いなメンバー」も似たようなことを思っているでしょうけど、そんなことはどうでもいい。まさに仕事として「割り切きること」ができます。

第三位は「(知識不足の)難しい仕事」だそうですが、これはそう答えた人間にいかに向上心が無いかが知れますね。向上心が無いことは問題だとは思いませんが、普段から向上心がある姿勢を示しながら「難しい仕事」を嫌うという思考が理解できない。

例えば、選択肢に「間違いなく人から嫌われる仕事」とか入れたら一番になったのではないでしょうか?思うところは様々でしょうが、社員集会での社長への代表質問とか、赤い羽根募金の集金とか、きっと嫌われるでしょうね。

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やはりJR東日本を嫌う

エイプリルフールかと思った地味な新聞記事です。

山手線ホームに可動式さく 転落防止に設置へ

JR東日本は31日、山手線の駅ホームに、乗客の線路への転落を防ぐ可動式さくを設ける方針を明らかにした。17年度までに全29駅での設置を目指す。同社は東北・長野新幹線の9駅に同様のさくを導入しているが、在来線での設置は初めて。可動式さくはホームの線路ぎわに設置され、到着した電車のドアが開いている時にだけ開く。すでに導入している新幹線の9駅では02年度以降、乗客の転落事故が起きていないという。同社は今後数年間で2、3の駅に試行的にさくを設置。電車の到着から発車までの時間が現在よりどのくらいかかるかや、ホームのスペースが狭くなることで乗客の通行にどんな支障があるかなどを調べる。山手線では新大久保駅で01年1月、線路に落ちた男性を助けようとした韓国人留学生ら3人が死亡する事故が起きた。これをきっかけに同社は可動式さくの設置の是非を検討していた。(朝日新聞、20080401日)

JR東日本が3月31日に発表した『グループ経営ビジョン2020~挑む』に「揺るがぬ決意・究極の安全を目指して」として「安全設備重点整備計画を引き続き進め、安全上の弱点を補強し、リスクを低減する」のひとつに「ホームの安全対策の一環として、山手線への可動式ホーム柵の導入に取り組む」とありますから本当の話しなのでしょう。

2001年から検討していたそうですから随分と慎重に「是非を検討」していたものです。そして、山手線全29駅に2017年までの9年もの歳月をかけて設置するそうですからよほど「支障」のあることなのでしょう。(都営地下鉄では企画から完成まで数年だったと思います。これも石原知事のリーダーシップのなせる技だったのでしょうか。)

そして、なんで山手線だけなのか?京浜東北線でも埼京線でも中央線でも総武線でも宇都宮線でも高崎線でも東海道線でも横須賀線でも南武線でも横浜線でも、、、みなラッシュ時の混雑の度合い(による「リスク」)やヒトの命の尊さは同じはず。

これは、目の不自由な方、酔っ払い、自殺志願者の問題だけではありません。今時、ホームで並んで待つときに最前列にいるのは勇気が必要なのです。(さすがの私でも『塩狩峠』精神はありませんので助けませんよ。)長年、人々の「善意」に甘えてきた鉄道会社がその間違いをもう無視できなくなっているのです。そして、一方では有効な対策が具体化しているのですから、何かあれば「不作為」は当然問われることでしょう。

安全には怠慢で金儲けに忙しいJR東日本は嫌わねばなりません。(明日も用心して乗りますけどね。)

追記:JR東日本だけではなくて、東武でも西武でも小田急でも東急でも京王でも京急でも営団地下鉄(の多く)でも小湊鉄道でも埼玉新都市交通でも、、、恐らくは近鉄でも名鉄でも阪急でも阪神でも、、、同じですけど。都営地下鉄や東京モノレールでは違います。

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電車で肩を叩くストレス男を嫌う

松阪のギャンブル帰りタダバスでの殺人事件には思い出すことがあります。

朝の通勤時間帯に地下鉄で都内某所に向かっていたのですが、途中駅から乗ってきた30歳ぐらいの絵に描いたような(安)サラリーマンがこちらに何かを言っています。例によって英語のリピーティング(ムニャムニャしているだけで音は出ません)をやりながら無視をしていると今度は肩を叩き始めました。「邪魔だから向きを変えろ」とジェスチャーまでしています。ストレスストレスストレスススと顔に書いてある風なのでここで無視するのはモッタイナイと考え、ニャッと嗤いながらその男の斜め後ろの携帯メールスペース主張女性の方を見て、「お前、相手が違うだろ」という雰囲気を醸し出しました。どうやらこの男は携帯メールスペース主張を正当なものと信じているらしく全く動じません。そこで、(普通なら後ろを向くところを)その男の正面20cmぐらいに正対し、リピーティングを続けました。目を丸くする、というのはあんな表情を言うのでしょう。周囲の乗客からの心配をヒシヒシと感じる中で数分、次の駅でそのストレス男は降りました。(勝った!)

学生時代に武道をやっていたからかもしれませんが、似たような場面は何度も(自ら望んで)経験してきました。本当に危険なヒトぐらいは見分けれらるので(実際数度避けたこともあるので)一度も怪我などしたことはありませんし、もし相手がこう出たらこう出る、がごく自然に浮かぶので余裕があります。(武)芸は身を助ける、、。

車内で携帯電話で話し続ける輩とも数度対峙したことがあり、相手がヤクザモノの場合を除いて、役員風の初老の会社員であろうが、品のよさそうなご婦人だろうが、反抗期のガキだろうが、普通に「止めて下さい!迷惑です!」とゆっくりと低めの声で至極普通に言って止めさせ続けています。ほぼ連戦連勝です。

冒頭の事件、所詮はギャンブル帰りですからストレスと疲労感の坩堝のような車内のはず。それに恐らくは多くの乗客は酒が入っていたはず。そんなところに世の中の常識など通るわけはないと察します。いわば無法地帯。バスの運転手だって何度も似たような場面に出くわしてきたことでしょうから職務に忠実であればイタイ思いはしなくても済む。私でもそのような車内にたまたま乗ったとすれば静かにリピーティングをしてたことでしょう。TPOは弁えるべきです。

、、にも関わらず、なぜ多くの善良な市民は「常識」でモノゴトを考えるのか理解できません。日頃からしっかりと正義感をもって(あるいは嫌悪感をもって)戦っているのであればその経験からモノをいうことはできると思うのですが、そうでない大多数の善良な(サイレント)市民にはここでも黙っていてほしいものです。

ところで「電車で肩を叩くストレ男」には最近再会しました。あちらは気が付かなかったようで、こちらが嫌な顔をして見つめていると怖かったようで目を反らされてしまいました。私ってヤクザモノ?

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「名ばかり管理職」を嫌う

「名ばかり管理職」である私としてはこの流行り言葉をやはり嫌わねばなりません。

管理職の定義とは、「経営者と一体的な立場」「労働時間を管理されない」「ふさわしい待遇」の3つだそうです。以下、自己点検します。

「経営者と一体的な立場」:全くその気が私にありません。経営者は基本的にアメリカ合州国の人間ですから、一体化などしたいと思ったこともなく、逆に、いかにアメリカ資本から搾取し、日本に税金を落とさせるか、といったことを考えるようになって久しいです。

「労働時間を管理されない」:朝型生活を始めてからは圧勝です。8時前に会社で仕事を始めていると9時を過ぎてから出社してくる輩よりは1時間は堂々と早く帰ることはできるはずですが、それ以上のインパクトがあるようです。一方、有給休暇消化という点での自己管理はしっかりやれていますので、人からは全く管理はされていません。(喫煙時間相当の「有給休憩時間」取得もしっかりと管理していますよ。)

「ふさわしい待遇」:前にも書きましたが、総収入÷総労働時間で考えると「ふさわしい」収入です。待遇には、椅子の肘掛の有無といった侘しいものから、肩書きとか、部下の数、決裁権などもあるようですが、私としては、椅子は人間工学に反していなければよく、肩書きもテキトーなものが付いていればなんでもよく、また、人事権にはほとんど関心がないので部下もきっと居心地がいいと思いますし、決裁権があっても(過去にお咎めが一度もないので)頼まれればほとんどそのまま決済しています。これはなかなか「いい待遇」ですよ。

、、ということで、「名ばかり管理職」やっているでしょ!

「名ばかり管理職」として、搾取されるロウドーシャのことばかりを取り上げるのは偏向報道ですし、むしろ、経営と一体化して仕事を嬉々としてしながら、長時間労働をして、アルバイト程度の収入や処遇に甘んじている「名ばかり組合員」を正しい意味で「啓蒙」してほしいですね。

でも、冒頭の定義って「会社員双六」の「上がり」ですよね。こんな「甘い」定義で本当にいいのかな~。

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勤務中の喫煙を嫌う

勤務時間中の喫煙をコストに換算すると、一本当り1000円以上の損失を企業は被っていると思います。その分の不労時間コストに加えて、喫煙室の地代や設備費用、清掃費用、健康保険費用増加、火災のリスク、まとまった休憩時間を持てない非喫煙者のストレス、などなどトヨタならきっと精査できるはずです。

J-CASTニュースによると、橋下知事が大阪府の健康福祉常任委員会で、「たばこを吸うための休息なんてあり得ない」と言い切り、条例で認められている1日2回の15分「有給休息」をなくし、執務時間中は禁煙にしたい方針を明らかにしたとのこと。「税金をもらっている職員が、1日に何度もタバコを吸っては府民の理解は得られない」との発言もあったようで、嫌われことを覚悟してこれだけはっきりと正論を主張した点は評価したい。できれば、非喫煙者への逆差別が横行していることもしっかりと訴求してほしい。(喫煙時間相当を非喫煙者がボケッと食堂なんかで過ごしていたら「給与ドロボー」視されることは間違いありません。←私がたまにそうです。)

一方、これを受けて大阪府関係職員労働組合は「リフレッシュして再度仕事に集中するのがなぜ悪いのか」「...タバコ一服、職員同士が自由に情報交換できる時間。そんなことが新しい発想を生むこともあるわけですから」という主張をしています。ニコチンの覚醒作用による労働強化を正当化している点、これは労働組合としては有るまじき発言です。

フェアに考えれば、喫煙者の給与はそのコストから10%は低く抑えるべき(あるいは非喫煙者の給与を10%は上げるべき)でしょう。実際、製薬会社などでは社内の全面禁煙化が急速に広まっていて、喫煙習慣をやめられない社員には退職してもらうという会社も珍しくなくなりつつあります。そして、欠点だらけの健康増進法ではありますが、それを推進する立場にある行政には率先して健康を増進してほしいところです。

私の勤務先では取締役数名が勤務時間中に何度も喫煙室を訪れ、たまたまそこにいる社員と長話に興じる(ほどにユトリがある点はいいことですが、、)ので、この点を社内アンケートや噂話などあらゆる機会を使って糾弾し続けています。でも効果はさほど無いようなので、私の抗議行動(食堂での喫煙時間相当の休憩)はこれからもっと過激になって行くことでしょう。また報告します。

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電話勧誘される輩を嫌う

今時、電話で投機に勧誘されて詐欺に遭う方には誰も同情しません。単なる間抜けだからです。でも数千人にひとりぐらいは「間抜け」がいるからでしょう、職場には勧誘の電話が毎日のように掛かってきます。

スパムメールよりも実害があって、技術的には既にNational Do Not Call Registryのような対策が可能なのに、なぜ法律で規制しないのか不思議です。きっとタバコやパチンコのような闇があるんでしょう。

さて、ここでは電話で勧誘されている側の姿勢を嫌いたい。

「関心ありません」「お金ないよ」「今忙しいから」「別のひとにあたって」、、なんと親切な対応でしょう。すべて相手に話しを続ける口実を与えています。相手が戦術でわざと聞きにくい言い回しをしているのに「えぇ?」なんて大きな声で聞き返すのまでいます。もちろん電話は一方的にこちらからは切らないでいる。そして、なぜかその表情はニコニコしていている。

最初、実は儲けたことがあって相手に関心が無い振りをして有利な条件を引き出すための前振りかと思ったり、自分も(やっと)選ばれたんだと思って嬉しいのかと思っていました。ところが、いろいろなケースを垣間見ているとどうやら違う。その表情も、苦笑いとは微妙に違って、「私は良識ある善人なんです」といった感じで、やや満足気な風情だったりする。

いろいろ考えてみると、どうやらそのような姿勢をするのは「人から嫌われたくない」ことに由来するようです。電話で勧誘してきている相手だけではなく、周囲でその会話を聞いている(聞かされている)職場の同僚からも「嫌われたくない」のです。私はどんな相手でも気遣いを忘れずに対応できるんですよ、そうすると波風が立たないで皆さんも気持ちいいでしょう、そんな私なんで皆さんよろしくね、、、といった感じでしょうか。

そのことは、相手がその「気持ち」を汲み取らずに話し続けていると、いきなり怒り出す場合があることからも裏付けられます。(気の弱そうな50台の男性社員が10分ぐらい前述したような「善人」の姿勢で応対していたら、突然、「いい加減にしてください」と絶叫して職場が数分凍りついたことがあります。)

では、私に勧誘電話がかかってきたらどうするかというと、それと分かった瞬間(大体5秒以内には)「勤務時間中です」とはっきりと述べ、相手が反応する前に電話を切るようにしています。これは電話の相手だけではなく、周囲の善人(を誇示する輩)への「威嚇」でもあります。これって、「人の努力を踏みにじる行為」でしょうからきっと嫌われているんでしょうね。

[追記]

>電話勧誘は「されている側」の姿勢にも問題が!?

、、という触れ込みでNiftyの「旬のブログ」に今日午後2時に選ばれてしまい、あっという間に1000近いヒットを頂きました。(これで2回目です。)

「通りすがり」各位の3割ぐらいは他の記事も丁寧に読んでいただいているようで、「マスコミ」の威力を感じます。でも、今のところ、コメントも(まともな)TBも無く、少々修行不足を感じています。もう少し、嫌悪感を刺激できると思っていたのですが甘かったようです。(3月20日午後9時)

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マルチ商法を嫌う

日本はマルチ商法の世界市場の40%(2位は発祥地米国の25%)ながら、1990年代後半をピークに、最大手日本アムウェイで売上が半減するなど多くで減収減益が続き、総崩れになっているそうです。そして、本来の「ユニークな商品の愛用者を広げるための報酬配分という手段」が目的化しているため、その仕組みから人間関係崩壊が避けられず、上下会員同士の憎しみ合いが連鎖し、現場では法律無視が横行しているとのことです。(高山俊之「制度疲労でマルチ商法会社は総崩れ」『国際商業』2008年3月号)

そういえば、10数年前、会社を辞める若手社員の多くは、アムウェイか自己開発セミナーかソニー生命か、のどれかという時期がありました。裕福でない過去を持ちながら見栄を張っているのがアムウエイ、真面目で報われない人生を歩んでいるのが自己開発セミナー、あまり考えずに就職してしまったのがソニー生命、といった感じだったように記憶しています。

本題に戻ると、冒頭の記事はまるで中島義道の著作のように「人間の嫉妬、反感、憎悪、遺恨、敵意といった、人間の持つ醜い感情が渦巻いている」様が具体的に記述されていてとても面白い。「食えるように育ててやった」「食わせてやっている」という上下の反目がありながら「収入を得続けるためには自制して耐え忍び」その上下関係に踏みとどまったり、複数のマルチ商法をやっていること(は除名処分だそうです、、)の密告を「多額のボーナスを支払わなくて済むので」歓迎するマルチ商法会社の実態などが記述されています。「<ひと>を嫌うこと」の事例集のようです。

そして、次の部分には唸ってしまいました。

最上位のランクになってスピーカー役を務めると、背広も高級ブランド品を着用せざるを得なくなり、スポットライトを浴びるので、普通ならもてそうにない中年の醜男でも若い女性が近づいてくる。セミナーは夜に開かれる場合も多いので、食事に誘って、、(後略)

後半の方をもっと宣伝すれば「既存製品による新規市場の開発」ができるのに何でそうしないんでしょうか?モテルことを目的化し、報酬配分を手段化させる、という企業戦略を遂行すれば、金儲け優先という汚名は返上できることでしょう。人間関係を崩壊させる企業行動などいくらでもあるんですから。

実は、身近なところにニュースンとミキプルーンに関わっている方がそれぞれいて、たまに「嫌う」機会があります。どちらも純粋に騙されているだけで、企業勤務経験が希薄なためか在庫や財務の管理ができないため、損をしていてもそれを認識できないようです。また、その商品がいかに優れているかをマニュアル通りに訴求してくることもたまにありますが、所詮は背景知識があるわけでもないため、「なぜを3回繰り返す」までもなく、少し質問するとそこで終わります。こんな素朴な「ディストリビューター」にマルチ商法の多くは支えられているんでしょうね。

最近はニューウエイズジャパンというところが話題らしく、そのうち特定商取引法で摘発され、マスコミの集中攻撃を浴びるだろうことを冒頭の著者は予告しています。ブログでも、間抜けな長いタイトルをつけて勧誘する輩がいますが、そのログが後で特定利益の証拠になることなんか考えていなんでしょう。ブログは罪作りですね。

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「だから女は働かない」を嫌う

「だから女は働かない・見せかけ『女性活用』の落とし穴」というのが今週の日経ビジネスの特集です。2年ほど前に「女性活用待ったなし」という特集をしたり、内永ゆか子というStar Warsっぽいスター経営者の主張を連載してきた雑誌です。どうしても読者に「女性活用」をさせたいようです。(それにしても今週の日経ビジネスの広告ページ数は多すぎる。通常の倍の厚みなった増加ページのほとんどが広告。「フリーペーパー」の如く品性が無いし、環境を語る資格も無い!)

「女性活用待った!」という記事を以前アップしました。「女性活用」について言いたいことのほとんどはそこに書いてあるのですが、女性の労働力化とその国の成長性とは相関はあっても因果関係は証明できないのに、「国際的にも自明」などと同誌編集長自ら述べているので、やはり今回も記事にして嫌うことにしましょう。

冒頭の特集で気が付いたのは、パートや派遣の立場で働く女性を企業が活用している事実の欠落です。既に多くの企業は女性を「活用」できています。でも、これを多くの女性は気に食わないはずです。その点を、労働者の権利として問題視するのであれば全く同感です。女性正社員以上の能力を発揮してくれる女性非社員からの搾取は、私の勤務先のように「ファミリーフレンドリー企業大賞」を受賞している企業でもスゴイものがあります。

ところが、特集を読み進めると、結局のところ、過去に採用した(してしまった)女性正社員がその処遇について文句を言っていたり、(諸事情から)女性を活用せざるを得ない企業が女性にどうすれば逃げられないか、ばかりが話題になっているのです。(前者について、企業は社会福祉施設ではないということを少しは考えて欲しいものです。)

また、ダイバーシティーの浸透度を示す4段階と称して、「抵抗」「同化」「分離」「統合」に分類し、多くの企業はコンプライアンス(!)や企業イメージのために制度を入れて「同化」しているに過ぎない、としています。この認識は甘い!「周辺的な制度だけではなく、働き方そのものを変えるための取り組み」(「統合」の定義)が前述の「多様な働き方」によって既に具体化しているのです。

敢えて言えば、既に社員にしてしまった「働かない」女性を企業としてどう「活用」するかは問題です。「働かない」のは、採用に問題があったのか、上司に問題があるのか、とにかく問題です。(もちろん私の勤務先にもいます。ここ数年は大分減りましたが、、。)

一方、成果主義でも能力主義でもいいのですが、要は男性社員が倒れるまで働かなければいけない職場環境にあって、女性の正社員だからといってワークライフバランスを声高に主張するのは、「おねだり農民」(←後日記事にします)のようです。

日本では女性が働くということが特別なことで、それは日本の後進性を物語っている、としないと雑誌としては特集にならないのでしょうね。でも、今の仕事で台湾の同僚(女性・子持ち)を見ているとそんなに甘い話しではないと思うのです。あの国では男女なく倒れるまで働かされるんですから。

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タスポを嫌う

タスポなど本当はどうでもいいのですが、センスのないキャッチフレーズ「未成年者には買わせない」を目にして、そのような代物を成年は買ってもいいのか?将来の大切な「顧客」である未成年者の反抗を招かないか?といった感受性の低さ加減に嫌悪感が沸き立ちました。

また、これに関連した日経BPのサイトhttp://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/y/97/で久々に私の投稿したコメントが掲載されましたので転載します。

日本ではたばこの販売価格が不当に安いために、、、
①未成年でも容易に「嗜好」できる
②自販機で売らないと経費や利益が出ない
③その自販機販売体制を守るために社会的費用をかける(=本記事)
、といった筋違いのことが生じているのは実にブザマです。
その上、、、
④その社会的費用に見合う税収が取れていない
⑤葉タバコ生産業者の保護という論理がまかり通る
、などといった事象も発生しています。
この種の社会政策を考える人間自体がニコチン依存症患者が主体となっている様子が伺われますね。
日本たばこ産業を本来の意味での「NPO」にしないと解決しないのかもしれません。

ニコチン依存症の政治アナリストが強引な記事を書いて、読者の多くからの違和感いっぱいのコメントをもらいながら、その続編まで書き、ついにその正体が露呈し、3桁になったコメントから世間でどのように喫煙者(ニコチン依存症患者)が嫌われているのか具体的に分かり面白い限りです。

タバコは嫌悪感を育んでくれますね。

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日本たばこ産業を大いに嫌う

何かの事情でチッソやミドリ十字(現・田辺三菱製薬)に勤務する人には、兵器やたばこの産業に従事する人に比べ、原罪意識を背負っている分、嫌うチカラを削がれるときがあります。実際、たまに見聞きする社員の言動からは謙虚に懺悔の日々を送っているように感じることがある。

その逆で、今回はもともと嫌いな日本たばこ産業を大いに嫌いたい。一連の毒入り餃子問題が解決できないのにこんなことを予告しています。

パリッと焼ける特製皮のモチモチ感がアップ 「ひとくち餃子」 3月1日より全国でリニューアル発売 http://www.jti.co.jp/News/2008/01/20080122_05.html

たばこ依存症患者から税収を巻き上げるために存在していた公営企業は、その役割の惨めさを噛み締めながら日陰モノ扱いされていた頃が正しく、株式会社としての経営を強いられて食品や医薬をカネにモノを言わせて買い漁り始めてからはずっと迷走状態を続けているのだと思います。サイトを読んでいるとまさに「生き続け成長し続ける」ことしか考えていない。

もともと多くの一般消費者から嫌われていた企業です。提携するはずだった日清食品からもその食品に対する企業姿勢を嫌われ、一連の消費者対応でブランドへの信頼も地に落ちているなか、「ひとくち餃子」を一体だれが「くち」にするんでしょうか?

実はそんなことはどうでもよく、社会を舐めきったその企業姿勢には嫌悪感が沸き立つのです。倒産するかどこかに吸収されるまで続くのでしょうが、とっとと社名ぐらい変えればいいものを未だに「日本たばこ産業」なんですから、、、やはり「生き続け成長し続ける」こと以外は何も考えられない企業なんでしょうね。

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「私の嫌いな10のジャズ・ミュージシャン」(その7.平均点を狙うジャズ・ミュージシャン)

Manhattan Jazz Quintetは20数年前の発足当初から嫌いでしたが、その理由を説明できないでいました。例によって図書館から借りてきた「A列車で行こう~MJQ結成20周年記念」というCDを聞いていて、どうやらそれは平均点を狙っているからだということに気が付きました。

ビジネスとして(低いココロザシで)ジャズに取り組んだ場合、確実に儲けるためにはマニアを相手にせず、できるだけ多くの消費者を獲得すればよい訳ですから、平均点狙いがいいんです。プロデューサーもジャズ・ミュージシャンもレコード会社も「変なこと」はしないで、多数派や善人が喜びそうなものを粗製乱造するのが一番です。その結果、スリルがなくて平板な、思想がなくても一貫性だけはある、妙に安直で人工的なジャズができるという訳です。

もうひとつ、この取り組みの嫌いな点は過去の遺産をクイモノにしている点です。平均点を狙うにあたって効率的なのは、人気のありそうな名曲を取り上げ、ほどほどに「期待に応える」編曲やアドリブをすることです。「どこかで聞いたことがあるような・・」が売るためにはいいと思っているんでしょうね。その結果、Jazz Giantsの「部分」を引用しまくる。少なくても、ジャズに創造性を求めるリスナーはそのようなジャズには直ぐに臭気を感じ、遠ざかっていくことでしょう。

オーディオチェック用の音源のようなCDを聞きながらそんな事を考えている内に、私の考える平均点を狙うジャズ・ミュージシャンを列挙してみたくなりました。David Matthewsと同じPfなら、Kenny Drewや小曽根真。BaseならEddie Gometzや鈴木良雄、DrumsならAl FosterやShelly Manne。SaxだとBranford MarsalesやSonny Criss、TpはWynton Marsales以下多数。GuiterではBarney Kesselや渡辺香津美とかが平均点狙いに聴こえます。

一方、Lee Konitzのアドリブなんかは聞いていてツマラナイのですが、平均点なぞ全く気にしていない風で、(誰のコピーでもなく後継者もいないという点では)岡本太郎や岸田森のようなジャズ・ミュージシャンなので嫌いではない。(あれでもう少しやる気が感じられればMingusとかMonkのようになれたんではないでしょうか。)

もともと、自分自身が平均点とか3Σとかが大嫌いで、日々のバラツキを勝手に「移動平均」することで社会性があると思い込むようにしています。ですから、「空気を読む」(ことで多数派に迎合する)なんか最悪だと思うのです。そんな訳で平均点狙いのジャズは許せないのかもしれません。

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コンプライアンスを嫌う

日教組の全体集会がグランドプリンスホテル新高輪で実施できなかった件、3度の司法判断に対して「受験生などの宿泊客や周辺への影響を考え一企業として判断した。裁判所の判断は短期間の議論で行われた不十分なもので、われわれは法令違反に当たらないと考えている」(多々良嘉浩広報担当)というチッソかミドリ十字かと思わせるようなコメントには少々驚きました。

西武グループのコンプライアンスの要らしい同グループ企業倫理委員会で理事をやっている中島茂弁護士は「コンプライアンスとは、法令遵守というよりは消費者や従業員の期待に応えていくという意味なんです」と考えているそうですから、「判断」は振れていない。でも、最初に日教組から集会の受注をした時点で「受験生などの宿泊客や周辺への影響」を十分考えていなかったのは愚かですが。

もっと驚いたのは、このニュースを社説でも取り上げた2月2日の朝日新聞に、そのグランドプリンスホテル高輪の要職にある小飼一至というソムリエが国際ソムリエ協会会長に選ばれて云々というデカイ提灯記事があったことです。「グランドプリンスホテル新高輪は自らの行為の罪深さを考えてもらいたい」と社説を結んでいながら、「和のエスプリ 組織に生かす」「お客様に喜んでもらえた時が、ソムリエの至福の時」ですからね~。これも朝日新聞という「一企業として判断した」結果なんでしょう。詐欺を暴かれて倒産した近未来通信の広告を延々と掲載していたことよりもさらに問題の根は深いように思います。

企業において、コンプライアンス(法令順守)とか、CSR(企業の社会的責任)とかは、結局は損得勘定なんですね。環境経営とか、ファミリーフレンドリー企業とかも似たようなものです。前提として「必ずモトを取れる範囲で・・」がある。そして損得勘定が下手な企業はモトが取れずに倒産に到るんでしょう。このあたりの勘所を大企業にタカル弁護士や自称xxコンサルタントなんかは教えているんでしょう。

実は、今の仕事の担当製品に関して経営側から原油高騰を理由に速やかに値上げせよという話しがあって、コスト構造を調べた上で「それは便乗値上げになるからコンプライアンス違反ではないか」と指摘したところ静かになったということがありました。私、戦っているでしょ!コンプライアンスも使いようです。

ところで、何で日教組はこの時期に教研集会をやるんでしょうか?私立中高の試験日を狙って「教育の機会均等実現」に向けた抗議行動なんですかね。

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ドアを背にする輩を嫌う

「通勤電車で嫌われる私」の続編です。

大学時代に学んだE. ホールの影響でしょう、混んだ通勤電車では<Personal Spaceの公平な配分>をモットーに「立ち位置」を決めています。(注:パーソナル・スペース(個人空間)とは「物理的には我々の身体の一部ではないが、自分の身体を取り巻いて、あたかも自分の所有物であるがごとく感じる空間」と定義されます。)

混んだ車内では「15cm~46cmの身体接触が容易な距離。恋人、夫婦、赤ちゃんなどがこの距離にいることは許されるが、それ以外の人がこの距離に近づくと不快感を伴う 。」とされる密接距離(intimate distance)にあるのですから、公共空間としてこの不快感は分かち合うべきだと考えます。このため、乗り込む際には、その場の状況を把握して、公平に不快感が行き渡っているか点検し、少しでも不公平が発見されればそれを是正できるように「体を張って」います。新聞や携帯電話はもちろん、集団による「不法占拠」に対しては、「格差是正」のために自分をどうポジショニングさせればよいかを見極め、ゲリラ戦で挑みます。冒頭のブログにも書きましたが、最近はさらにいろいろと技も充実してきました。

その点、ドアを背にする輩は許せません。新聞や携帯電話のためのスペースを確保するためでしょう、周囲3方向にPersonal Spaceを確保しながらそれを守るために周囲を牽制します。あの態度は、こっちを向くな、こっちに近寄るな、と言っているわけです。これは不公平であり、嫌悪すべき対象です。でもこれはFADが3人いないと撃退できない。

実は、地元の駅はドアが前後の駅と逆のため、「ドアを背にする輩」に毎朝遭遇します。常連が2名ほどいて、私は遭遇するたびに「戦って」います。今朝は「新人」がいて、(守備を強化しているつもりなのでしょうが)床に置いた大きなカバンが実に邪魔でした。そこで足でカバンをジリジリと隅に追いやり、揺れに便乗してたまに踏んでみました。もちろん偶発性を装って、、。当人は最初は無視しようと努力していたようですが、段々気になったようで、最後はカバンを網棚に上げ、ドアの方を向いてしまいました。(←成功!)まあ、目を閉じて英語のRepeatingをモゴモゴとやっている不気味なビジネスカジュアル男から攻められるのですから、さぞ不快感を味わったことでしょう。

一方、似たような姿勢として、ドアと座席の角を背にする輩もいますが、これは2方向で「説得力」もあまりなく、左右どちらからか攻められ、最後は角に向かって「転向」することになります。ちなみに、私が「角」に位置した場合は必ずその「転向」したところから始めるようにしています。まるで私の人生みたいです。

どこかで読んだのですが、関東ではドアに向かって立ち、関西ではドアを背にする、とのこと。(混み方を同一とすると)これは周囲への配慮という点で地域性が出ていますね。本音の関西と品性の関東。でも、この「関西人」が最近は東京でも増えているように感じてます。困ったものです。

「ドアを背にした乗車は他のお客様に迷惑ですのでおやめください」といった車内マナー向上標語ができるまで「わが闘争」は続きそうです。

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JR東日本をこそ嫌う

JR東日本企画の破廉恥さを嫌う記事を以前アップしましたが、これは同社の問題というよりもJR東日本自体の体質にこそ問題があるようです。以下の記事と比べてください。

裸祭りポスター:JR東が「待った」…女性が不快感

露出が不快感を与えると掲示を断られた黒石寺の蘇民祭ポスター 岩手県奥州市の黒石(こくせき)寺で繰り広げられる伝統行事、蘇民祭(そみんさい)の観光ポスターを市が駅構内に掲示しようとしたところ、JR東日本から待ったがかかった。「男性の裸に不快感を覚える客が多い」というのが理由だ。数十年作製しているポスターの掲示拒否は初めてで、市は枚数を200枚減らして1400枚とし、駅で張れない分は市内や首都圏で張るという。(中略)ポスターは写真3枚を組み合わせ、ひげ面で胸毛の男性がアップに、奥に下帯姿の男性たちを配している。昨年11月30日に市がJR東日本盛岡支社に許可を求めた。JR側は本社の判断を仰ぎ、12月3日に図柄を変えない限り掲示できないと通知した。市は下帯など一部修正をしたものの、版下がほぼ完成しJRが求める図柄の全面変更は困難だった。JR東日本盛岡支社の佐藤英喜・販売促進課副課長は「セクハラが問題になる中、公共の場でのポスター掲示の基準は厳しくなっている」と説明する。そのうえで「単純に裸がダメというわけではないが、胸毛などに特に女性が不快に感じる図柄で、見たくないものを見せるのはセクハラ」と判断したという。奥州市水沢総合支所の佐々木禅(ゆずる)商工観光課長は「市と業者とで図柄を決めた後(の掲示拒否)で、日程的にも変更はできなかった」としたうえで「観光客が減るかもしれないが、市内に集中的に張ったり、首都圏の観光施設に掲示をお願いしたりして祭りを盛り上げたい」と話している。

「不快に感じる図柄で、見たくないものを見せるのはセクハラ」と判断するなら、ピーチジョンの(男女を問わず見たくない)下着の広告を何でいまだにS駅のSK線ホームに、「強制視認広告」として残っているのか全く理解できません。

しかも、JR東日本(企画)と市民をナメタようなピーチジョンとその広告制作会社の姿勢を正せない一方、マジメな商工観光課長をここまでイジメルとは何事でしょう!何様だと思っているのでしょうか!(お互い様~[竹中直人]←黙れ)

ここまで嫌悪感が高まると行動に出ざるを得ません。また報告します。

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東京ディズニーランドを嫌う

ディズニーランドは並の企業だったようです。一流企業の一流たる所以は卓越した企業姿勢や危機管理が発揮されたときに再認識できるのですが、今回の事故後の対応には大いに失望し、嫌悪感すらあります。

山車の飾り落下、TDL初の事故・パレード中、けが人なし

8日午後220分ごろ、千葉県浦安市の東京ディズニーランド(TDL)のシンデレラ城近くで、パレード中の山車の鉄製支柱が折れ、惑星をかたどった飾りが地面に落下した。見物客やパレード出演者にけがはなかった。浦安署が実況見分し、原因を調べている。運営会社のオリエンタルランドによると、アトラクションやパレードの山車など園内の破損落下事故は、1983年の開園以来初めて。パレードは「ディズニー・ドリームス・オン・パレード“ムービン・オン”」で、開始から約20分後に事故が発生。数メートルの鉄製支柱(直径約14センチ)で支えている繊維強化プラスチック製の飾り(幅約2.5メートル)が支柱ごと突然折れた。落下した飾りは支柱も含めて重さ約300キロあった。山車は2003年製。飾りや支柱は昨年10月、年1回の定期点検で異常はなかったという。パレードは、落下した飾りを片付けた後に再開した。〔共同〕 (20:42)

問題は最後の部分、「パレードは、落下した飾りを片付けた後に再開した」とは一体どうしたことでしょうか?例えば、菓子パンに針でも入っていたら店頭から全品を回収して検査や廃棄をするでしょうし、日付ラベルを貼り間違えただけでも回収する。一方、テレビでの報道を見る限り、今回は落下地点にたまたま人がいなかっただけであり、死者が出なかったのは偶然に過ぎない。それだけでも自粛してしかるべき。ましてや原因が特定できていなければ、他の危険も潜在している可能性を否定できないのだから少なくてもパレードは中止すべきでしょう。某社のエレベーターだって全国でそうしたではありませんか?反省の姿勢はもちろん危機管理という意識がまったく見えてこない。(ヘリコプターからの映像で、倉庫に収まった落下物を取り巻く社員らしき数名がニヤニヤ笑っていたのも実に不愉快でした。)

以下は同社サイトからの引用です。

パレード公演中の装飾物落下について

本日1420頃、東京ディズニーランドにおいて、お昼のパレード「ディズニー・ドリームス・オン・パレード"ムービン・オン"」の公演中に、1台のフロート(山車)の装飾物が落下しましたのでお知らせいたします。

<当時の状況について>

1.発生日時 200818日(火) 1420

2.発生場所 東京ディズニーランド パレードルート

3.発生状況 フロートの装飾物の支柱が折損し、支柱および星をかたどった装飾物が地面に落下

4.落下した装飾物 長さ約3m、幅約2.5m(支柱部分含む)

5.怪我人等 ゲスト、出演者ともに無し

6.発生原因 調査中

ゲストの皆さまには大変ご迷惑をおかけしたことを、ここに深くお詫び申し上げます。弊社といたしましては、今後このようなことが無い様、この度の原因を究明するとともに再発防止に向け最善を尽くして参ります。

やはり、発生原因を「調査中」で特定できないのであれば、「再発防止に向け最善を尽くして参ります」とは、原因が特定できるまでは閉園して調べる、ということではないでしょうか?

顧客対応という点で世界最高水準にあると同社を見ていたからこその失望感や嫌悪感なのでしょう。でもよく考えれば、同社のマニュアルとそれにもどづく社員教育が最高水準なのであって、マニュアルに無いような事態が発生すれば、現場は混乱し、「並」かそれ以下の対応に終始してしまうのかもしれませんね。(それにしてもパレード再開後に「ゲスト、出演者」はどんな気持ちで「夢と魔法の王国」にいたのでしょうか?ミッキーが魔法で救ったとでも・・?)

[追記] このブログが効いたわけではないのでしょうが、今日9日にこんな記事が出ました。

TDLがパレードを中止 事故を受け山車を点検 2008.1.9 11:51

千葉県浦安市の東京ディズニーランド(TDL)のパレード中に「フロート」と呼ばれる山車の鉄柱が折れた事故で、運営会社のオリエンタルランドは9日、同日に予定していた昼と夜2回のパレードの中止を決定した。(後略)

遅い!

これではやはり並の企業です。危機を転じて一流の証しを示して欲しかった。原因が特定されて十分な対策が施されるまで全世界で休業した結果、第1四半期は赤字転落、、なんて美しいですよね。

それにしてもこのブログへのアクセスがこの記事のおかげで急増しています。ただ、「ワンクリック」一見さんがほとんどで、「谷地健吾」「メンタフダイヤリー」「ジャズ・ミュージシャン」からアクセスした方とは違って、他の記事には目も通してくれていないようです。それはそれで健全なことかもしれません。

[追記-2] これは酷い!

12日パレード再開へ(共同通信)
東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドは11日、パレードの山車の鉄製支柱が折れ、重さ約300キロの飾りが落下した事故を受け9日から中止していたパレードを、12日に再開することを決めた。同社は事故発生翌日から、パレードに使用される山車計46台の一斉点検を開始。金属疲労などが起きていないかを調べ、異常がなかった山車を使用するという。事故の原因については調査中としている。
事故の原因が特定できていないのに何故点検で異常がないと判断できるのか全く理解できません。品質管理に少しでも関わったことがあればこんなことは当たり前過ぎて指摘するまでもないことです。
通例ですと、同じような事故が再発→硬直した組織が背景と調査委員会が指摘→社長が責任を取って辞任、、、となりますが今回はどう展開することでしょう。実はどうでもいいんですけど。

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米語を嫌う

「正月を嫌う」という記事を1年前に書きました。その中で<新年にあたって「何を止めるか」を決めて実行する>として、「満員電車に乗ること」「2次会への参加」「一日12時間以上の労働」を列挙しました。振り返れば、積極的には避けてきたものの、完全には止めていません。でも、その前に「完璧主義」は止めるようにしたので、まあいいかな~と思っています。

今年は「英語」に関連して止めたいことがあります。「米語」の使用です。

「英語」は仕事で毎日使うのですが、その際、アメリカの俗語(例:Honcho、Jazz Ups)やアメリカ社会を背景にした慣用句(例:Take a rain check on sth)を使わないだけでなく、だれかが使っても分からないフリをするということを始めてみたいと思います。同じようなことは「元号」で学生時代から続けています。(書類に元号が書いてあればそれを消して西暦で書きます。特に、今の元号を書いたり、発声したことは一度も無く、その「成果」で今年が元号で何年になるのかを知りませんが大して困りません。)

「英語」は「イングランド語」が起源ながら、「米語」が軍事・経済・文化の侵略に合わせて勢力を拡大し、その総仕上げとしてグローバル化の名のもと、「米語」を通じた世界制覇を完成させようとしています。アメリカ資本(勤務先)からの「搾取」と合わせて、今年はこの侵略へのゲリラ戦として米語排斥活動をやってみたいと思います。(ちなみに、日本人と韓国人ぐらいしか受験しないTOEICですが、辞書で<米俗>や<米略式>と出るようなコトバを問題文に使うと主催団体に猛烈な抗議があるそうです。健全なことです。)

、、とは言え、正調のBritish Englishを使おうというのではありません。英文法における「米語」の手の抜き方は利用(悪用)しながら、<米俗>を排すことで、文化性の無い、数式のように味気のない「英語」を目指そうとするものです。一方、アジアの同胞との活動、、ではなく仕事が多い私として、発音は各国の「方言」を互いに尊重することで統一戦線を張り、米語と帝国主義の粉砕せんとするものです。

戦果は後日報告します。

追記:TalkMasterで通勤時間に聞いている『NHKビジネス英会話』は、CIAが作らせているのではないかと思うほどに米語とアメリカのビジネスの話題ばっかりです。これは一度抗議しないといけませんね。(NHK受信料は相変わらず払っていないので門前払いを食らうかも、、。)

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ノラネコエサやり依存症患者を嫌う

野良猫に餌をやるほとんどの方は依存症ではないかと思うようになりました。

「ひとを嫌う行動の難しさ(野良猫の飼い主編)」という記事を約1年半前に書きましたが、甘かった。自称ジャーナリストによるJ-CASTニュースという素人のブログのような記事を配信する通信社の記事を読んでいるうちに嫌悪感が出てきたので半日ほど考え、このタイトルに到りました。パチンコやタバコと同様、これはその定義通りの依存症です。

精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的・身体的症状を生じる精神的・身体的・行動的状態のことである。(Wikipedia「依存症」より引用)

加えて、依存症患者は、「病的な心理的防衛機制である<否認>を多用するため、しばしば依存症は『否認の病』とも言われる(同)」そうですから、この不可解な人間行動をほぼ正確に言い当てていますね。

「ノラネコエサやり」を「地域の環境問題」と主張する、この千代田区在住(=多分マンション住人)の香取章子というジャーナリストには、野良猫の臭さや煩さに迷惑する地域住民(の「地域の環境問題」)や動物愛護センター見学で自省する方々の感受性を理解できず<否認>し続けることでしょう。自ら「猫教の伝道士」と名乗っているぐらいですから、これは自他共に認めるホンモノの依存症患者です。

また、近所をジョギングをするたびに遭遇する「ノラネコエサやり依存症患者」をよくよく観察すると、自分がノラネコを支配していることを確かめるようにエサをやりながら、鳩やカラスを追い払うなど、とても動物愛護の精神があるとは思えない。少なくても「動物を愛する心こそ、人類愛に通じる」(日本動物愛護協会のモットー)からは程遠いものがあります。

一方、依存症患者の周囲としては(私のように個人的に戦うことは稀であって)、パチンコやタバコのように何らかの規制を求めざるを得なくなります。(北九州市のように実直なものから杉並み区の取り組みのように考え抜いたものまでいろいろあります。)

やはり修行としてネコババとは戦わねばなりません。

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「私の嫌いな10のジャズ・ミュージシャン」(その6.戦うジャズ・ミュージシャン)

2007年のジャズを総括する番組に必ず登場するWynton Marsalisの「自由への誓い」(原題From the Plantetion to the Penitentiary)をまた耳にしてしまいました。シラケル・ジャズです。ミュージシャンとしては嫌いではないMax RoachでもWe Insist!は(時代背景を踏まえても)ツマラナイ・ジャズです。ところが、「フォーバス知事の寓話」でのChales Mingusや「Minamata(水俣)」での秋吉敏子などは違和感無く、イケル・ジャズなのです。また、Satchmo、Elington、Milesなどのジャズには差別への抗議や体制批判が背景や要素としてあるとされていますが、ジャズ自体に「戦い」の臭気は無い。

この差はどこからくるのでしょうか?「黙って俺のメッセージを聞け」といった教条的なものや、アメリカの事は世界に通用するはずと考えている「グローバリズム」への嫌悪感は確かにあります。(それ以前に、私の英語のヒアリング能力不足もあることでしょうがここではちょっと脇へ、、。)

あえて踏み込めば問題意識の差はあるかもしれません。クリヤマコトはあるインタビューで素直に答えています。

Q. 影響を受けたミュージシャンは誰ですか?
A. (前略)
「むしろ身近な黒人の友人から最も影響を受けた」といつも答えてます。ジャズにおいては技術面以上に、魂の部分が重要。モダンジャズは差別と迫害の歴史の中から生まれた黒人ルーツの音楽なので、黒人社会の空気やイデオロギー、彼らにとっての音楽の意味、ジャズが生まれた理由などを理解すること何よりも重要だと思う。ぼくは身近なコミュニティーの中でいろんな経験をして、それを十二分に吸収できた。黒人に囲まれて黒人音楽やってると、鏡を見ない限り自分も黒人だと思ってる(笑)。そんな環境の中で今だに存在する人種差別とか、アメリカ社会の欺瞞とか、アメリカ黒人アーティストが皆考えることをぼくも一緒に考えてました。

Bill EvansやChick Coreaの説明が付かないのはご愛嬌として、言いたいことは大体分かる。でも、そこまでアメリカ黒人と一体化しないと理解できないなら、もうこれは「民族音楽」ですね。

話題を戻すと、最近よく分かってきたことですが、どうも他人がオモシロイことをこちらにオモシロイだろ~と強制してくる状況への嫌悪感が人一倍私は強いのです。カラオケがその典型ですが、オリンピックなんかのマスゲームも見ているとムラムラくる。

ジャズで「戦う」ジャズミュージシャンの音楽は、結局演奏している人間が一番オモシロイので私にはツマラナイのでしょう。(この点では、Pabloの垂れ流し系ジャムセッションや無名レーベルのフリージャズの多くがそうですから、「戦う」ジャズミュージシャンだけを嫌悪するのは「差別」かな。)

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有給休暇を取れない管理職を嫌う

「今年も人間ドックで有給は一日取っただけだったな」などとこの時期に誇らしげに語る管理職は、業務調整能力が欠如し、時間管理ができず、ワークライフバランスを実践できていないのですから、部下を持ってはいけないし、部下の管理の前に自己の管理をして欲しいものだと思います。

会社への依存症や脅迫観念を持った残業人や、業績不振で会社を追われないように「生活残業」を強いらている経営陣も、その「病」を十分自覚していないと、普通に仕事をしたい部下の「仕事の邪魔」になって、転部や転職をされてしまいますよ。それで済めばまだ良いほうで、メンタルヘルスで部下が会社を休まなければならなくなると、その「管理能力」を問われ、さらに仕事が増えるのです。ここまでは私の周りで最近起こった実話をもとにしています。

私自身についていえば、会社からの「搾取」は今年も順調で、給与・賞与支給総額を総労働時間で割れば、会社でもトップクラスでしょうし、「世に出しても恥ずかしくないレベル」にあるはずです。そして、その「高給」に相応しい仕事振り(休み振り)は周囲にも良い影響を与え、今年私が異動した部署の有給休暇消化率の向上に貢献できたものと確信しています。何かとても良いことをしたようです。

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「遙洋子」の編集者を嫌う

「遙 洋子の『男の勘違い、女のすれ違い』」というコラムが日経BPのサイトで展開されています。「日本人はバカになったのか?」「地域格差極まれり」「倒れる前にやるべきこと」「メディアの罪」「働きすぎないでいる努力」「コミュニケーションの決め手」「仕事に集中する3つの条件 」「自立とは何か?」「女の敵は女 」「不完全のススメ」といったタイトル。何か「青年の主張」っぽい、妙に力みのある、浮き上がったシセイを感じます。「時事問題を独自の視点で切り込むタレントでエッセイストの遙洋子氏が、男と女が食い違うワケをユニークな視点で解説していく」という編集者の意図もむなしく、月並みな内容をエッセイスト気取りの売れないタレントが「男女の食い違うワケ」..などには関係なく、自分勝手に書き殴って、多くの読者から顰蹙を浴びている様は実に滑稽です。

分けても私が嫌悪しているのは日経BPの担当(を数ヶ月前に変わったと思われる)編集者の怠慢さです。数ヶ月前までは100件を超えるコメントをほぼそのままアップして「炎上」を許容しながら(この種の似非フェミニストへの)世論をしっかりと反映させていたのに、最近はアップ初日の数時間でコメントを締め切って10件前後のコメントのみが<あったこと>にしています。私自身、無視されたコメントが片手に余るほどです。

そして、「遙洋子」という嫌われ者キャラをどう勘違いしてか、写真をブリッコに変えたり、どんどん内容を若返らせ、ついには反抗期の女子中学生のような作文にまで到っています。(その前は、こちらを睨みつける嫌われ者キャラそのものの実に味わいのある写真と、上野千鶴子の学徒だったことを意識した青臭い内容だったのに。←これは私は嫌いではなかった。)

個人のブログなら何でもありかもしれませんが、日経BPというメディアが責任を負うサイトに、この程度の「品質保証」の編集では他の記事まで「偽装」に見えてしまいます。少なくてもコラムの主旨には合っていない。

日経BPの社内事情は知りませんが、「報道の自由」などという高尚なものではなく、これはブランドイメージの失墜なのですから、その側面からの内部告発ぐらいはほしいものです。

(この記事のTBをそのコラムへ入れてみますが果たしてアップされるのかどうか?)

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孤独力を愛好する

人を嫌う修行の究極は、「孤独」の持つチカラを信じて、それを愛好することではないか考えています。中島義道も近著で似たような主張をしていますね。

ぜんさんのブログでその記事のご案内を頂いたものですが、孤独力という怪しい学問があるそうで、これを提唱している方(とその肩書きになっている大学)も怪しく、学問としてはまだまだ詰めが甘い。でも、着眼点(例えばLonelinessとSolitudeは違う、など)は素晴らしいと思います。

この領域は学際的研究の対象として十分展開できます。社会学、心理学、哲学、宗教学などに加えて、メンタルヘルスにも有効と見ました。そして、ぜんさんのブログからの引用ですが「お釈迦さまは『犀のごとく、独り歩め』とおっしゃいました」そうですから、決して今に始まったものではなさそうです。個人的には「孤独」でいることを愛好することができるほど人間としての成熟に近づくのではないかと思っています。

いくつか上記リンク先の記事から引用しておきます。

Q. そこで先生の「孤独学」では、消極的な孤独を「ロンリネス(孤独感)」、積極的な孤独を「ソリテュード」と呼んで区別しています。孤独が持つこの二面性、実は私たちも普段の生活の中で体験しているんですね。

A. その通りです。ロンリネスは誰でも分かりますね。ソリテュードは、例えば集団から離れ一人ゆっくりお風呂に入って、「ふぅーっ」と一息つく時。あるいは、何もせず、お茶でも飲んでいる時。そんな時に素晴らしいアイデアが浮かんだという事はありませんか? それがソリテュード体験の第一歩。(中略)皆さんソリテュードは感覚的に分かるけれど、それが起こるメカニズムを論理的に説明できないし、ソリテュードには心理的、医学的、社会学的に効用があるとされているにもかかわらず、それを知らずにいる。(後略)

知識と経験を知恵に発酵させるために必要なもの──私はそれを、「心ののりしろ」だと考えています。もっと分かりやすく言えば、何もせずぼーっとしている「余白の時間」。ぼーっとしていると言っても、心の中ではいろいろな事を考えているかもしれない。(中略)「今日は自分の中の孤独力を発酵させるための一日だったんだ」「今日一日ソリテュード・タイム(積極的孤独時間)を過ごした。明日からもっと、ラクに生きられる」など、とにかく自分にそう思い込ませるんです。なぜそんな呪文を唱えるような事をするのかというと、その裏には、自分が何もしなくても勝手に動いているメカニズムがあるからなんです。(後略)

Q. そうなると孤独力は、「人生をよりよく生きるためのツールのひとつ」と言えますね。

A. そのとおり。私は「心の丈を伸ばすツール」だと考えています。(中略)子供の頃から一人でいることが好きだったのですが、大人になるにつれ、一人でいることに違和感を覚えるようになって、10代、20代の頃は無理して周囲に協調していました。(後略)

自分の思考やそれに基づく行動に関して、いろいろな側面から裏づけを得られるのは嬉しいものです。

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ティッシュ配布人を嫌う

武富士の制服を着た女性が駅の階段脇でほぼ毎朝ティッシュを配っています。知る限りではこの7年でおそらく3代目のティッシュ配布人です。

あそこに存在するだけで通行の邪魔になって迷惑しているのですが、それ以上に、引き攣った作り笑いで「オハヨウゴザイマスゥ」という甲高い声の一方的なコミュニケーションの押し付けには毎朝嫌悪感が刺激されています。一日の内で一番嫌な顔をして「ソンナキタナイティッシュハイラナイノダ!」と心で返すようにしているのでがティッシュ配布人は一向に動じないため、作り笑い&「オハヨウゴザイマスゥ」の攻撃を連日受けています。

一度だけ「実力行使」をしたことがあります。私は階段を地下に降りるのですが、丁度登る方が逆行してきたため、それを避けるためにティッシュ配布人に(半ば意図的に)ぶつかってしまいました。一瞬ですが「オハヨウゴザイマスゥ」という声が妙にずれて「オハヨウゴゥザィマッス」となって顔も強張りました。それでも翌朝は作り笑いで「オハヨウゴザイマスゥ」でした。

ある日、ティッシュを貰って「アリガトウ」と本気でお礼をしている方を見かけました。ティッシュ配布人はいつもの作り笑いで応えていましたが言葉はありません。あれだけ毎朝「オハヨウゴザイマスゥ」といい続けているので咄嗟に自分の言葉が出てこなかったのでしょうね。

中高生や外国人を無視してティッシュを配らないことにも嫌悪感があります。「先行投資」や「新規市場開拓」の欠如はマーケティング感覚がない。そもそも、欲しそうな方が時に無視される様を見るのは切ないものです。

今日もその切ない思いをしました。来週あたり気持ちが乗ってきたら「私はティッシュは不要です!私に作り笑いでアイサツをするのも止めてください!」とはっきり告げたいと思っています。これも修行です。後日戦果報告させていただきます。

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そろそろ20kヒット達成!

皆様からのご愛顧(ご嫌悪)で本ブログも1年7ヶ月と少しの今週中に20kヒットを迎えることになりそうです。

もともと、このような半ば自虐的な取り組みへの反響に多くは期待していませんでしたから、まさか1年半以上も続けられるとは思いませんでしたし、20kヒットが達成できるとは思いもよりませんでした。これも皆様のおかげです。そして、最近コメントが少ないこともあってか(未だに修行が足りないこともあってか)これは妙に嬉しいものです。

前にも似たような内容で記事を書きましたが、過去4ヶ月の人気ページは次の通りでした。

1 FADの思考: トップページ 450899 11.2% 15.5%

2

FADの思考: NHK谷地健吾アナウンサーを嫌う

392571

9.8%

9.8%

3

FADの思考: 日本相撲協会を嫌う(朝青龍を救え!)

365514

9.1%

8.9%

4

FADの思考: 「私の嫌いな10のジャズ・ミュージシャン」 (その4. 練習をしていないジャズ・ミュージシャン)

94179

2.3%

3.1%

5

FADの思考: メンタフダイアリーを嫌う

121178

3.0%

3.1%

6

FADの思考: 24時間テレビを嫌う

110172

2.7%

3.0%

7

FADの思考: うつを嫌う

「お気に入り」になっておられる方が多い一方、「一見」各位は「谷内健吾」「朝青龍」「メンタフダイアリー」あたりの検索でご来場される方が多いようです。また、ジャズ・ミュージシャン関係も最近増えています。

メンタフダイアリー各位は他の記事にもいろいろと目を通していただいているようで、本サイト記事に二桁連続ヒットの方もたまにいらしゃいますね。逆に相撲関係者は「一見」で終わるようです。

今後とも皆様のご愛顧(ご嫌悪)のほどよろしくお願いします。

おまけ「今後の記事候補」:

ティッシュ配布人を嫌う、都庁職員を嫌う、HPのPCを嫌う、電車でドアを背中にする輩を嫌う、電車で肩を叩くストレス男を嫌う、過剰に喋るジャズ・ミュージシャン、戦うジャズ・ミュージシャン and so on. (期待など決してしないでくださいね。)

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「山田洋行」を嫌う

あれは「山田洋行」だ、「山田洋行」状態、「山田洋行」する、などの活用が巷では盛んに行われています。電車や飲食店での会話で数度耳にしましたし、私の勤務先でも数名が「活用」しています。すべての取引先とのゴルフは「山田洋行」でしょうし、子弟の就学や就職の世話をするのも「山田洋行」、もちろん顧客法人の退職者を受け入れるも「山田洋行」。

これだけ世間から「山田洋行」が「受け入れられている」のは、多くの業界で「山田洋行」が罷り通っているからなんでしょうね。「ゴルフデーを嫌う」という記事を以前に書きましたが、私の勤務先も似たようなもので、社員の子弟や退職者が「山田洋行」されたり、顧客に「山田洋行」したり、さらには窓際族を集めて「山田洋行」センターなんかもつくっています。

素朴な疑問ですが、接待は何で取引先のために一方的に行われるのでしょうか?

元営業職の私はある先輩から「交際費の半分は部下や社内のために使うもの」と教わり、顧客からは「S社の営業課長は自分が通いたい店に行くために自分をダシししている」との話しを聞き、その教えを「素直」に実践してきました。今でこそ、勤務先への税務当局からの指摘事項が厳しくなってしまって、そのような交際費はほとんどありませんが、なによりも自分のために「第二の給与」は使うべきだと思っています。

受注のための顧客との飲食という「正しい」目的で交際費使うときでも、これは自分と顧客が「交際」をする以上は自分も楽しくなければ「交際」にならない、と考えて日頃は行けないようなジャズクラブに行ったりしていました。(別にアリス・コルトレーンのライブに連れて行ったわけでもないので「交際」関係にヒビは入りません。)

まあ、ある意味でこれは勤務先からの「搾取」ということになりますね。健全なことです。

この点、世間の「山田洋行」は不健全です。世間では「山田洋行」すること自体を否定しているのではなく、自らの「山田洋行」の規模や頻度が足りないことに不満があるのではないでしょうか。営業側は「もっと経費がなければ・・」とか「OBを雇えば・・」とか、顧客側は「おれは軽く見られていた」とか「おれもまだまだ影響力が足りない」とか、深く「反省」しているように思います。

それにしても、「山田洋行」を使ってきたGEという「尊敬される企業」は尊敬できません。顧客にモノを届けるまでが企業活動なのですから、責任は重大です。少なくてもコンプライアンスの点では失格であり、責任者は厳重に処分されるべきなんでしょうがそんな話しは聞こえてきませんね。もともとが人殺しのための製品を作っている企業なんですから、尊敬しているのはテロリストに怯える金持ちだけかもしれませんけど。

、、ということで、「山田洋行」を嫌うと社会学や哲学ができますよ。

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健康増進法を嫌う(地元自治体との戦い)

「区長への手紙」から始まった、地元自治体との交換書簡です。前々回のJR東日本企画と同じく、時系列で転載します。

件名:路上禁煙を早く実現してください

区長は煙草を吸いますか?私は吸いません。若干喘息の気があるもので、路上で前を歩く人が喫煙をすると咳き込みます。I区はいつになればはっきりと路上禁煙が実現するのですか?他の自治体での取り組み方を見ると、健康増進法の主旨からすればさほど問題なく実現できるはずです。法解釈などという高尚なものではなく、単に首長のやる気だけの問題に思えます。私個人で言えば、住まいからJ駅方面に行く道はひとつで、行き来する喫煙者を避けるために早朝に家を出るのですが、最近は工事が多いせいか、特に最近は煙を避けきれず、朝から大変不快かつ不健康な思いをさせられています。K区がどうなっているのか分かりませんが、(TY学校脇あたりで)I区に入ったとたんに煙草に火をつける輩が多いのも困ったものです。このような質問をして意味があるのか不明ですが、I区の公道上における喫煙の放置について大変理解に苦しんでいます。是非とも一区民が納得できる返答をお願いいたします。

Subject: 路上禁煙の早期実施について

ご質問いただいた件について、回答させていただきます。日頃からI区の環境行政にご理解とご協力をいただき誠にありがとうございます。I区では、「xxクリーン条例」により、区内全域の道路など公共の場所においては、歩行喫煙をしないように努めることを義務付けております。さらに、乗降客の多い駅周辺や人通りの多い商店街を「路上禁煙地区」に指定できる旨規定し、現在7地区を指定しております。路上禁煙地区内では、終日路上での喫煙行為を禁止しており、週3回、巡回パトロール指導員により、違反者に対する注意・指導を行っています。ご指摘の健康増進法は、施設管理者に対して施設内での受動喫煙防止の努力義務を規定していますが、路上喫煙についての規定はありません。たばこは嗜好品であり、ルールとマナーを守った上での喫煙は認められています。そこで、路上での歩行喫煙や吸い殻のポイ捨てなどの迷惑喫煙行為を防止するためには、喫煙者のマナーアップが重要になります。このため、I区は、駅頭でのキャンペーン活動などにより、区民の皆様方と手を携えて喫煙マナーの向上に取組んでおります。また、ボランティアからなる「I区喫煙マナーアップ推進員」制度を創設しました。現在、141名の推進員が、各地域で吸い殻の清掃活動などを通して、喫煙者のマナーアップに取組んでおります。推進員は、どなたでもなることができます。この一員として一緒に活動に取組んでいただければ幸いです。 大変貴重なご意見をいただきありがとうございました。I区は、今後とも町会・自治会、商店会をはじめ多くの区民の皆様と手を携えて、喫煙マナーアップの推進に向けて、粘り強く取組んでまいります。I区長 S       (参考) Iクリーン条例第12条:区民等は、道路、公園、広場その他の公共の場所を歩行中又は自転車に乗車中に喫煙をしないよう努めなければならない。 健康増進法第25条:学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない。

Subject: 路上禁煙の早期実施について

やはり区長はタバコを吸われるようですね。喫煙者の嗜好を(非喫煙者は)理解した上でそのマナーの改善を応援することを区民に求めるなど本末転倒ではありませんか?そもそも喫煙の習慣は嗜好というレベルで語る問題では既に無くなっていて、はっきりと「ニコチン中毒患者」であるとWHOも規定しているなのですから、努力義務やマナーなどに期待して解決するものではありません。健康増進法の主旨からすれば、はっきりとルールとして強制することで(喫煙者の健康を守るためにも)禁煙を促すべきで「路上禁煙地区」など設定するから、「それ以外なら吸ってもいいんだろ」(、、と言われてこともあります)、という発想になっているような中毒患者から、区民の健康をどう守るのかをしっかりと考えてほしいと思います。今時の日常生活で煙草の煙を強制的に吸わされるのはもう路上ぐらいしか残っていないのですから、早く手を打たないと道路施設管理者である行政はその不作為を問われるのではありませんか。一方で有効な施策が実行できている自治体が存在するのですから、何か事が生じたときにはその取り組みの差が原因として問題になるはずです。(ところで、健康増進法に具体的な規定がないから、路上での喫煙は「認められている」という法解釈はおかしくありませんか?区が条例で設定した努力目標とも矛盾していますよ。)少々荒っぽいメールになって恐縮ですが、残念ながらご返信内容にはほとんどの点で納得できません。区内全域を路上喫煙禁止にできない理由を教えてください。

Subject: 路上禁煙の早期実施について(回答)

いつもI区の環境行政にご理解を賜りありがとうございます。お返事が大変遅くなって申し訳ございませんでした。さて、ご質問の件につきまして、別添により回答いたします。I区環境保全課

、、とのメールにMS-WORDでの短い回答が添付されていました。以下の返信にそのほとんどは引用しています。

Re: Subject: 路上禁煙の早期実施について(回答)

環境保全課長 Y様
ご回答ありがとうございました。ほぼ同様の問い合わせにお隣のK区では1週間ほどで回答いただきました。内容も努力の姿勢を示した誠実なものでした。さて、「喫煙については、現在法で認められております。この制限をする場合は、法律の明確な規定による根拠や特別な理由が求められます。」は分かるのですが、そこで地方自治体としての仕事を諦めて、「したがって、ルールとマナーを守って喫煙することが重要であると考えます。」とする点は飛躍があり俄かには納得できない論理です。ルールやマナーを守れない「病人」をどうするかが問われているのです。ましてや、「仮に規制による制限を行った場合、喫煙者への配慮として喫煙所及び排煙処理設備の設置など都市環境整備を行うことも重要なこと」とは思えませんし、そんなことをする必要が「法律の明確な規定による根拠や特別な理由」としてあるのでしょうか?「こうした法令面や設備投資などの課題があるなかで、まず喫煙者のマナーアップを図ることに力を入れております。」とは誰のために行政を行っているのでしょうか?行政が業務を推進しないでいい理由を「課題」と称して問題の本質から逃げているだけのように思え、ほとんど理解できません。あえて理解するとすれば、失礼ながら、区長やY様ご自身が喫煙者(ニコチン中毒患者)ではないかと思う次第です。各自治体はさまざまな工夫をしながら年々改善を重ねています。今のI区は3年前の当事者の尽力に胡坐をかいて、もう何もしないと決め込んでいるとしか思えませんがいかがでしょうか? 参考資料http://www1.sumoto.gr.jp/shinryou/kituen/walkingsmoking.htm

、、ということで、この件がその後どうなったかはまた記事か自己レスにします。それにしても、健康増進法はニコチン中毒患者がその抜け道を残すために作ったとしか思えませんね。

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「女が選ぶ嫌いな女」を嫌う

「女が選ぶ嫌いな女ワースト10」というものを週刊文春が毎年やっているそうで、今年は以下の通りだそうです。[( )内は昨年の順位。]
 1 沢尻エリカ (圏外)
 2 細木数子  (1)
 3 和田アキ子 (3)
 4 神田うの  (8)
 5 西川史子  (8)
 6 久本雅美  (18)
 7 田中真紀子 (圏外)
 8 工藤静香  (20)
 9 さとう珠緒 (2)
10 長澤まさみ (圏外)

本誌は読んでいないので以下は思い込みで「嫌う」ことにします。この種の発表がいかにいい加減なものか、あらためて考えてみました。但し、並んだ名前の半分ぐらいは未知でもあり、順位がどうのこうのなどはどうでもいいので、気になる方は「善人」のブログ(例1例2例3)をご参照ください。

「1000人にアンケート調査をした」とのことですが、果たして(日本の)女性すべてから正しくサンプル抽出され、有効回答率はその抽出方法が有効な範囲に入っているのか?そんなことはまったく期待できません。似たような人気(不人気)投票同様、ほとんど社会調査とは言えないレベルでしょう。リストから察するに、芸能週刊誌やテレビ番組に一日2時間以上を費やしている10代後半から50代までの日本人女性、といったところでまずは括られ、扇動的な記事を売りにする週刊文春に賛同するか、そのことすら知らないか、そんなことはどうでもいいと思っている程度に「知的」女性のみが回答しているのでしょうから、単なる「(文春の)読者アンケート」ですね。

スイングジャーナルにも人気投票というものはありますが、本誌に挿んである専用葉書で投票しないといけませんから、まだ公正感は残ります。しかもスイングジャーナルの読者の人気投票である、と定義されていますから、通のジャズファンなら「どうせスイングジャーナルなんか購読している連中なんかに分かるか」と切り捨てることもも簡単にできます。要するに権威などほとんどない。ところが、冒頭の記事は調査方法などは蔑ろにされ、結果だけをいろいろなメディアで取り上げさせるのですから実に狡猾で、「一億白痴化」という言葉を思い出します。

似たような記事や発表はよくあり、これ読め500選のように稚拙なものから、悪い景観100景のように姑息かつ無礼なものもあります。でも、この「女が嫌う・・」はいかにも社会調査を装っているだけ悪質です。

それにしても遥洋子は「不人気」ですね。日経のサイトであれだけ嫌われているのに、、。

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JR東日本企画を嫌う(続・ピーチジョンを嫌う)

「強制視認性が高いメディア」であることを売りにする㈱JR東日本企画との戦い(交換書簡)を時系列でほぼそのまま転載します。

Subject: お願い:ピーチジョンのサインボードの変更

JR・SK線の利用者です。S駅のSK線ホームの線路脇にある、ピーチジョンのサインボード広告(女性3名の下着姿)は性的表現が過ぎます。公共の場に相応しくありません。大変不愉快で迷惑をしています。これは私だけではなく、現場で観察をしていただければ判ると思いますが、多くの女性達も不愉快であり、セクシャルハラスメントではないかと考えます。(職場に女性の下着姿などの写真を張ることは典型的なセクシャルハラスメントの事例です。)また、性的表現によって痴漢を誘発させることも考えられます。そして、貴社も述べられているように「強制的に視認される可能性が高いメディア」ですから、例えば週刊誌などの中ずり広告とは影響力が違います。これらの内容をS駅の「お客様相談室」に連絡したところ、すべては貴社の審査基準に委ねているとのことでしたので、今回こちらに直接連絡することとしました。貴社の挨拶文には「コミュニケーションの社会的役割は、企業にとっても生活者にとってもますます重要性を増しており、人々の生活の内容や質そのものにまでかかわってきています。」とあります。その通りだと思いますので、是非ご検討の上、その重要性を鑑みて実践してください。お返事をお待ちしています。

Subject: RE: お願い:ピーチジョンのサインボードの変更

いつもJR東日本グループをご利用戴き、誠にありがとうございます。弊社(ジェイアール東日本企画)では、駅構内及び列車内の広告意匠や広告表現について、掲出基準を独自に設けており、すべての広告について事前に審査を行っております。重ねてのご説明となりますが、今回お客さまからご意見を頂戴いたしました下着の広告につきましても、不快感や羞恥心を起させないか、性犯罪を誘発、助長するおそれはないか、青少年に悪影響を与えるおそれはないか、品位や美観を損なうおそれはないかなどの様々な観点から検討しており、広告主の理解と協力を得ながら修正を重ねたのちに許容範囲と判断した広告を掲出しております。弊社といたしましては、駅構内は不特定多数のお客さまにご利用いただく公共空間>であることを十分考慮し、今後とも厳正な広告審査を実施してまいりますので、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。今回のご意見につきましては、今後の審査の参考とさせていただきます。貴重なご意見をいただき、誠にありがとうございました。今後ともJR東日本グループをご愛顧戴きますよう何卒よろしくお願い申し上げます。 ジェイアール東日本企画

Subject: Re: RE: お願い:ピーチジョンのサインボードの変更

JR東日本企画 ご担当者殿 早速のご回答ありがとうございます。残念ならがご返答内容が理解できません。以下3点に絞って確認させて頂きます。理解できない以上はやはり変更を要求したいと考えます。

1.ご返答内容は、要するに全ては私企業である貴社の独自の掲出判断においては正しい、ということだけですね。公共空間に対する社会の規準から貴社の独自の判断基準が逸脱していないことを合理的に保証できる仕組みは存在していないと理解しますがよろしいですか?あるいは、貴社の独自の判断基準について外部による審査(例えば東京都の当該部局への確認)などは存在するのでしょうか?教えてください。

2.「修正を重ねたのち」とされていますが、あのサインボードはピーチジョンの秋号カタログの2ページ目にある写真と同一ではありませんか?これはご返信の内容が虚偽か、「修正」が末梢な部分だけだったのではないでしょうか?この点は特に納得できませんので説明してください。

3.「女性の下着姿などの写真を張ることは典型的なセクシャルハラスメントの事例」であると書きましたが、貴社内やグループ企業でもあのような写真を職場に張り出せばそうなりませんか?女性の下着姿を「強制的に視認される可能性が高い」場所に張り出してもいいとお考えなのでしょうか?厭なら見なければいい、では済まないメディアであると貴社もn認識されているはずですから、この点に関しては正確にお答えください。(ご担当者殿が男性か女性か不明ですが、是非貴社の女性複数にご確認ください。私の勤務先では間違い無くセクシャルハラスメントに該当します。)

以上の3点についてご返答をお願い致します。

Subject: RE: RE: お願い:ピーチジョンのサインボードの変更

広告審査のお問い合わせをいただきながら、回答が遅れましたことをお詫び申し上げます。ご質問につきまして回答をさせていただきます。

1.弊社は独自の広告掲出ガイドラインを持っていますが、年令や性別、環境などの様々な不特定多数の方がご覧になる広告であることを念頭に作成しております。また、個別の審査につきましては、独自に判断をしておりますが、お客さまから頂いたご意見の例や時流の変化などをふまえ、常に多角的な視野にもとづいて社会から逸脱しない見解であるように注意をしております。

2.広告表現の修正についてですが、最初のデザインでは3人の女性の全身が写っていました。代理店を通じて広告主に対し、公共の場の広告であるため肌の露出を控えていただくなどの修正依頼をした結果、全身ではなく脚の部分を削除され、さらに女性の体に文字をかぶせていただくこととなりました。

3.当社のガイドラインではセクシャルハラスメントにあたるものは掲出できないと定めておりますが、女性の意見も加味したうえで、最終的に下着の商品広告として卑猥性のない許容範囲のデザインと判断し、掲出をいたしました。

ご指摘のとおり、下着の意匠につきましては肌の露出が多くなりがちであるため、弊社といたしましても慎重に検討をしております。また、広告代理店を通じて広告主にも当社の媒体特性や審査上の考え方をお伝えし、ご協力をお願いしております。何卒ご理解を賜りますようよろしくお願い申し上げます。貴重なご意見をどうも有り難うございました。 ジェイアール東日本企画

Subject: Re: RE: RE: お願い:ピーチジョンのサインボードの変更

JR東日本企画 ご担当者殿 指摘内容のご検討と丁重なご返答ありがとうございます。内容は理解できますが、残念ながら賛同はできません。

1.と3.に関して、一営利企業として広告主の意向を尊重せざるを得ない貴社には構造的に公正な判断基準を期待することはできないと判断せざるを得ません。本来、公共空間を占有する立場として高い倫理観を持つべきであると考えますが、社会からの強い批判無しには「社会から逸脱」していることへの自覚も難しいようです。当方としては社会に働きかけて行くことにします。

2.に関して、経緯はその通りなのでしょうが、むしろ写真が大写しなっている点が皮肉です。広告制作側も最初か鯖を読んでいるのではないかと思いました。そもそも女性の下着の広告を公共空間の「強制的に視認される可能性が高い」場所に出すこと自体に無理があります。今後ともサインボードは「強制的に視認」させられますので継続して注目せざるを得ません。

本件でのメールでのやり取りはこれで終えたいと思いますが、この内容が「今後の審査の参考」になっていなかった場合には強く抗議させていただきます。

、、ということにしました。多分、あの場所に下着の「強制視認」広告はもう出ないはずです。(私ってやっぱりマメでしょ!)

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ホンダは嫌われる

なぜにホンダは国内5位に転落したのか?成熟市場でシェアが落ちるとは要するにオーナーから嫌われた結果です。およそ20年間に渡ってホンダに乗ってきたからこそ思考できる「嫌われる理由」を列挙してみます。

  1. 「走る四畳半」的な車を出してはいけない。ステップワゴンとかモビリオとか世帯じみた商品企画は、トヨタや日産が大衆に迎合するために用意する車であって、ホンダのような大衆を顧客にしないことを売りにする(していた)会社が本来やることではない。
  2. 音楽性のない車名をつけてはいけない。アコードやオデッセイのように音楽用語で一貫性を持たせた車名はもうネタ切れなのでしょうか。日産あたりが気まぐれでつけるような車名では、もうそれだけで「X氏の値引き大作戦」の餌食です。差別化というものをしっかりと考えて欲しい。
  3. 安易に儲けようとしてはいけない。フィットで挽回、もいいでしょうがそれだけではホンダの存在理由はない。そもそも、売れない車でも敢えて出すところにそのユトリを感じることができた。レジェンドとかアヴァンシアとか、誰が似合うのか分からないような車種にこそホンダの余韻があったのに。

この他、デザインが幼稚とか、販売店が荒んでいるとか、F1とカーナビにカネを注ぎ込み過ぎとか、いろいろ嫌われる理由はあることでしょう。

、、とは言え、実は期待もしています。大体、経営危機なりシェアの低下が表面化した後には、苦肉の策とは言いつつも実にホンダらしい名車(3代目アコード・エアロデッキとか、初代オデッセイとか)がリリースされてきました。今回もきっと期待に応えてくれると思います。14年目に入らんとする愛車・オデッセイとそんな会話を最近しています。(CRーVじゃ駐車場に入らないし、新型アコードも入らない、でもクロスロードじゃね~)。

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嫌うほどもないサービス

今回はNiftyのユニークなサービスの宣伝も兼ねて、当ブログの「ご愛読者」にご案内をさせて頂きます。

このブログの左下にアイコンが増えているのにお気付きでしょうか?アバウト・ミーというサービスを知って、直ぐにこれは「行ける」と思い、早速、中島義道の人気投票をさせて頂いております。でも、直接その名を出すと皆さん(多分本人も)嫌がると思うので、「私の嫌いな10の言葉」と「私の嫌いな10のひとびと」から直接キーワードを引用させて頂き、「質問」のカタチにしています。どの「言葉」や「ひとびと」がどの程度嫌われているかのか、についての世論調査みたいなものです。

まだ数日しか経っていないのですが、どうやら人気の「質問」になっているようですので、よろしければアクセスください。(ついでに、私が入れた20の質問、にもお答えくださいね。)

、、と言うことで、アバウト・ミーという(多分正しいはずの英語名)サービスを今回はご案内させて頂きました。(私って、マメでしょ!)

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ピーチジョンを嫌う

「S駅SK線ホーム脇にある貴社の広告(女性の下着姿の巨大な写真)は、痴漢を誘発しています。また、公共の場で女性を不当に辱めてもいます。これは、5分もその広告の前にいて、ホームの人たちの表情を見ていれば分かることです。速やかに撤去するか、広告表現を見直した内容に切り換えてください。約1週間前にJR・S駅の苦情係にその旨を伝えましたが貴社の意向を尊重してか一向に改まる気配がないのでこちらに意見させて頂きました。 1週間以内に明確な返答(または現場の広告の変化)が無い場合には、次は都知事と鉄道警察隊に投書します。」と株式会社ピーチジョンのサイトへ先程「その他のお問い合わせ」をしました。

ここまでで既にピ~ンと来ている方も多いと思います。ご存知ない方は現物の写真と善良な市民の反応の例としてこちらのブログでご参照ください。もしこれが男性の下着広告(例えばこんなの)だったら朝日新聞あたりに女性からの投書が載ることでしょう。「公共の場では下品な広告は規制を!」とか。

これは、大学堂を嫌うと同様に、私の感受性だけが過敏に反応しているのではないと思います。善良な市民が自分の思考(不快感)をはっきりと表明しないからこのような迷惑がまかり通っているんでしょうね。別に賛同を求めているわけではありませんが。

「その他のお問い合わせ」に書いても「成果」はないだろうと思って入れなかった私の嫌悪感(と自己レス)は以下の通りです。

1.女性達は何で全員が外国人なのか?(多分これを日本人でやるとただのポルノになるからでしょう。) 

2.「アムステルダムの飾り窓 」のイメージで制作しているのは合法性を暗示するためなのか?(確かにCMを見ても女性達にさせている仕草は素人のものではない。「サロン」から戻って寛ぐ、といってもいろいろありますしね。) 

3.Love-JuwelryはGoogleで11万件しかヒットしない。しかも多くは日本人による用法。一方、Lovely_Juwelryなら295万件のヒット。だからコロケーションとして誤用ではないか?(この場合もこの方法で検証してよいのか日向清人先生に聞いてみたい。) 

、、どうでもいい事を含め、気が付いた点を3つほど列挙してみました。ご参考まで。

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マメに嫌われる・三題

最近、人から嫌われることがメッキリ少なくなったように思います。「修行」が足りずに嫌われていることを正確に受け止めていないからなのか、「人間嫌い」の実践が過ぎてしまってあからさまに嫌われるような場面がほとんど日常から無くなっているからなのか、あるいは、単に無視されているからなのか。ヒリヒリするような嫌われ方を通じて初めて体感できる、ホンモノの嫌悪感がこれまでの人生をいかに「豊か」にしてきたかを思い起こすと、これは問題です。感受性も鈍ってしまって危険ですらあります。

そんな思いで日常を振り返ると確かに嫌われた(かもしれない)出来事が無いわけではありません。今日は特にヒマなので最近の出来事をマメにメモしておきます。

1.テニスコートでのお怒り

近くの公営テニスコートは朝9時から予約できるのですが、その30分ぐらい前に行っても空いているので一人でサーブの練習などをしています。もちろん9時から予約してあるコートで、です。管理人にはいつも軽く挨拶をしてから早めにコートを利用させてもらうのですが、ある朝いつもの通りに練習していると、管理人がいきなりコートにやって来て「管理人をなんだと思っているんだ」と怒ってます。日頃挨拶をしても返事はほとんど無く、「xx面をyyさんで予約してありますので早めにコートに入ります」などと言っても何の反応もないので、少しでも「お仕事を減らす」ように、確認作業を求めるような言い方もこの数ヶ月は止めていました。とても区役所の役人(嘱託?)らしく、「仕事」を矮小にしている点がとても分かり易かった。でも、軽い挨拶程度では「役人」として無視されているようで嫌だったんでしょうね。(「区民の声」を無視しても平気なのに。)「(コートの使用を)言ったり言わなかったりで済みませんね!」と微妙な言い回しで大声で「詫びる」とそれで終り。その後に私が「時間外」に施設利用をしていても咎めることももないので、職務に怠慢でも忠実でもなく、単に何かの発露を求めていたようです。でも私はこの管理人を嫌いではない。こちらは何も期待する必要がないんですからコートではテニスだけに専念できます。もちろん次になにかあれば「区長への手紙」の主人公になってもらいますが。

2.迂回する歩行喫煙者

以前書いた「歩行喫煙者との戦い」のその後です。以前は毎朝定時に家を出ると最寄駅までの約10分間に5人ほどの歩行喫煙者とすれ違っていました。戦果なのか、これが今では2人にまで減りました。この消えた3人の内の1人にたまたま「再会」しました。結構遠回りになる裏道を使っていたんですね。とても気の弱そうな50歳ぐらいの小柄な男性でいつも地味な上着と古びた黒カバンを下げています。その時もやはり歩行喫煙していましたが、私のことを察知すると気まずそうな表情で下を向いてしまいました。少なくても5分は余計に歩かなければいけないコースを私を避けるために毎日使っているんですから、私も十分に嫌われているんですね。確かに身内からも、私の「嫌な顔」の時の表情はとても嫌になる顔だと指摘されていますから、そんなものを毎日見るのは嫌かもしれませんね。多分私も何かの理由でそんなのが毎日出てきたら迂回ぐらいはするかもしれません。不幸なニコチン中毒患者のためにも、路上禁煙条例を早く拡大してもらいたいものです。

3.週一の「谷地健吾」のファン

今時のブログはアクセス解析機能が充実しているので、頻繁にアクセスしてくる読者は概ね把握できます。「NHK谷地健吾アナウンサーを嫌う」という1年半前の記事へのアクセスはいまだに続いていて、よくよく調べると「週一」ぐらいの頻度で訪れてくれる方がいるんです。「谷地健吾」のファンが何か「進捗」がないか監視しているんでしょうか。このほか、月一の方や、立て続けにアクセスが続いた同県人の皆さん(多分連絡し合っている?)もいます。確かに、「谷地健吾」とGoogleに入れるとWikipediaに続いて2位(Yahooで3位)なので、「谷地健吾」のファンなら気になって一度はアクセスすることでしょうね。嫌う記事が嫌われると目立つようになるのはブログと検索エンジンが作り出すの面白い現象ではあります。とは言え、週一というのはストーカーのようにスゴーイ。以前にあるファンらしき方から自問自答のようなコメント(「自分は何様のつもり?人に意見できる立場?あなたが嫌でも認めている人はいるはず。嫌いなら見なければいい。」)もありましたが、この方ではありません(多分)。「週一」のマメな方は「谷地健吾」本人!?

マメに嫌うのもマメに嫌われるのも「修行」です。

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「私の嫌いな10のジャズ・ミュージシャン」(その5.うるさいジャズ・ミュージシャン)

中島義道の『うるさい日本の私』は、「私」が直接聞いた「善良な市民」による騒音との闘争記ですが、これは私が直接聞いた「無神経なジャズ・ミュージシャン」による騒音との遭遇記です。NHK-FMを(知る人ぞ知る)TalkMasterⅡに録音し、通勤時間に聞くのがささやかな楽しみなのですが、そこで初めて聞いた大坂昌彦というドラマーが今回のきっかけです。うるさくてだんだん嫌悪感が出てきたのです。

Roy Haynesというジャズ・ドラマーを評して、音自体はとても大きいのに少しもうるさく感じさせない(故に名手である)、という話しを聞いたことがあります。録音から察するしかないのですが、その音は確かに楽器の限界を引き出すが如くに大きそうで、手数(音数)も多いのですが、全くうるさく感じない。このことはElvin JonesもMax RoachもJack DeJonetteも(日本人なら猪俣猛や渡辺文男も)同じです。思うに、うるささとはもちろん音の大きさでは無く、手数の多さでも無く、無神経さ=感受性の低さに由来するものではないかというのが仮説です。

スイングジャーナル誌の人気投票で長年ドラム部門第一位という大坂昌彦ですが、その演奏は妙に目立つのです。でもよく聞くとそれは共演者を退けて、単に自分の主張をしているだけに思えてきます。別に自己主張が強いのは構わないのですが、ソロリストや他のリズムセクションの「主張」を無視して、対話のない一方的な(本人は良かれと思ってかもしれませんが)自己主張を続けられるとほとんど騒音と化します。加えて、これにはドラムセットのチューニングのセンスも大いに関係している。あのスネアの音は目立たせるためかやや低く外れ、余韻が強すぎる。

ドラマーに限らず、サックスならBrecker擬きやSanborn擬き、ピアノならEvans擬きもうるさい。「自己」主張が無いことに加えて、所詮は本家との比較で減点法でしか聞こえてこない。これはとてもうるさい(やりきれない)のです。なんといってもジャズなのですから、オリジナリティで勝負してほしい。そして、前回述べた「練習をしていない」が故の下手さ加減もうるさい(腹立たしい)。

そんなことを考えながらジャズを無作為に聞いてみると次々にうるさいジャズに遭遇します。特に最近の日本人のジャズ・ミュージシャンは全滅に近い。流行りのイタリア物も一部(例えば、Stefano Bollani)を除けば同じようなもの。もうジャズは進化を止めてしまったのかと思うほどです。

「うるさい」には、「お説教・嫌味などをあれこれ言う」とか「並みで満足せず高い水準をもとめてしつこいさま」とか「扱いに手間がかかり厄介である」といった意味もあります。(まるで哲学者のようですね。)そのような意味で「うるさい」ジャズ・ミュージシャンは嫌いではない。例えば、Milesを始め、Monk、Mingus、最近ではKeithやHadenはこれらに合致します。

ジャズ・ミュージシャンであれば、マーケティングではなく哲学に忠実であってほしいと思います。

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「週刊現代」嫌いを嫌う

本来ブログで取り上げるまでもない内容です。立花隆の「週刊現代が暴いた〝安倍スキャンダル〟の全容」を読みました。恐らくその通りなのでしょう。
もうGoogleのキャッシュにしか残っていませんが、
安倍首相辞意:「週刊現代」が「脱税疑惑」追及で取材突然辞意を表明した安倍首相については、「週刊現代」が首相自身の政治団体を利用した「脱税疑惑」を追及する取材を進めていた。 同編集部によると、安倍首相は父晋太郎氏の死亡に伴い、相続した財産を政治団体に寄付。相続税を免れた疑いがあるという。晋太郎氏は91年5月に死亡し、遺産総額は25億円に上るとされていた。編集部は安倍首相サイドに質問状を送付し、12日午後2時が回答期限としており、15日発売号で掲載する予定だったという。(毎日新聞 2007年9月12日 15時00分)
、、といった記事があったりします。このあたりの経緯はこの少々長いのですが以下ご参照ください。
スキャンダル説も急浮上
(前略) 一方、「スキャンダル説」は、思わぬところから上がってきた。9月12日午後3時10分配信の毎日新聞のネットニュースが、なんと「<安倍首相辞意>『週刊現代』が『脱税疑惑』追及で取材」とすっぱ抜いたのだ。そこでは、「週刊現代」編集部によるとして「安倍首相は父晋太郎氏の死亡に伴い、相続した財産を政治団体に寄付。相続税を免れた疑いがあるという」と書かれていた。「週刊現代」編集部は、安倍首相サイドへの質問状の回答期限を、奇しくも首相が辞任会見した12日午後2時としていたという。本当なのか。J-CASTニュースが、事実関係を確かめようと、講談社の「週刊現代」編集部に取材した。すると、加藤晴之編集長は「毎日新聞の書きようは違うし、コメントを見て下さい」と電話で話した。毎日の記事は数時間後には消えてしまったが、加藤編集長は次のようなコメントをFAXしてきた。「本誌取材班が数カ月間取材・調査をしてきた成果である『安倍首相の相続税3億円脱税疑惑』を今月15日土曜日発売号で報じることが、政界で話題になっていることは聞いています。すでに安倍事務所にも取材の申し入れを終えています。その記事が安倍首相を辞任に追い込んだのではというメディアからの取材が、本誌編集部にも多数入っています。記事の詳細は15日発売の『週刊現代』で報じます」この脱税が事実とすれば、退陣の大きな理由になる。J-CASTニュースでは、確認しようと、国会と山口・下関の安倍事務所に取材を申し入れた。が、国会事務所はだれも電話に出ず、下関事務所では、電話に出た事務員が「責任者が、今ちょっと手が離せません。申し訳ありませんが、改めて下さい」と話した。http://www.j-cast.com/2007/09/12011274.html
こんな私でも政治にはそれなりには関心はあるので、昨日から暇にまかせて記事を追ったりしているのですが、今日発売され現在進行しているこの「週刊現代」を巡る大手マスコミ各社の動き方を見ていると嫌悪感が出てきます。ほとんど話題になっていない!
確かに日頃から「週刊現代」はイエロージャーナリズムそのものですから、少々オモシロイ記事であっても、大手マスコミ各社はそのプライドも邪魔していちいち相手にないのでしょう。ガセネタに振り回されていては、人手が足りず、訴訟の嵐に巻き込まれ、後でガセと判ったときには「被害」を拡大しかねない、といった事情も分かります。
、、とは言え、今回は事情が違うように思います。安倍事務所側からの脅しファックスにビビッて大手マスコミ各社は「報道規制」をして、そのうち「みんなで渡れば・・」と狡猾に歩調を合わせようとしているのでしょう。(一部の地方紙などは別のようですが、、。)
さらに、私にはマスコミ各社が「週刊現代」を嫌いなことにも理由があるように思います。要するに「あんなところに出し抜かれたのでは沽券に関わる」と。大手マスコミ各社の政治部の記者達と「週刊現代」の記者やフリージャーナリストでは学歴や年収がかなり違うでしょうから「差別」意識も相当にあるのでしょう。(社員記者なら講談社だから大差はないかな~)
「狼少年」という寓話を独自に解釈するなら、狼少年が時にホントウのことを言ってもそれを見抜けなかった大人たちの怠慢さへの警告ではないかと思っています。
今回、大手マスコミ各社がどうやってその沽券を守りながら折り合いをつけていくのか楽しみではあります。
追記:週刊現代の当該記事はこちらで全文を読めます。

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「私の嫌いな10のジャズ・ミュージシャン」(その4.練習をしていないジャズ・ミュージシャン)

久々にこのシリーズを書き出すきっかけになったのは、たまたまFMを聞いて、Ron Carterというマイク真木のように幸運が重なっただけで今の地位を築き、それを維持している様を目(耳)の当たりにしたからです。どうしてRon Carterを「ピッチが合っていない(=耳が悪い)」と皆で批評しないのだろうか?これはそれをJazzyにわざと残しているJackei MacLeaneとは意味が違います。(*こちらのサイトでは正確に語られています。)

「練習」とは決してその量(時間)だけで語るべきではありません。あくまで「正しい練習」(質)が必要なのです。Ron Carterは恐らく「正しい練習」をする前に「幸運」がやってきてしまったのでしょう。かつてPAやRecordingの技術力不足からベースの音をあまり拾えなかった時代にはほとんど聞こえませんから何をやっていても許されたのでしょうが、VSOPぐらいからは怪しくなってきて、自己のバンドでソロを取るに到っては聞いていられない。0.25ピッチぐらいはずれている。この点ではEddie Gomezも同類で、マイクが悪かった頃(Bill Evansのメンバー時代など)はまだ露呈していなかったが、Steve Gattと組み出した頃からはその(悪)音が聞こえてしまっている。これをなんで批評家は指摘しないのだろうか不思議だ。

Art Blakeyも「正しい練習」はしていない。アルバム10枚中1枚はソロで、5枚中1枚はバックで、リズムが裏返ったり、拍が合わなくなっているのを誤魔化している。これは明らかな「正しい練習」の不足だ。こんなことはMax RoachやElvin Jonesなどではあり得ないことであって、当時の「職場の人間関係」に長けているだけであそこまで持ち上げる必要はないはずだ。

邦人のジャズ・ミュージシャンで言えば、何故か流行っている「戦後の日本のジャズ」の類で聴かれるほとんどは「練習」をしていない。冗談のような話しながら多分本当だと思うのは「(敗戦の)当時は楽器を持っていればプロになれた」ということ。それでも、何人かはそれでその後に「第一人者」になったり、ジャズで一旗上げた後にコメディアンへ転身したりしている。

「私の嫌いな10のジャズ・ミュージシャン」という設定の多くは、その感受性の低さに由来するものが多くあります。一応(直接・間接を問わず私から)お金を取るジャズ・ミュージシャンが、その演奏を音楽芸術と考えた場合に、ピッチとかリズムとかの基本要件に欠け、それが音楽性自体も損ない、かつ、本人とその周囲がそれを自覚していないという事態は私にとって嫌悪の対象でしかありません。

もちろん、「正しい練習」だけしていればジャズ・ミュージシャンとして大成するものではありませんが、基本要件を補うような音楽性の高さなどは稀であって、自己主張のためにまずは最低限の約束事項として正しく「発音」してほしいものです。私だって英語の発音練習は日々やっているんですから。

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24時間テレビを嫌う

マトモなタイトルでFADらしくない、という方には誠に申し訳ありません。今回は、「24時間テレビのいやさ加減」という記事を読んで、思わずこのタイトルで書く嵌めに陥りました。

他力本願させて頂きます。

まず、環境保護団体がなぜ黙っているのか分からない。別に東京電力でも構わないのですが、慈善(偽善)活動の前に守るべきことがあるだろう、ぐらいは主張すべきでしょう。「チームマイナスxx%」なんていうチマチマした活動をしている企業がスポンサーだったら、全くの自己矛盾。株主代表訴訟や労組のゼネストを期待したい。

税務署はしっかり仕事をしてほしい。公に寄付をする企業や団体、そして自営業者が税金をちゃんと払っているのかどうか、しっかり調べてほしい。なんと言っても納税は義務であると同時に最大の社会貢献なのです。

放送倫理・番組向上機構には是非ともしっかり仕事をしてほしい。多くの内容には「人権侵害」が含まれ、青少年への「悪」影響があり、「低俗」を売りにしています。少なくても、病から自意識を持てない状態にある方々を勝手に露出するのは止めさせて欲しい。

最後に、萩本欽一がここに来てまたしても大人として一貫性のない醜態を晒すのはもう止めて欲しい。あなたは、24時間テレビの前に、(ほとんどセクハラの)野球拳を広めた芸人であり、(自分の名声を守るために)選手を裏切ろうとした監督であり、安倍なにがし同様に仲良しクラブで周りを固めたエスタブリッシュメントなのだから。

おまけ:毎年、私の誕生日の週でこの番組を企画するのも止めて欲しい。街中のあの黄色いTシャツを見るだけで自分への「ご褒美」ができなくなる。

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マメに嫌う・三題

マメに嫌うこと(=感情的になること)でドカンが防げる、とは私のカウンセラー氏からのアドバイスです。仕事、家族、通勤に始まって政治や経済、マスコミからブログまで、嫌悪感はいくらでも湧き出てきますから、自らの怠慢でこれらを混在させて溜め込むのはよくない。放置すれば化合物ができてしまって収拾が付かなくなります。日々マメに嫌いながら生き抜くことが肝要です。最近、このブログでは重めのテーマのドカン系が多かったので読者からのコメントも減り気味です。(実はコメントを期待しているですね~。)そこで、猛暑でもありますから、たまにはマメに嫌うと題して身近なものを嫌いたいと思います。

そんな時、新聞の投書欄も捨てたものではありません。マメに嫌う上で参考になる内容にそこそこの頻度で出会うことができます。

1.携帯用灰皿は免罪符ですか、という投書が今日の朝日新聞にありました。「新たな喫煙スタイルを生み出した、すぐれもの」というタバコアートギャラリーなる日本たばこ産業のサイトを指摘し、「そもそも灰皿を置いていない場所では吸わないというのが基本である」とした上で、「日本たばこ産業の宣伝は『きれいな景色のところには灰皿はありません』という」のだから「そこへ灰皿を持ち込ませて吸わせようとするなんていうのは本末転倒だ」として「猛反を促したい」と結んでいます。カッコイイ!これは論理的に嫌うことの見本です。一方、日本たばこ産業のサイトを見ると屁理屈とはどうあるべきか、の見本市になっていて、これを数十年後に読めば「大衆」でもさぞ笑えることでしょう。

2.左折の時に「ご注意下さい」と発するトラックの自動音声は間違っている、という投書もありました。気をつけるべきはトラックの方であり、トラックが左折するのだから「歩行者は気をつけろ!」というのは傲慢極まりない、といった内容の投書でした。スルドイ!公共空間でのおせっかいな(責任逃れのためでもある)放送に中島義道は着目していますが、「殺される側の論理」をしっかりと説いているこの投書は先鋭的でありながら「大衆」でもそうかなと思わせるだけの鋭さがあります。

そこで私が投書するなら、ということで、、。

3.企業が環境白書をなぜ印刷して配布したがるのか全く理解できない。そもそも内容は大同小異であり、わざわざ製本された白書を読みたいと思う人などほとんどいないのに「ご請求ください」とは・・。「チームマイナス6%」(実体はセコイ経費削減)をさせておきながら、そんな「努力」が軽く飛んでしまうほど環境負荷の高い「地球にやさしい」と宣伝活動をしているのだから、これは一種の欺瞞でもある。本気で「地球にやさしい企業」を目指すのであれば黙ってやればいいだろうに。募金やボランティアも同様。「24時間テレビ」などは究極の欺瞞、傲慢、自己満(←上手い!)。これらを宣伝している企業の「貧困なる精神」はもっと糾弾されるべきである。(、、でもこんな投書は広告主や新聞社の利害と背反するから掲載はまずされないでしょうね。)

以上に共通するのはやはり感受性ということだと思います。無自覚でいれば劣化してしまう、この感受性というものを磨くことも大切な修行です。これからもマメに嫌うようにしたいと思います。

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日本相撲協会を嫌う(朝青龍を救え!)

朝青龍の一件は、日本相撲協会のみならず、日本社会が「メンタルヘルス」をいかに恣意的に扱い、その本質から何も学んでこなかったか、が露呈しています。次の記事に、皇室の嫁でも、セコイ大臣でも、いじめられた側(あるいはいじめる側)の小学生でも、私のような会社員でもいいので代入してみてください。これでは自殺幇助です。

朝青龍 モンゴルで治療の可能性 (85デイリースポーツ)

日本相撲協会から2場所出場停止などの処分を受け、ノイローゼ状態とされる横綱朝青龍(26)=高砂部屋=がきょう5日、都内の自宅で精神科医の診察を受けることが4日、分かった。日本相撲協会の正式処分が下って以来、姿を現さない朝青龍は、この日も都内の自宅に籠城した。主治医の平石貴久医師は前日、精神面のケアのため母国モンゴルでの治療を勧めたが、師匠の高砂親方(元大関朝潮)は、時期尚早との判断で要請を受け入れなかった。だが、専門医の診断によって、帰国治療も現実味を帯びてくる。4カ月の謹慎、2場所連続出場停止などの処分を受けた朝青龍が、精神科医の診断を受けることが決まった。ショックからノイローゼ気味となり、依然自宅から一歩も出ていない横綱に対しては、主治医の平石氏が、母国モンゴルでの静養が一番と判断している。しかし、高砂親方は「順序が逆。まず会見を開くなり、ケジメをつけないといけない」と注文をつけた。また、前日夜に、朝青龍本人から電話があったことを明らかにし「やるべきことをやるのが先。動じる気持ちも分かる。つらいかもしれないが、ここは我慢だ」と諭したという。同親方は「周りの人に迷惑をかけたことを自覚し、自分の気持ちをしっかり持って乗り越えていかないといけない」と話した。1日に正式な処分が下ってから、いまだ朝青龍本人の会見も開かれていない。このまま黙ってモンゴルへの帰国を許可してしまっては、再び非難を浴びることは必至だ。相撲協会内でも、日本を離れれば、監督の目が行き届かないと危惧(きぐ)する声もある。北の湖理事長(元横綱北の湖)も「理事会が終わってからまだ2、3日。精神的に苦しんでいることは聞いているが、気持ちを落ち着かせるためにモンゴルに帰るというのは許されない」と述べた。だが、専門医の診察を受け、故郷での治療がベターと判断されれば、人道的な見地から帰国が認められる可能性もある。()

医師や家族といった拠り所を剥奪された人間がいかに脆いかは既に多くの事例が示している通りです。自責の念に駆られ、自問自答する時間を過ごす中、俄かに自殺というコトバが現実味を帯びて迫ってきます。一義的な意味での「篭城」することで辛うじて自分を保っているのに、「ケジメ」「我慢」などと廃れかけた風習にすがってそこから引きずり出そうとしているのですから、これはほとんど暴力でしょう。自殺に到らなくても、このストレスが適応障害や鬱病を引き起こしたら、朝青龍の家族は労災認定を申請できるはずです。

こういった事態に到らないためにこそ日本相撲協会はあるのではないでしょうか?今回の経緯は報道の通りだとしても、難しい判断を強いられ冷静さを欠いている当事者に、医師の診断を踏まえ、適切な指示を与えてこそ「相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与することを目的」(同協会サイト)にしている協会の存在意義ではないでしょうか?報道されてくるコメント読むと、単に組織の面子を維持するために犠牲者が出ても止むを得ない、というココロが見えてきます。

そしてこの一件は、「メンタルヘルス」を声高に語る日本社会が、実はそれを流行りコトバやひとつの方便として「消費」しているだけであり、人道まで持ち出さなければ治療すら許されない社会であることを如実に示しています。

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うつを嫌う

NHK教育テレビで「今夜のテーマは30代のうつ」を観ました。安易かつ残酷な内容でした。

中堅以上の企業に勤務する30代の男性だけを事例として取り上げているのは、社会現象としてうつ病を安易に括ろうとするNHKの意思なのでしょうが、これはそれ以外の30代(自営業、失業者、女性など)への一種の差別として問題です。しかしもっと重要なことは、出てくる事例の多くは「適応障害」という病名が相応しいか、適応障害を拗らしてうつ病になったものがほとんどだということです。(天皇家の長男の奥さんが適応障害という診断なのでこの病名への「報道管制」があるのかもしれません。)

そもそも、遺伝的な要因のうつ病は人口の0.3%しかいないとされています。番組の事例の多くは、職場環境との不適応から体調を崩してしまったものばかり。うつ病と適応障害では、憂鬱な気分に苛まれ体調を崩す、という症状は似ていてもその原因が異なるのです。

職場起因の適応障害を「社内うつ」とする方もいますがこれも私はあまり好きではない。ある元・適応障害の方のブログから引用すると、

流行言葉になりつつある「うつ」には何か周辺事情を覆い隠す響きがあります。(中略)「遺伝的な要因」によって、会社や上司の責任を逃れようとする意図すら感じていました。「適応障害」という響きには、その環境にも問題があるという響きがあるのとは対照的です。

番組では企業の経営環境の厳しさや世代論などの問題にも触れていました。でもそれでは問題の本質には迫れません。企業で言えばはっきりと社長や上司の問題であり、加害者なのです。ガードレールの無い道を歩いていて自動車に撥ねられたら、道路管理者や自動車会社ではなく、運転手が捕まり、補償させられるのと同じです。ところが、番組の流れでは、本人に反省を強いて、病にまで到ってしまったのは無理をした自分の責任だった、というものがほとんどでした。実に残酷なことです。

「自殺者を嫌う」という記事を前に書いた通り、体調の異変(特に不眠)が続いたら、ある程度メンタルタフネスが残っているうちに、「面倒、恥ずかしい、大した事はない、などと自分に都合のいい理由」で先延ばしをしないでカウンセラーなり心療内科なりに行くことをお薦めします。その前に数日休んで様子をみるということがあってもいいでしょう。(中島義道も効きますよ。)

世間にある「うつ」という言葉のもつ安易さや残酷さを如実に示した番組でした。

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「人間嫌い」のルール

中島義道の最新作を一気に読んでしまいました。書店で発見してから3時間弱です。これは中島本の決定版になって「経典」状態になるかもしれません。(「コレ読め・・」の類にはならないでしょうが、、。)

今回は(大衆でも判るように?)恐ろしく親切に書かれているのです。いつものように普通は人が嫌がったり無視したりするような事柄をわざわざ引き合いに出しながら、ロジックの内的整合や類型化の見事さを維持し、カント、キリスト、ロジャース、三島由紀夫、塩見七生などを引き合いに出して(何でいつも日本以外のアジアの思想家・作家は少ないのかな~)、いつも以上の「オールスター状態」で書き綴っています。また、「社会的弱者」としての流行でもある、引きこもり、オタク、ニート、フリーターまでを語るなど、誰にでも符合する部分があるように(多分ワザと)書かれています。実際、私にとっては「ひとりでできる仕事を見つける」「家族を遠ざける」あたりの章が痛く心に響きました。

いくつか引用(と私のコメントを)すると、

「人間嫌いを別の角度から見れば、自他の感受性や信念に対して誠実性の要求が高い人と言いかえてもよい。これは、さしあたり他人の不誠実な態度に対して不寛容な感受性という形で現われる。」(これはもちろん行動にも出ます。)

「組織の中で人間嫌いが(比較的)許されるのは、次の場合である。(1)仕事ができること。(2)勤勉であること。(3)誠実であること。」(あえて追加すれば、(4)日頃は普通にみえること。)

「人間嫌いの多くは、大多数の人間は嫌いだが、その大多数の嫌いな人間から賞賛されるのは好きなのだ。」(ということは隠しつづける美学は大切にしたいですね。)

そして、人間嫌いのルール(と私の現状)です。

  1. なるべくひとりでいる訓練をする(ように特に家庭ではしています)
  2. したくないことはなるべくしない(ように特に職場ではしています)
  3. したいことは徹底的にする(ように土日や朝晩はしています)
  4. 自分の信念にどこまでも忠実に生きる(ように日々精進しています)
  5. 自分の感受性を大切にする(ことは昔から続けています)
  6. 心にもないことは語らない(ようにしたいと思っているだけでたまに出てしまいます)
  7. いかに困窮していても頼まれなければ何もしない(ように電車の中ではしています)
  8. 非人間嫌い(一般人)との「接触事故」を起さない(ようにしたいのですが、、)
  9. 自分を「正しい」と思ってはならない(んですか~)
  10. いつでも死ぬ準備をしている(のは私の両親です)

、、なんと体系的なんでしょうか(私の現状ではなく中島義道のこの著書が)。

まだまだ修行の道半ばです。

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日本男子テニスを嫌う

日本男子テニスは何故かくも弱いのかというブログを読んでこの記事を書きたくなりました。(同ブログはコメントやTBなどを受けないようなので連絡などしていませんが以下一部引用させてもらいます。)

同ブログによれば、日本女子テニスや他の男子スポーツがそこそこの成果を上げていることから考え、経済面や身体面から説明は付かず、答えとして、「バブル期以降、大学のテニスサークルがチャラチャラしたイメージをテニスに植え付けてしまい、実際チャラチャラにしてしまった罪は余りにも大きい」ことや、「『根性』と『気合い』、そして『情熱』を持って」いないことを上げています。その上で「高齢者の余暇としてのテニス、大学生のテニスサークルのチャラチャラしたテニスがこのまま蔓延していくのを指をくわえて見ているのは、テニスを愛する者としては歯がゆい思いがします」と結んでいます。

大学時代にそのチャラチャラが嫌いでテニスは無視し、就職後に始めてテニス歴20年を超える私としてはこの方の分析に概ね同感します。現時点においても、テニスを巡る日常の風景を眺めていれば、根性・気合・情熱のある少年はそもそもテニスを嫌悪をして他のスポーツを選択することでしょうし、根性・気合・情熱のあったテニス少年が挫けてしまう環境の存在もあります。実際、「日本男子テニス」の選手達の試合なり言動なりをたまに見かけると実に甘い!(←なぎら健壱風に) いつも素人に迎合しているからなのか、誰でも簡単に真似ができる(ように思わせる)ようなプレイではプロ(ないしは競技選手)とは言い難いのです。試合の放映が少ないのは当然で、あの程度であれば教育テレビの「テニス教室」で事足りているのです。みなフェデラーやナダルで目が肥えているのですから。

そして、「硬派のテニス」というものが形容矛盾になるような、日本社会におけるテニスの位置付けから、初志を貫徹しようとすると他のスポーツ以上の苦労が「少年」には必要となります。あまりに手軽にできるため健康維持や遊び目的のテニスプレーヤーの裾野が広く、また野球やサッカー(ましてや競泳や体操)などと違ってテニスは競技選手と「余暇」選手の境界がグラデーションになっています。そのユルイ環境では少し上手いだけでも煽てられそこで満足してしまいます。男の場合、意思が弱く、「道(どう)」としての仕組みがないと実に挫け易い。逆にそれを知っている「少年」はそもそも「テニス」以外に「道」を求め、単にモテタイ少年だけが残る。この点、女の場合は周囲がどうあれ意思は貫く。

これは音楽の世界でも(ジャンルを問わず)似たような傾向があるように思います。世界ランキングというものが実質存在しない将棋や囲碁といった「閉じた世界」では「日本」「男子」は大丈夫なようですが、、(柔道は「世界」になってから怪しい)。

ひとつの方法としては環境を変えるために留学をするという方法がありますね。「日本」「男子」「テニス」はその本質において並立しないのですから、「日本」を止めればいい訳です。冒頭のブログにもありましたが、トッププロは金持ちのボンボンが多いそうなので、日本の金持ちも私費でドンドンとテニス留学を「少年」にさせるという「資産運用」をしてはどうでしょうか。

それではお前はなんでテニスをやっているのか、との声。「余暇」ではなく、一応「道」に乗ったテニスをしているつもりです。だからあまり面白くはありませんし、これからも苦行が続きます。(やっと緑帯ぐらいかな~)

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残業人を嫌う

「残業の減らし方、教えます/コスト増、過労死、家庭崩壊・・・働き過ぎの愚をなくせ」との日経ビジネスの特集記事がありました。要は社長が本気にならなければダメ、というのが結論なので私の勤務先では多分無理でしょう。進駐軍気取りのアメリカ人社長はともかく、日本人役員の皆さんは夜遅くまでよく働いて(働かされて)いますし、その部下(事業部長クラス)へそれを前提にした仕事を強要しています。下手をすると降格させられてしまう彼らにしてみればある種の「生活残業」なのかもしれません。

「残業人」と呼ぶべき人種も会社にはいて、管理職になって残業代もつかないのに、いまだにその信心深い日々を送っています。「出世に響く」に始まって「自分がやらねば」「顧客のためには」「この業界では」「上司が恐い」「職場で仲間外れになる」など理由付けはいろいろあるようです。これらはすべて依存症ではないかと思っています。つきつめればそれらには合理性が無い。

一方、私ぐらいの中間管理職が歯止めにならないと「ファミリーフレンドリー企業」の名に恥じることにもなるだろうとの愛社精神(?)から上層部の前でも率先して隗から始めています。「できる社員はやり過ごす」(こちらで簡明に紹介されています)という本がありますが、そこにあるようなことをどんどん実践しているわけです。おかげで最近では太陽が出ているうちに自宅に戻れる日の方が多くなっています。

非管理職(労働組合員)各位の「生活残業」は否定しません。私もかつてはそうでしたし、そういう搾取の方法も悪くありません。私の場合、管理職になってから搾取の方法が変わっただけです。

冒頭の記事の中に、ある企業の3つの「おきて」のひとつとして「隣の席と離せば無駄話は減る」というのがあって、これには思わず大きく頷いてしまいました。残業を減らすためだけではなく、職場のストレスを減らすためにもどんどん離して欲しいと思います。パーティションは高いほどよく、電話の話し声は聞こえないように遮音効果をもたせて欲しいものです。私にとっての理想のオフィスとは、今は無き「新幹線グリーン個室」です。

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アルコール依存症の皇族を嫌う

日本から部落差別がなくならない理由のひとつは皇族の存在にあるとずっと思っています。また個人的には、天皇の長男が私に似ているという事情もあり、皇族というものに対してもともと強い嫌悪感を持っています。彼の奥さんの病いには少々同情しますが。

でも、目にとまった次の記事で一気にブログを書きたくなりました。

■寛仁さま、病状公表後初の公務

アルコール依存症で治療中の三笠宮寛仁さまは3日、前橋市のグリーンドーム前橋を訪れ、競輪「第16回寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント」の表彰式に出席した。6月22日に病状を公表して以来、公務は初めて。観客から「大丈夫ですか」「頑張ってください」と声をかけられ、笑顔で手を振ってこたえた。寛仁さまは専門医にアルコール依存の状態と診断され、宮内庁病院に入院中。この日は日帰りの公務でもあり、医師と相談して出席したという。 (2007年07月03日18時37分)

これは何かのギャグ?アルコール依存症患者がギャンブル依存症患者と心温まる交流、と読めばよいのでしょうか?あるいは、担当医が治療のために醜悪なギャンブル依存症患者を見せてショックを与えようとでも?実はギャンブル依存症も併発していて完全に絶つと副作用が出るので、、。いずれにせよ、これはリハビリ出勤であることには違いない。

そもそも、税金で生活している輩がギャンブルに賞牌を出すこと自体に嫌悪感があるわけですが、ギャンブルの表彰式出席は本当に公務と言えるのか?(税金をたくさん落としてくれてありがとう、お陰で皇族の生活も安泰です、ならそうかも。)

正しいアルコール依存症患者は公衆の面前に出るときはもっと苦しい表情で挑む必要があります。それが後に続く可能性のある連中に嫌悪感を与え、その数を少しでも減らすことに貢献できるのです。皇族なんて酒飲まなきゃやってられないよ、でもいいのですがそうのたまうミットモナイ様を晒すのが正しい患者の振る舞いです。

パチンコ依存症の皇族が出たらどうするのでしょうか?今度は前向きに断酒会の全国大会への列席でリハビリなんかどうでしょうか?

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成果主義賃金を嫌う

成果主義賃金で人を働かすことができると思っている輩を嫌う、というのが本来のタイトルです。

前にも少しだけ触れましたが、私が一生懸命働かずに会社からの「搾取」を続けている事の背景には成果主義賃金があります。過去の成果のお陰で出世してしまい、その時に上り詰めたポジションで年棒が決まり、その後少々の上下はあったものの、高止まりしている状態が数年続いています。給与というのは上がったときには少々嬉しいものですが少しでも下がると極端にやる気が失せます。簡単に言えば、上げる時には効果はあっても、下げる時には効果は無い(逆効果はある)、ということです。「衛生要因」という専門用語もありますね。

成果主義なら、本来、成果が上げられなくて給与が下がり、よ~しガンバッテ給与を上げるぞ~と真剣に思うわざるを得ないほどに給与を下げないとその効果はありません。でも、そんなことを本当にすればどうなるか分かっているからなのか勤務先は「やさしい」のです。でも私は「きびしい」のです。

大体、成果が上がったときにはその分が丸々自分の実入りになるのではなく、一部が一時的に反映されるだけですから、私のように今の勤務先に多大かつ半永続的な利益をもたらす仕事に過去一度でも関わった人間にして見ると、その後は「年金生活者」感覚なのです。

一方、ほとんどが他律的な事情(景気、製品力、市場、競合など)で成果が上げられない時に給与を下げられた個人にしてみれば理不尽ですからグレルでしょう。これと逆の場合には「成果」を自分の実力と「勘違い」しながら「既得権」化して「貴族意識」を持つのです。(帰属意識ではありませんよ。)

こんなことを考えて行くと、成果主義賃金で人を働かす事ができると思っている輩は、恐怖政治を執る勇気も度量もなく、賃金でモチベーションを上げることもできず、単に会社全体の前年業績の「山分け」をしているだけではないでしょうか。あえて経営者のフレームワークで考えるなら、賃金に関して投資という感覚が欠如している点で致命的なのです。それで一番大きい山を持って行くのですから、自ずと嫌悪感が出てきますね。少々給与が増えてもああはなりたくありません。

以上は私の勤務先の話しですから、世の中には「恐怖」や「地獄」も実在すれば、「皇室」や「天国」もあることでしょう。(まあ、転職などには全く無関心な私には無縁なことですが、、。)

最後に、ではどうしろと言うのか、と。別に成果主義賃金の反対語が年功主義賃金だとは考えていません。あえて言えば、職務主義賃金が一番フェアでモチベーションも上げやすいのではないでしょうか。ところが実際は、成果主義賃金と混在させてしまい、その焦点がボケたり、マイナスの効果だけが出たりしているように見受けます。加えて、女性活用とか役職者の若返りが数値目標となっている場合には目を背けたくなるような事態に陥りますね。(この事態が勤務先で頻繁に起こっているので私の「搾取」はさらに強化されてしまいました。「きびしい」でしょ!)

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自殺者を嫌う

「他人を正確に嫌い、自分が他人に嫌われていることを正確に受け止める修行」の究極の目的は自殺という究極の怠慢に陥らないことです。

日頃からマメに他人への(からの)嫌悪感を誤魔化さずに味わっておくことで、他人や現実とのギャップから生じる大きな矛盾を自分の中に抱え込まずに済むものです。その解決できない矛盾を解決するために自殺に至るとは実に怠慢なことだと思います。そして、水虫患者が皮膚科に行かないことと同様に、面倒、恥ずかしい、大した事はない、などと自分に都合のいい理由から多くの人は(歯医者には行っても)心療内科やカウンセリングには行かないものです。なんと怠慢なことでしょうか。

小心者の政治家の自殺記事を読んで、3年前の自分を想い出しながら思考したところを書いてみました。(3年前、私は会社を休んでいました。)

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水虫患者を嫌う

ニコチン依存症患者がどれだけ周囲に迷惑をかけているかを記事にしてきましたが、水虫患者も似たようなところがあります。意思の弱さから自分の習慣を変えられず、人に危害を加え、笑って済まそうとしているあたりです。人を汚染するのと人に伝染させるの違いはあっても自分勝手さは同列であり、これは「自由」「自己決定」といった高尚な話しとは次元の違う話しです。

そもそも、健康なり衛生なりを考えれば、毎日足を洗うのは歯を磨くのと同じです。それでも罹ってしまった虫歯で歯医者に行くのと、水虫で皮膚科に行くは本来同じはずです。にもかかわらず、面倒、恥ずかしい、大した事はない、などと自分に都合のいい理由から多くの人は(歯医者には行っても)皮膚科には行かないものです。なんと怠慢なことでしょうか。

、、などと偉そうに述べている私ですが、皮膚科に1ヶ月程前に初めて行き、飲み薬と3種類(指間用にクリーム、爪用に液、足裏用に軟膏)の塗り薬を処方され、日々治療に精進しています。そして、この数年の努力(高価な市販薬での毎日のケア)は何だったんだろうと思い知らされているのです。確実に効果が出て、保険も効くのでとにかく安い!

これは健全な自己嫌悪です。もし読者の皆さんが該当者なら、梅雨の前に水虫患者(自分)を嫌う行動に出ましょう。

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人を嫌う行動の難しさ(駅構内喫煙者との戦い)

時間の問題で公共の場所は全面喫煙になるでしょう。喫煙行為自体、既に個人の嗜好という論理は崩れ、ニコチン依存症患者=更正すべき存在という認識で世の中は動いています。そして、税収の確保や葉タバコ農家の保護などという屁理屈を付けながら、ニコチン依存症患者と健常者(非喫煙者)の生命や財産を危険にさらしている国家の在り様は、後世の歴史家からはアヘンの利権確保に奔走した大英帝国と同列に論じられることでしょう。否、そんな高級なものではなく、実際には自らがニコチン依存症患者である政府や行政の当事者の「気が進まない」という怠慢さから来ているものが大きいと見ています。

ところで、「歩行喫煙者との戦い」を記事にしましたが、駅構内という公共空間でも未だに喫煙が認められています。場所こそ限定されていますが、実態は「共存」ができているとは全くいえないお粗末なものがほとんどで、むしろニコチン依存症患者にはその同志が集まるから安心して依存行為できるという格好の(最悪の)場面を提供する一方、周囲の健常者の権利を不当に侵害している場合が多く見られます。

地元の駅がまさにそうで、狭いフォームのほぼ中央に堂々と灰皿があり、その脇を通らざるを得ないときにはジロジロと見るようにしていて、その行為の不健康さや恥ずかしさを思い出させ、少なくても後ろを向かせ、煙をこちらに少しでもこさせないようにしています。もう私の顔は割れているようで、最近では近付くだけでそそくさと喫煙を止めて逃げ出す方もいます。でもその程度の「戦い」では限界があり、感受性が無い方や重度の依存症患者からの煙が風向き次第ではやってきます。

そこで1ヶ月ほど前にその鉄道会社へ(特急など全面禁煙にしたのを機に)投書してみました。こちらの主旨は、全面禁煙せよ、さもなくば完全に隔離できる場所へ移動せよ、です。以下はその鉄道会社からの回答です。(引用は遠慮せよとのことなので文意を変えずに改変してあります。)

このたびはxx駅をご利用の際に、不快な思いをお掛けしてしまい誠に申し訳ございません。xx方面ホームの喫煙所は、お客さまの流動等を考慮し、限られたスペースの中で考えられました。お客さまからご提案がありましたxxは、xxが配置されており、喫煙所の設置は困難な状況です。しかしながらお客さまから貴重なご意見を頂戴し、ホームを歩かれるお客さまに煙がかからないよう、喫煙所の灰皿を壁際に移動することを検討しております。また、床面に塗料で線引きしてございます喫煙可能エリアにつきましても、狭める方向でおります。今後もこれまでの取り組みを踏まえつつ、お客さまのご意見やご利用状況などを参考とさせていただきながら、一層の分煙の徹底を図る所存でございます。多くのお客さまから快適にご利用いただくことのできる駅を目指してまいりますので、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

要するに、1時間も掛からない程度の作業(1mぐらい灰皿の移動)をしてやるからそれで我慢せよ、というわけです。こちらはその程度の「分煙」など希望しているのではなく、「絶煙」を求めているわけですから、とても「ご理解」できる回答内容ではありません。前提をいまだ喫煙を守られるべき個人の嗜好であると見ている点もこの鉄道会社として一貫性が無い。まだ「取り組み」の途中のようなので文句は言ってませんが、連休明けの「状況」を見て、次の行動に出たいと思います。

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NHKのCMを嫌う

NHKはCM(Commercial Message)が無いことが「売り」のはず。ところが自社のためのCMを派手にやっています。

その1。アメリカのプロ野球をニュース枠で強制的に見せているのは実質的に(金払えで画面を覆って)有料放送となったBS放送に誘導するためとしか思えない。同じような事を考えていた大臣がいたようなので引用すると、

■NHK、大リーグ「毎朝取り上げるの問題」と尾身財務相

尾身幸次財務相は6日の閣議後会見で、米大リーグの松坂大輔投手が初勝利を挙げたことについて、「いい人材が新しい天地を求めるのはいいことだ」と感想を述べながらも、「この種のニュースをNHKが毎朝取り上げるのは公共放送として問題がある」と指摘、NHKの報道姿勢に苦言を呈した。その上で、「生活や経済、国際関係のニュースをバランスよく報道してほしい」と要望した。(時事、2007年04月06日)

同感である。あえて言えば、その「バランス」を求められている朝の放送では、ハシヅメさんのお天気コーナーを6時40分頃1回だけにしてほしい。6時15分頃にもやるようになったが2度見るのはたとえネタが変わったとしても白ける。(失礼、ファンなもので、、)

その2。NHK職員の働き振りを延々と放送している。これはNHK(職員)自身のCM以外のナニモノでもない。これと同じことを例えば自治体がその広報誌でやったらどのような反響があるのだろうか?「血税で一生懸命働くのは当たり前だ!」とか、「再就職先でも斡旋しているのか?」とか、がオチでしょう。そんなものを観るために(払う人は)受信料を払っているわけではないはず。所詮「公僕」なのですから人知れず名も知れず働くのが使命です。(ハシヅメさんはライフビジネスウェザー社の所属、、←シツコイ)

その3。自社に「不都合な」ニュースを敢えて「何も起きていない」が如くに報道するのも一種のCMです。受信料義務化と値下げがセットであるとの実に明快な「政治判断」ですら、「公正中立」を装うことで世の中では「何も起きていない」が貫かれていました。政府と国民のほとんどが珍しく一致してNHKに怒りを覚えているというのに、NHKと「深い関係」があった担当の役人が更迭されているというのに、NHKは「何も起きていない」ように報道(CM)します。

元々NHKは大嫌いなのですが、たまたま流れているのを見ているだけでこれですから、きっともっと酷い話しもあるのでしょう。(ちなみに民放のほとんどはもっと大嫌いです。)

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人気のあった「嫌う」記事

このブログも丁度1年が経過しました。1周年を記念して、「アクセス解析」機能を使って調べた、この3ヶ月間に人気があった記事を簡単なコメントを付けてご案内させて頂きます。数字はこの期間におけるその記事への訪問者数の比率です。

第1位 NHK谷地健吾アナウンサーを嫌う 8.6% 最近ファンらしき方からコメントも頂きましたが、Googleでこの方の名前を入れると何と3位。本人も読んでいるのでしょうね。NHKのあのコーナーは3月末でやっと終了しています。(←何んだお前見ているじゃないか、、いえいえたまたま、、)

第2位 ひとを嫌う行動の難しさ(「大学堂」編) 4.7% これもGoogleでは1ぺージ目に出てきますね。紹介ヤラセブログにそっとTBを張ってあるのでそこから来られる方もおおいことでしょう。そう言えば、あの下品な物売り車ですが最近我が家の近辺には全く現れません。ついに廃業?

第3位 堺正章を嫌う 4.0% 相変わらずテレビに出ていますねこの方。一緒に働いてきた仲間が大変なことになっているのにね。欺瞞に満ちている、とはこういう状態をいうのでしょう。

第4位 「35歳のみ500円」のシャープ製品不買の奨め 3.3% 社長が49歳(←これも40台とするための何か、、)に変わってからまだ新しい動きが見えてきません。三洋が地に墜ちて行き、日本ビクターがあの犬のように静かになっているので「中堅電機メーカー」としては相対的に浮上しているように見えますが、そのうちまた何かやってくれることでしょう。

第5位 「悪い景観100景」を嫌う 3.2% あさみ新聞によるとそのサイトがリニューアルされたとのことで一応見たのですが、やはり論理的にも情緒的にも変で、だんだん嫌悪感が出てくるのは前と同じです。あんな権威的なサイトなどより、私の捨て看板回収作業の方がよっぽど成果があると思いますね。

第6位 マナーの悪い金髪女性を嫌う 3.1% 最新の記事だからでしょうか。今でも思い出すだけで腹立たしい、、。再会に備えて、この嫌悪感を大切にしておきましょう。

第7位 メンタフダイアリーを嫌う 3.1% これもGoogleではこの正式なサイトの次ぐらいに出てきます。関係者はもちろん、ダイアリー利用者も読んでいるのでしょうね。あちらには今年になってからは全く記事もコメントも書いていませんけれどたまにROMしています。相変わらず、ギャンブル依存症が半分以上の大井競馬場駅前や戸田駅前のような光景です。

ところで、明日からはついに私も人事異動になりまして、20年以上慣れ親しんだエレクトロニクス業界から離れ、全く別の業界のマーケティングへと転身します。ほとんど転職状態なのですが待遇は全く変わりません。人は金のためだけに働くものではない、を実践しないといけないのはそれはそれで結構辛そうです。どうなったかはまた報告します。

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マナーの悪い金髪女性を嫌う

込んだ電車で女性の近くに立っているだけでも痴漢扱いされるような風潮があります。一部の女性はこれに悪乗りしているのか、我が物顔でメールをしながら携帯電話で突っついたり、カバンが当っても平然としています。(男性にも無神経な輩は沢山いますが多くは外見と一致しているので直ぐ判別が付きます。これは野良犬のように無視するなり避けるなりすれば済みます。)

そこで今日の出来事。昼間のとても急いでいる時でした。都内のJR某駅の切符売り場(*)で並んでいてまさに切符を買おうとしたその瞬間に外国人(金髪女性)が斜め後方から割り込んできました。"Hey, I'm in line!"と咄嗟にアメリカ英語で(!)文句を言ったところ無視されました。(発音は正しかった、、はずです。)そこですぐに今度は日本語で「私は並んでいるんですよ」とやや大声で語気も強めて言いました。すると、やや不自然な発音で「私もですよ」と平然と言い放ち、切符を買うのをやめず、買い終わるとすぐ後ろにいる私に腰を突き出して体当たりをして立ち去ろうとしました。すかさずその後姿に「何をするんですか!」とかなりの大声で文句を言いました。周囲は一瞬だけ凍り付いたような感じでしたが、その間3秒ぐらいでしょう。それ以上は何もしていません。渋々自分の切符を買って電車に乗りましたが、まあ、気持ちが収まらないと言うのはこのような状態なのでしょうね。

その後に思考してみたのですが、堂々としていたところから察すにこの金髪女性はあのような悪行を日々重ねているはず。最近の日本人男性は女性というだけ正当な要求であっても声も掛けられない状態にあり、さらに外国人となれば声も出なせない(だろう)、という現状に悪乗りしていると見ました。身長は170cm以上はあるようで、サングラスをかけていましたが、そこそこ「美形」の類でした。(これでは見かけで直ぐに判別できないではないか!)嫌悪感以外のナニモノでもありません。今度遭ったら徹底的に成敗せねばなりません。逃げないように(カラダを押さえるとチカンだと騒ぐでしょうから)カバンをしっかりと掴んで、大声で「日本人男性を侮辱するのもいい加減にしろ!」と日本語で叫びたいものです。

ところで、咄嗟に英語で文句を言えたということはTOEICの点数が最近伸び悩んでいる私としては何か嬉しいものがあります。もしかすると、あの女性はロシア人やブラジル人だったのかもしれませんがまあいいでしょう。マナーの悪い金髪の外国人=アメリカ人、という偏見は概ね正しいのですから、ああ「アメリカ人」だと思われてしまった!と衝撃を感じてもらえればさらに嬉しいのです。

*追記:スイカとかパスモとかは、ATC同様、オレンジカードやハイウエイカードのような「割引」を止めて企業の効率化のために顧客に負担をかけながら導入した「サービス」なので、今のところ、私は意地で使っていません。

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マラソン中継を嫌う

名古屋での女子マラソンをテレビ中継していましたが、居た堪れなくなって途中で観るのを止めました。そして、以下のような思考することで、日頃の違和感が解れ、マラソン中継が嫌いなりました。多分、暫くは観ません。

1.ペースメーカーはゲームとしての緊張感を損う

記録を出すため(そして視聴率を上げるため)でしょうが、数年前に公認となったペースメーカーという存在は、マラソンというゲームが持っていたはずの緊張感を確実に損なっています。あれは自動車レースにおける最初に1週だけ先頭を走る先導車とは役割が全く違う。最近のマラソン中継は最初の2時間近くは観ていても一向に面白くないのです。本当の勝負は最後の20分ぐらい。だからでしょうか、スタートして暫くすると、選手へのインタビュー、(「xxサスペンス劇場」の如き)地元観光案内、スポンサーのセコイ宣伝が目白押しになっています。

2.実況バイクはスポーツへの冒涜である

バイクの後部席にアナウンサーや解説者が乗って、選手に数mまで近寄って実況する事がなぜ許されているのか理解できません。本人に聞こえて不用意な情報になっていることはもちろん、概況などをその場で伝えていたりすれば(日本を解さない)外国人選手に不公平にもなるのでは?そしてそんなことより、とにかく煩い!今時はカメラの性能が上がっているのだから近付いて見る必要などそもそも無いのに、無理やり言葉を並べて「実況」している。この光景を醒めて見るば、これはスポーツ(を真剣にしている選手)を冒涜している行為です。

3.過剰なアップ映像は選手の名誉を毀損している

マラソンに限らず、スポーツをしている時には、鼻水が垂れ、ヨダレが出て、小言を並べるものです。アップ映像、ましてや集音マイクの併用は、観なく無い映像なのです。時として(特に女性の場合)選手の名誉を毀損しているのではないかと思われるような「実況」になっていることにもっと敏感になっていいのではないでしょうか?走っている姿にプライバシー無いのかもしれませんが名誉はあるはずです。地デジ普及と選手のサングラス着用率には因果関係あるように思います。

よくよく考えれば他にも疑問やそれに連なる嫌悪感がどんどん出てきます。

・水分補給したボトルをこのご時世で公道に投げつけていいのか?(時に通行人に当たるがこれは許されるのか)

・(実況バイクは良くて)沿道を一般人が伴走するのはなぜいけないのか?(止めている係員の法的根拠はどこにあるのか)

・化粧品会社の選手がなぜ美しくなく、電力会社の選手がなぜ途中棄権するのか?(企業イメージを落としているだけではないか)

・警察はなぜ2台のバイクを先導させるのか?(1台で「チームマイナス6%」をすればよいではないか)

・恐らく無償配布しているだろう、観客のあの旗の再利用はしているのか?

ああ、「走る修行僧」瀬古選手の全身で苦悩する走行や、「女の戦い!」と場違いな絶叫をしていたアナウンサーがいた頃が何か懐かしい、、。

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堺正章を嫌う

Wikipediaからの引用。「あるある大事典IIでの納豆ダイエットに関する捏造報道(2007年)にMCとして参画(その後、番組は打ち切り)。堺自身がどこまで真相を知っていたかは不明。 」

きっとこの方は並みの二世コメディアン(お笑い芸人)なんでしょうね。TV出演を自粛しているかと思いきや、今日は「世界一受けたい授業」といった番組に先生役で出ていました。でも、もう意外性も何も無い、単に「目の死んだ」芸人に見えました。内輪受けはするのでしょうか、Wikipediaにあるように芸能人として年齢は食ってますし、その世界に留まるだけで「影響力」はあるのかもしれません。

ところで、玉置弘、土居まさる、みのもんた、関口弘、川端健二(?)の共通項は? 司会者が本業で(私と同じ)某大学卒業生!に加え目が死んでいるのです。自分の意志を押し殺して、これは人気取りや金儲けのためなんだ、と自分に言い聞かせているような目。この目、私は嫌いです。まだ谷地健吾のぎらついた目の方がましです。(谷地健吾をGoogleで引くとなんと私の過去の記事は未だに第三位!)・・・どうでもいい事ですが、私は6時40分ぐらいに渋谷のNHKセンター近くから天気概況を毎回セコイ工夫をしながら親身になって伝えるハシヅメさんのファンです。いつか「低気圧」と書いた棒を持ってみないな~。(失礼)

本題に戻ります。堺正章のあの何処を見ているのか判らない、小さい目には強い嫌悪感があります。この延長で言えば、まだ政治家諸士やテレビに出ている(暇な)経済人の方がましです。(でも御手洗某は大嫌いなので後日記事にします。)結局、その地位に相応しいだけの大した苦労や努力もしないで、たまたまそうだったという「過去」を笠に着ながら優位に立とうとしている人間を私は体感で嫌うのでしょうね。

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日経BP-NETの編集部を嫌う

日経BP社のサイト(日経BP-NET)、特に日経ビジネスのサイトにはタダとは思えないほど充実した記事があるので毎日のように目を通します。また、日経新聞自体には読者投稿欄が無く、日経ビジネスも毎号1件だけを掲載している程度で無いようなものですから、このサイトのコメント欄がその機能を補っているとも言えるでしょう。私もよく投稿しています。

とは言え、日経本紙の連載小説以上に低俗なもの(例:遥洋子「男の勘違い、女のすれ違い」)などはコメントの荒らし(アラシ?)で「2ちゃんねる状態」になっいます。これは筆者がそれを期待している節が見受けら、白けますが。http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20060410/101158/

一方、Jazzのレコードを紹介がてらに自分の趣味をひけらかすというやや悪趣味な記事があり、そこでJohn Coltraneの死因について不適切な表現があって【編集部】が訂正したというものありました。http://www.nikkeibp.co.jp/style/life/joy/jazzlp/060824_trane/

ビジネスコミュニケーションの専門家らしき人が国際ビジネスの舞台に相応しいビジネス英語を紹介する記事には、その米英帝国主義振りがコメントで批判されているというのもあります。http://business.nikkeibp.co.jp/fb/putfeedback.jsp?_PARTS_ID=FB01&VIEW=Y&REF=/article/skillup/20070220/119419/

メンタル系では、「社内うつ」とも呼ばれている適応障害に対して「えせうつ」と呼び捨てる医者に対して辛辣な批判がされています。http://business.nikkeibp.co.jp/fb/putfeedback.jsp?_PARTS_ID=FB01&VIEW=Y&REF=/article/life/20070105/116504/

全然人気の出なかった、ダメプレゼンそのものようなプレゼンの記事もあります。(ここへのしつこい投稿者が誰かは言いません。)http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20061113/113605/

それにしても【編集部】はちゃんと仕事をしているのでしょうか?ほとんど場所貸し、パルコ状態であり、怠慢の謗りは免れないのではないかと思います。ブログのようなシステムや「コメントに関する諸注意」を隠れ蓑にして、読者からのコメントを【編集部】として「編集」していないし、さらには指摘があっても多くの場合、無責任な記事を放置している。新聞や雑誌ならばもっと記事に責任を持つでしょうし、ブログなら読者をもっと大切にするでしょう。そのどちらでもなく、玉石混交、大量の記事を垂れ流しているだけのように思えてなりません。

広告の入り方も品性が無い。両脇の動画広告は目にも悪いし、スクリーンが記事全体に落ちてくるようなものもある。タダなら何をやってもいいのか!

、、とは言え、ここに来て、少し仕事が暇になり始めたので、そんな記事を無責任に読みながら仕事の振りをできる点では大いに助かっているのです。何といっても日経ですから、、、。

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人を嫌う行動の難しさ(歩行喫煙者との戦い)

ニコチン依存症患者(喫煙者)は周囲の健康はもちろん、本人の治療のためにも肩身の狭い思いをさせるのが正しいと考えています。そして、歩行喫煙というだけで以下の「ご迷惑」を周囲に撒き散らしているのです。

  • 間接喫煙ないしは異臭撒布:あの煙を他人から吸わされて嬉しい人というのは(恐らく)いないでしょうし、服などに付着する異臭は、電車でレゲエ系オジサンが隣に座られたときよりもしつこく残る分、始末が悪い。
  • やけどのリスク:実は私自身、手に軽いやけどをした被害者経験があります。子供が失明した場合などを考えると法規制ぐらいあっても当然に思います。
  • 火事のリスク:吸殻だって条件が揃えば立派な火種です。灰皿など持って歩いている人など見たことありませんし。
  • ゴミの不当投棄:灰皿のある場所が分かっていてそこまでに吸い終るようにしている「達人」もいるかもしれませんが、、。会社が敷地の路上に近いところに設置した灰皿を、歩行喫煙を促進するものだ、と文句をつけて撤去させた事があります。

千代田区が秋葉原あたりから始めた路上喫煙禁止条例の類はある意味で大きな変化だったのですが、雪崩のように広がらないところをみると、自治体や地方議会の関係者の主流派はニコチン依存症患者なのでしょうね。

本題に戻ります。嫌われることが当たり前過ぎて長期間放置されると本人も周囲も慣れてしまうのか、「正当な」嫌う行動は難しいものになります。修行として取り組んできた行動を列挙しておきましょう。

  1. 前方に歩行喫煙者がいる場合は、本人にはっきりと分かるように、やや大回りでバタバタを足音を立てて追い抜きます。その後はゆっくりと歩きます。さすがに振り返ってまでその効果を確認してはいませんので意味のある行動かどうかは不明です。
  2. 前方から歩行喫煙者が来る場合、相手のタバコを(最近特に磨きが掛かった)嫌な顔で凝視します。相手が気が付くのは5mぐらい先からですからその間僅か2-3秒ですが、これは効果を数度確認できました。相手も嫌な顔をしてくれるのが一番嬉しい。また、弱気なオジサンや疲れたOLあたりがすまなそうな顔をするのを見るのも一興です。
  3. 2.の変形で、路上に不当放棄するした現場に出くわしたら、少々ゆっくり歩いて驚いたような顔をして、そのゴミを歩行喫煙者の前でジッと見詰めるようにしています。ユトリがあるときには悲しそうな顔もしたりします。その方が相手が嫌がるようです。
  4. 子供(さらには乳母車)と接近しそうになった時には、「危険ですよ」と親切に声をかけるようにしています。もちろん歩行喫煙者にです。ハッといった感じで引っ込める方々がほとんどですが、俄かには自覚できない方もいますのでその場合には「被害者」にも「危険ですよ」と同じように声をかけます。その時、指差したことがあるのですが、これはやりすぎたみたいで歩行喫煙者が罵声を私に浴びせていたようです。(私はWalkmanだったので何を言っているか聞こえずそのまま立ち去りました。)

こんなことを続けているといつか(物理的な)痛い目に会いそうなのでほどほどにしようと思うのですが、既に身に付いてしまったようで至極自然に出てしまいます。そして、通勤で毎朝おなじ相手と戦わなければいけない場面ではバリエーションをいろいろと考えて試みています。咳き込む、意味不明な独り言を吐く、躓く、などなど。これも修行です。

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忙しい仕事を嫌う

予告通り、なぜ私がここに来て忙しくなったのか、を明らかにしたいと思います。

勤務先の担当事業国内工場の操業停止が1ヶ月前ほどに決まり、桜を見る暇もないまま「突然死」することが発端です。これはこれで、長年赤字だったので健全なことではあるのですが、顧客はたまったものではありません。担当業界(エレクトロニクス)では、通常3月前に予告してから最終受注+操業停止まで(供給責任)6ヶ月の9ヶ月ぐらいが最低線なので、この4ヶ月もない供給停止というのは恐ろしく非常識(多分業界初)なのです。非常識な事自体に私は格段嫌悪感はないです(シングルソースでやってきた購買政策のツケなので、、)。でも、その後の勤務先マネージメントの態度が全く情けない。

やれ、顧客の役員が押しかければ「それでは何とか供給するようにします」(決めた期日まで受注がなければ供給するな、と命令しているのに)、いよいよ損害賠償となれば「あと数ヶ月操業するように調整しようか、、」(これは決定事項だから絶対に変わらない、といっていたのに)、ヤクザ系のキーマンには「なんとかします、、」(と、言うなと本人が指示しているに)、などなど全く腰が据わっていない。(それでも、私はこの勤務先から「搾取」しているので会社を辞めるなど考えていませんのでご安心を。)

それにしても、このような事態になって初めて知る、顧客企業の「本能」は面白い。告知の翌日にノーアポでやって来る某部品メーカー執行役員、「うちは大して買っていないので大手の要求の数分の1でいいんですからよろしく!」という小市民的な会社、大企業体質丸出しで役員が役員に申し入れればすべて解決すると思っている元・国策企業(、、でも一番ダシになっているとは知らない程度にしか「仕事」をしていない、、)。

忙しいお陰で、ブログに記事を書